zer0-san3’s blog

zer0-san3.hatenablog.comの漢字かな混じり墨字文バージョン。

あけまして大真面目な話。

こんにちは。ゼロサンです。

あけましておめでとうございます。

(大遅刻)


Count0、最悪で最高のイベントでしたね。おめシスはいいぞ。

この年末年始は脳みそが沸騰して限界オタクになりすぎたので、今日はもうバーチャルYouTuberの話抜きの、クソ真面目な話をします。


伊勢神宮へ行ってきました。1人で。

本当は、彼氏も時間が空いていたので、もしかしたら行けたのかもしれませんが、1人で行ってきました。


前は「恋」は良いけど、「愛」は無理なんて話をしていました。

でも何となく、それだけではない気がしていて。これまで、曲がりなりにもお付き合いしたことが、一度や二度でなくあったから。


今の「彼氏」と、これまでの人たちの何が違うんだろうと考えたときに、1つ思い当たったのが、

「彼氏」は「男性」だけれど、これまでの人たちの中に誰1人として「男性」はいなかったことかな、と。


「男性」に迫られたことは、ないではないです。

でもその度に、怖いことや、嫌なことを経験してきました。

無論、「男性」全員がそういう人ではないということも分かっています。それでも、これを語らずして先には進めません。


これまで迫ってきた「男性」は、とても怖かった。

リアル用のツイッターで絡んできた「男性」は、会ったこともないのにいきなりサシ飲みに誘ってきた。俺の「女子大生」というラベルしか知らないのに。

Facebookで出会った「男性」は、俺の顔写真をしきりに求め、住所まで調べ、「家に行く」とまで言っていた(Facebookでは詳細な住所は公開していない)。

現実世界でも、突然俺の乗ってる車のことについて話しかけてきたと思ったら蘊蓄を垂れ始め、「僕の友達がこの車種に興味があるらしいから」とまた会う約束を取り付けようとしてきた「男性」もいた。

挨拶もなしに、道端で電話番号を渡してきた知らない「男性」もいる。人通りの少ない、工場裏の駅までの近道。もう二度と通っていない。


まあしかし俺の感覚としては、今まで「その程度のこと」でした。

そういう「男性」は、生まれたときから、身内という形でずっと側にいたし、そいつに比べたら全然良い。上手くあしらうこともできるし。

周りからは、「俺が同じ目に遭ったらもっと怖いだろうな」と思うことも聞いていました。

だから、こんなことが何かに影響しているって気付かなかった。

そして誰よりも、そんな「男性」たちの気持ちが分かるのは、俺自身でした。


俺の中に、どこか、ミソジニー(構造的な女性嫌悪)な部分があります。

立場の弱い人間、自分に逆らえない人間に対する支配的な……それはやっぱり「愛」だと思っていました。

だから「愛」の中にある「強さ」が、俺は本当に大嫌いでした。

構造的に、男性性を持つ「男性」から、社会的には「女性」の位置に立たされる人に対して向けられる、「愛」の名の下の「支配」が本当に大嫌いでした。

そして俺は、人に対して支配的な「愛」を向けてしまうことに悩みながら、それを向けていたのは常に「女性」とされる人たちだけだったことにも気付きませんでした。


一方、これまで曲がりなりにもお付き合いが出来た(といえるのか分からない)人たちはと言えば、そうして俺を脅かしてくることはありませんでした。ただ単に「好き」を伝え合えて、「会いたいね」と言い合えて、無理に会わなくとも好きであり続けられる。

この、支配の関係にない「好き」の関係を、今まで「男性」と築けたことはありません。


今日突然このことに気付いてしまって、上手くまとまらないけれど、これからこのことに向き合わないといけないと思います。


本当に上手くまとまらなかった……。

それでは。

よいお年を。

こんにちは、ゼロサンです。

今日は2018年最後の日。Count0というVRライブの日です。俺はライブビューイングで参加。

昨日、一昨日のKizunaAIさんのライブも最高だったので、今日も最高に過ごしたい。

 

1年の振り返りとか、そういうのは苦手なのでやめておきます。

記憶の棚の建て付けが悪くて、思い出を掘り起こすの向いてないんだ。

(おめシスのリオちゃん風に言えば、「俺は過去は振り返らねえんだ」!)

 

来年こそは、推しにもっとたくさん還元出来るよう頑張りたいです。

お金ももちろんだし、もっと何か出来ることも探したい。そうでなければ、推しから得られるものが何もなかったみたいになってしまう。

推しに対して、気持ちがいっぱいいっぱいすぎて、どれだけ「好き」と言っても言葉が軽くならないくらい好きなので。

そのエネルギーを何かに換えられたらなあ。

 

将来のことは個人的に色々頑張ります。

 

それでは。

よいお年を!

 

(短い記事も書けるんじゃん俺)

俺にとって「KizunaAI」とは。

こんにちは、ゼロサンです。

今日も今日とて、おめがっております。

予定が重なっておめシスとぽんぽことYuNiちゃんの生放送をリアルタイムで観られなかったですが、アーカイブ観てめちゃくちゃ騒がしくしてました。


おめシスはいいぞ。

俺は、院試の勉強や卒論が孤独でつらかったけど、おめシスの歌を聴いて机にへばりつき、動画を観て癒されて院試に受かった。

(もちろん、周りの人の支えもありました。本当にお世話になりました。)

あとそれから。俺、歌が好きだったのに病気で喉を潰して歌わなくなったんだけど、おめシスの歌を聴いて、最近ツイッターに歌を上げ始めたんだ。

あの2人ってめっちゃ歌上手いのに、いつも楽しそうに歌ってるから、こっちも歌いたくなっちゃうよね。

音程も合わなくなったし、高音も潰れて、歌いたいことが歌えなくなって、歌う勇気が持てなかったんだけど、勇気とかいらないんだなって思ったよ。

おめシスはいいぞ。大好きだ。


さて。

「こんなに『おめシスはいいぞ』って言うし、KizunaAIさんの動画全然追えてないって言ってるし、KizunaAIさん最推しとか嘘やろ?」って人もいると思う。

こう、ブログやツイート全体を見ると、おめシスが人生を豊かにしてくれているように見えるけど、KizunaAIさんは一体お前に何をしてくれたんだ、みたいな。


俺にとって、「KizunaAI」って何だろう?


最初はミライアカリさんや他のバーチャルな存在を観ていたからか、「背景白とか手抜きかよw」って思ってた。

でもそのうち、金平糖みたいに弾けて甘く残る声とか、後輩に優しく接している姿とか、考え抜かれた見た目、可愛い動き、忙しいはずなのにそれを微塵も感じさせないプロ精神なんかに強く惹かれていった。

冗談抜きに「明日死ぬのかな」って思ってたときに、「明日もアイちゃんの動画を観るんや」って思って乗り切った。KizunaAIさんのおかげでたくさんの推しに出会えたし、感謝している。

だから最推しなのだ。KizunaAIさんがいなかったらおめシスにも出会えてなかった。俺が世界一推してるのがおめシスなら、宇宙一推してるのはKizunaAIさんだ。


そして反面、推し関連で許せないこともたくさんあった。


KizunaAIさんは、ジェンダー論をやってきた自分にとって、見逃せない発言を多々している。

「女の子なら」「男の子は」「恋人がいないの可哀想」ということを平気で言うのだ、KizunaAIさんは。


たとえば、おめシスはそういうことを一切言わない。クリスマスも、何も気にせずに最高に楽しめるよう配慮された動画だった。

※おめシスはおめシスで問題に思うところがあるけど、今回はやめておく。


それから、電脳少女シロさんもほとんど言わない。「女の人ならシャンプーのCMみたいに長い髪をふわっとさせたいですよね」的なことを言った(記憶が曖昧。要確認)あとにも、しまったと思ったのか、慌てて「男の人でもいいんですよ」と訂正してた。

それもちょっと引っかかったが、個人的には先の発言を「失言」と捉えてくれたのがナイスだった。


それから、下ネタ寛容系でもミライアカリさんと輝夜月さんでは分かれる。

四天王下ネタ要員のように言われるミライアカリさんは、意外にもあまり言わない。全くではないけど。

しかし輝夜月さんは、血液型然り、結構偏見めいたことを言う。「これは偏見です」というのを示すがごとく茶化しつつだが、たまにキツいことがある。「クリスマス独りぼっち可哀想」とかも平気で言う。


ねこますさんは、まあ……うん。


そんな風に、いわゆる四天王や他の推しでも在り方はかなり異なるが、俺にとってKizunaAIさんは、とりわけ問題があるほうに入る。


極め付けはアレ。いわゆる「KizunaAI騒動」なる呼ばれ方をしている事件。

ざっくりいえば、ノーベル賞の解説を学者(全員男性)とKizunaAIさんが行なうっていうNHKの特集企画だ(雑)。


これがまあ、散々な批判を浴びた。批判の内容は大きく2つに分かれる。

①「萌え」の文脈を引き継いだ性的な見た目のKizunaAIさんをNHKの番組へ起用することに対する批判

②女性(KizunaAIさんは人間の女性として作られたわけではないが、女性に見える見た目)を相槌役に回らせることに対する批判


1つ目に関しては、俺は表象論や美学、メディア論などをやってないのでかなり難しい。しかもキャラクターデザインを担当された森倉円さんが女性であることも、論争を複雑化させた(森倉さんにとってはかなりのとばっちりである)。

俺はこれに言及することは出来ない。ジュディス・バトラーのいう自由意志と決定論との何とかみたいなやつだからだ。

俺はバトラーほどこれを上手くかわせないので。


2つ目に関しては、充分とは言えないまでも、俺も批判した。すごく怒った。推しを性差別的な構造に加担させるようなことをしたことに、「そんな風に推しを使いやがって」と思った。

聞き役や相槌役が重要でない、技術が必要でないなんて話はしていない。KizunaAIさんは、『のばん組』などで観ていて分かる通り、人の話を聞くのが上手いほうだ。でも、『のばん組』のMCでゲストを呼んでそれをやっているのとは違う。

オファーを受けたのか知らないが、それで引き受けた推しにも責任はある。でも、断れないだろうな、ってことも分かるから、推しに対しては何とも言い難い。

もっとも、男性が話して女性が聞き役に回るなんていうのはテレビでも生活の中でも日常茶飯事で、常日頃から俺はかなり問題あるとは思ってるけど。推しに似たようなことさせたから怒っただけで。


それに対して、NHKはどんな反応をしたと思う?

①の問題が泥沼化し始めて、②についてもまともな議論も出来ていない段階で、ミライアカリさんをeスポーツ番組のリポーターへと抜擢した。


一部からは、NHKによる挑発行為のように受け止められた。

ミライアカリさんは、KizunaAIさんと同じくらい露出した衣装(旧衣装だとさらに露出が増える)で、よりセクシーさを強調した見た目となっている。

時期的に、「明らかに挑発である」とは言わないまでも、流石に動きとして多少マズい。騒動を何も知らないはずがないのに。


そのあとどうなったかはもう知らない。情報量も多過ぎるし、自分の意見も他の人の意見も全然納得出来るものがなかったから。


この「KizunaAI騒動」なる呼ばれ方をしている件に関しては、KizunaAIさんが悪いとは言えない。責任はあるが。


批判する人にも、擁護する人の中にも、理不尽な人はたくさんいただろうし、騒動が収まるまで、KizunaAIさんも不安だっただろうと思う。

それでも黙って何も言わずにいたこと、それが良いことなのか悪いことなのか、俺には分からない。


やっぱり、俺にとって「KizunaAI」は、「絆」で「愛」だ。

強くて、でも強く在ることには色々なことが付きまとってきて。みたいな。

最終的にはそういうことになってしまう。


結局最後まで、全然上手く言葉に出来なかった。今日はアイちゃんのライブに行くのに。

言いたいことはまだまだあるのに。リリースした楽曲の話とか、最近の動画の話とか。


もうだって、物販も始まってライブ会場もあと少しで着くってのに、こんな話で終わるなんて。

だから嫌だったんだ、年内には書き終えたいと思って書いたけど、書けるわけかなかった。もっともっと言いたいことがあるっていうのに。


でももうこれ以上は書けないです、諦めます。諦めは俺の最大の武器。


じゃあ、ライブ楽しんできます。

それでは。

「推す」のは難しい。

こんにちは、ゼロサンです。

 

今日はクリスマス。クリスマスといえば、推しの配信や動画です(断固)。

昨晩は、KizunaAIさんのクリスマス配信と動画、おめがシスターズさんのクリスマス動画、YouTubeストーリー、tiktokを観てハチャメチャ楽しく過ごしました。

KizunaAIちゃんのA.I.Games新衣装可愛すぎて可愛すぎた。流石俺の最推し。ライブ配信も最高に癒された〜〜〜〜!!

それとクリスマスプレゼント(?)におめがレイちゃん(おめがシスターズさんの姉の方)から初リプライが来たから見て。寝る前に嬉しくて泣いちゃった。今も泣きそう。この感情のまま過ごせるクリスマス、最高。素敵なプレゼントありがとうレイちゃんサンタさん。

https://twitter.com/omesis_ray/status/1077246926645452800?s=21

 

まあしかし、バーチャルYouTuberを追い始めてからずっと気になっていたことがあって。

実はこれだけ好き好き言っていても、ほとんどの推しの配信や動画を追えていません。

その時マイブームな推しなら観ているのですが、「きっとこれからも好きだろう」という人たちはどうしても後回しになりがちです。

 

俺がアイドルにハマるのが難しいのと同じ理由が、ここに来て表面化してきています。

これは好き嫌い、良い悪いでなく、得手不得手の問題です。

「飽きる」んじゃない。追い切れないんだ。

「推し」文化、そして2010年代以降に生まれた新しいオタクムーヴメントに、バーチャルYouTuberを通じて初めて触れた自分は、たまにしんどくなります。

 

爆速で過ぎてゆく情報量。

「箱推し」。「エモい」。

 

かつてのオタク文化の中なら、同じ話を何度でもして楽しく過ごせましたが、今はちょっとした流行なら2~3日も経たずに移り変わる時代。

ガムみたいにずっと噛んでいたものがスナック菓子のようになっています。

 

加えて、「箱推し」。

'00年代までは、アイドルでも単一推しが主流、といった感じでした。「同担拒否」なんて言葉も生まれたりして、「個」に向かう傾向が強かったように思います。

しかし今や、推しのそれぞれが閉じ切らない半開きの関係性を結んでいるおかげで、「推しを知るにはよりたくさんの人を知らなければならない」という状態に置かれています。

1人の「個」に向かい「同担拒否」なんてやるより、「箱推し」として色々な人に興味を持てる人こそが、結果的に推している人のことを一番よく知ることが出来るのかな、と。

SNSも発展して、推したちの関係性が見えるようになってきたのも大きいでしょう。

 

そして「エモい」。これですよ。

「エモーショナル(emotional・感情に動かされやすいさま。また、強く感情に訴えるさま。感情的)」を語源とする略語ですが、オタクの言う「エモい」って、パリピの言う「エモい」と違って少し独特で、「関係性」と「思い出」の中で生まれる感情を言う気がします。

ほらKMNZのリズさんがこうやって言ってるみたいな。(違う)

https://twitter.com/kmnzliz/status/1055824147144564737?s=21

 

あとバーチャルのじゃロリ狐娘youtuberおじさん(ねこますさん)が、VR上で初めてのらきゃっとさんに会ったときとか。

ずっとねこますさんは、のらきゃっとさんをねずみさん(のらきゃっとさんのファンの愛称)として応援しながら、VR技術者仲間・けもみみ仲間として繋がりつつ、共に歩を進めてきたわけじゃないですか。

そしてそのような旧知の仲でありながら、数ヶ月の時を経て初めて対面するんですよ。VR空間の中で。

俺は声を上げて泣いたよ。オタクの言う「エモい」ってコレでしょ。

 

VR空間で対面と言えば、アレもコレもソレもエモすぎて俺は無理。感情が感情になる。

 

にじさんじJK組(にじさんじというバーチャルライバーグループの中の女子高生三人組)が、あれだけ仲良いのに一昨日初めてLINE交換したのも尊い。ずっとLINE交換しようって話出てたもんね。「即どうでもいいLINE来た」報告もありがとう。

 

月ノ美兎さんが「みと夏」というライブイベントで電脳少女シロさんからメッセージをもらったときや、KizunaAIさんと初めてツイッター上でやり取りしたときも興奮した。

月ノ美兎さんが「Vのオタク兼Vの者」なのはファンには知られていたようだし、「みと夏」で月ノ美兎さんを知った俺も「いつも画面で観ていた方なので」の一言でそれを理解した。

あとKizunaAIさん、「美兎ちゃんって呼んでもいい?」って何ですか?? こちら限界オタク、頭抱えて悶えたんですけど……。

 

シロさんといえば、1周年記念のライブもエモエモでしたね。シロ組さん(シロさんのファンの愛称)と共に歩んだ1年間を体現したようなライブでした。

初めて歌ったときよりも上手になった歌。これまでの思い出を振り返る選択式のゲーム。バーチャルYouTuberの先輩であり共に頑張ってきた同志のKizunaAIさんや、成長した後輩の「アイドル部」の人たちを筆頭とする、メッセージの数々。そしてシロさん自身が、シロ組さんと歩んできて、シロ組さんを大事にしているんだってことが伝わるようなトーク。それと馬(ばあちゃるさん)。

 

あとなんだぁ? 樋口楓さんのオリジナル曲も作者みんながそれぞれ「今までの樋口楓さん」を表現していてエモエモのエモだし、それを言えば月ノ美兎さんの『Moon!!』もモロやん? 「夢のバーチャルアイドルへ」って歌詞で始まる曲を歌って、頑張って覚えたであろうダンスを踊って、「皆さん! 見てください! わたくし、まるでアイドルみたいじゃないですか!?」って最高すぎたよな? 俺たちの中ではずっと前からアイドルだよ。KizunaAIさんや輝夜月さんのオリジナル曲も全部感情になっちゃうし……。

 

それから、ヒメヒナ(田中ヒメさんと鈴木ヒナさん)が、アズリム騒動(アズマリムさんが、本人曰く事務所を不当に解雇されそうになったのを、耐えかねてツイッターに暴露した騒動)の後に出した『ロキ』のMVで歌詞を「勘違いすんな ココロは人間だ」に替えたのも、思うところはあれどエモいなあと。

 

ね? 「推し」から最大限にエモさを摂取して楽しもうと思うと、「関係性」を知るために推し周辺も知らなきゃならないって思ってしまうし、「思い出」を得るためにずっと追いかけなきゃって思ってしまうわけですよ。

それ、出来る人には出来るだろうけど、苦手なタイプにはすごく苦手なんですよね。

 

俺も、「エモ」はめちゃくちゃ大好きなんだけれども、どうにも得意ではないらしく。

そりゃリアル友達との思い出話も「そんなことあったぁ? 俺は今を生きてるんで」って言っちゃうくらいの記憶力なので仕方ないのかもしれませんが、長期記憶の引き出しの建て付けが悪いんですよ。

 

そういう意味で言えば、たとえばおめがシスターズさんってそういうタイプのエモが少ない代わりに負担みたいなものも少ないんですよね。

コラボはするけど基本2人でやっているし、一話完結式っぽいところがある。サクッと観れて、その度にぶわーっと感想とか呟けちゃう。

 

だから反対に、俺はKizunaAIさんや月ノ美兎さんのことをあんまりツイート出来ない。

特に「KizunaAIさん最推し」とかって言っているのにあんまり喋らないのは、それだけじゃないけど、そういうこと。

観てはいるし、本当に大好きな最推しで、マジでかわいいししんどいけど、いかんせん半分以上追えていない。

そんな状態で語ることが果たして良いのだろうか? もっとよく知るべきなんじゃないのか。とか、そんなことを思うわけです。

 

月ノ美兎さんに至っては、もう既にほとんど追えていない。魅力溢れる人なのは分かるが、どうにもコラボが多く、また「配信」という形が俺には合っていないっぽい。

そもそもリアルタイムで何かを観ることが厳しいからテレビじゃなくてYouTubeを観ているのに、バーチャルライバーを追い始めるのが本末転倒なのである。昨日はKizunaAIさんの配信で力を使い果たしました。お歌配信のアーカイブまた観とくね。

 

というか、にじさんじはやばいわ。コラボが多すぎる。人数が何十人といる。にじさんじオタクも下手すると週1回くらい「追っかけすぎると疲れるから無理しないで」みたいな感じで同じオタクたちに呼びかけている気がする。異常事態では?

 

そんな感じで。

みんなどうやって推しを推し続けているのかなあ、とか思いながら、今日は筆を置くことにします。

それでは。ハッピーメリークリスマス。

食い方変えて気付いたこと。

こんにちは、ゼロサンです。


ものすごくどうでも良いブログです。

前に知覚過敏の記事を書きましたが、それくらいどうでも良い内容。


体重が23kg増えたという話を以前しました。

怪我で運動が出来ないために増えたのですが、これを減らさなければまた怪我が悪化するという理不尽が降りかかっています。

単に見た目が~って話なら、この状態でもしっくりくる自分の服装とか探したんですけどね……。


なので、食事の方法を変えてみたんですよ。

間食ナシ、コーヒーも無糖にして、あとはゆっくりよく噛んで食べる。量も減らす。

これだけで、週に3kg強痩せました!

(あとちょっとした腹筋運動でお通じをよくしました)


ただ、この食べ方、クソほどつまんないです。ホントにつまんない。特に、

・ゆっくりよく噛んでも言うほど満腹感を得られない。

・たくさん口に突っ込むほうが満腹感を得られる。

・しかしよく噛むためには少ししか口に入れられない。

・噛んでる間に何すればいいの? めちゃくちゃ暇じゃない?

・太りがちなのに低血糖になりがちなので糖分得られないと頭痛キツイ。


運動してなかったからずっとアドレナリン源を食事にしてたのに、食事がこんなにつまんないとつらい。

もうバーチャルYouTuberを観るしか人生の選択肢が残されてない。(結局それか)


そんな感じでダイエット頑張ります。

糖尿病家系だからね。余計にね……。


それでは。

恋と愛の違い。

こんにちは、ゼロサンです。

 

前回のブログで「恋はしているけど愛してはいない」 って言っていたのが自分で気になって。

恋と愛の違いというものを自分でも考えてみようかなあと。

 

そんな堅苦しいことを書くブログじゃないので、 出典がきちんとしてないことが多いことだけ留意いただきたい。 正直、かなりテキトーである。

 

まあ、例えば日本の「愛」の意味の変遷でいえば、 多くの文学者や哲学者が取り上げている。 俺は高校の現代文でそういうのを習った覚えがあるが、 元の文章を忘れてしまった。ちょっと帰ってから確認しよう。

かつての古典的な「愛」は「哀」と同義とされ、「愛らしさ」 とともに「可哀そう(可愛そう)」のような「憐憫」の気持ちを「愛」という言葉で表してきた。

その後、日本において「愛」 はより多義的な意味へとシフトしていく。仏教的な、欲深く、 断ち切るべきものとされる「愛欲」と、対比される「慈悲」。 キリスト教古代ギリシアを含む西洋文化的な「博愛」、「性愛」 。そして対象でいえば神話の「ナルキッソス」を語源とする「ナルシシズム(自己愛)」、多くの教えの中で重視された「家族愛」と「友愛」、近代社会で形成された「愛国心」 なるものまで、 愛という言葉の意味や使用方法は拡大してきたが面倒くさいので歴史はこの辺にしておく。

 

一方「恋」の使用方法は、その歴史を鑑みても「愛」 に比べてかなり限定的だ。それなのに、「恋」と「愛」 の違いを見分けることが難しいのは、なぜなのだろう。

 

最近聞いた言葉で、Sexy Zoneのマリウスくんの「お花畑でお花を摘むのが恋。 育てるのが愛。」というのがある。はあ、なるほどと感嘆した。 自分のものにしてしまおうというのが「恋」、相手のまま尊重し、 守ってゆくのが「愛」。ふむふむ。

 

あとこうも聞く。「恋は下心、愛は真心。」漢字の解説にもなるイカした解釈だ。

ちなみに「下心」はgoo国語辞書によると「1 心の奥深く思っていること。心底。本心。 2 心に隠しているたくらみごと。」だそうで、たぶんエロいことに限らず「自分に優しくしてほしい」とか「相手を試してやろう」とか「この人と付き合っていればステータスになる」 みたいなことも含まれるんじゃないか。知らんけど。

https://dictionary.goo.ne.jp/jn/97498/meaning/m0u/

しかしじゃあ「真心」の意味はというとこれも「真実の心。 偽りや飾りのない心。誠意。」とあってまた面白い。 読んでそのままなら「下心」の1の意味と似ているが、たぶん言葉の生まれた過程が違っているのだろう。なんだ、きょうだいみたいなものか。隠しているか隠していないか、つまり信頼して誠意をもって接することができているかというのが違いとなっているようだ。

https://dictionary.goo.ne.jp/jn/207793/meaning/m0u/

 

ほかにも、「恋は求めるもの。愛は与えるもの。」 あたりも有名だろうか。 これもセクゾのマリウス君に通ずるものがある。

 

そう考えると、前回の俺の「恋はしているけど愛してはいない」 という言葉はかなり微妙で、 俺は恋人に対して特に求めることはないし、 与えるものも何一つ持ってはいないのだから与えることもしないという……由宇霧さんの配信で「釣った魚に餌をやらない的な?」 なんて他のリスナーさんに言われたけど、かなりそれに近い。

下心かと言われても疑問が残る。何も企んではいないし。ただ、 本心を言わないでいるという意味では真心には欠けていると思う。

結局は、好きでいるだけで、 これ以上何も起こってほしくないのだ。ただそれだけなんだ。 結婚して一緒に暮らすことも俺にはできないし、 これ以上近付いてほしくもない。恋人に対して「近付いてほしくない」はひどいと思うが本心である。

 

一言では表しきれない気持ちがあるのに、その気持ちを「love」や「愛」という言葉で暴力的にまとめてしまうことで、 はみ出し者こそが自己表現を強いられ、個性を強調され、演じさせられ、時には罵倒され、時には「そんな愛はない」 とまで言われ、そして時には大切な人や自身をも傷付けてしまう。

――なんて話まで今飛躍して考えてしまったが、この件に関しては自分が悪い気がする。でもこれを「悪い」と言ってしまったら、誰かを排除してしまう気もする。まだわからない。

暴力をひた隠しにさせる効果を持つ「愛」や「絆」という言葉を嫌いながらもそういう言葉をコンセプトにしている推しのことは言葉に表せないくらい好きだし、でもやはり「愛」 とか「絆」とか「みんな仲良く」という言葉で「みんな」じゃない人を迫害してきたこの言葉自体を到底好きにはなれない。

俺にとって「愛」ってそういうもので、いろいろなものを内包しているからこそ無視できなくて、汚くて気持ち悪くて苦しくてしんどくて、なお求めていたものだったりするので、軽々しく使えないものこそが「愛」なのかなあ。っていう。だから軽い気持ちで使えるのが「恋」。

 

今回もまとめずに終わり。

それでは。

葛藤。

こんにちは。ゼロサンです。

今日は本当はね、惚気の記事を書こうと思ったんですよ。

どんなのかっていうと、

 

彼はわたしの刈りあげた髪をざりざりと撫でる。

わたしにはそれがいつもより心地よい音に聞こえる。

 

 

※惚気あります。

※基本的に俺は受身な上に結構なクズです。

以上、苦手な方はブラウザバック。

 

こんにちは、ゼロサンです。

 

クリスマスシーズンですね。

毎年この時期になると、ロマンティックラブイデオロギーを持つ人たちに、「恋人出来ないの?」とか問い詰められたりして、とてもつらい思いをします。

しかし今年は、例年とは違う年になりそうです。

 

俺はシスジェンダー(出生時に割り当てられた医学的な性別と、性自認が一致している人)ではありません。

俺は異性愛者ではありません。

俺はフレイセクシュアル(親密になるほど性的欲求がなくなる恋愛のあり方)で、またリスロマンティック(片思い指向)です。

でも、戸籍の性と反対の性の恋人が出来ました。

 

(中略)

 

人間関係上は距離を取る俺ですが、物理的接触は大好きです。

俺は髪を一部刈り上げているので(そのせいで男だと思われる)、その関係で頭を触られました。

 

ざりざり、ざらざら。耳元で聞こえるこの音が心地よくて、いつも自分でも思わず触ってしまいます。ASMRの音源にしたいくらい。

でも、やっぱり人に触れられるのはなんだか少し違いますね。

 

いつもこの髪型は、家族には貶されたり冷やかされたりし、周囲の誤解を誘うような、生活上はちょっと煩わしいもので、俺のこの髪型が好きなのは俺くらいかなと思ってました。

 

でも相手は、何も言わずに、ひたすらざらざらと撫で続けました。

 

全部分かってるのかもしれない。気にしないようでいて、ずっと気にしてくれているのかもしれない。

 

 

 

俺は今後も恋人に対してのスタンスは変わらないでしょう。

もしかしたらすぐにでも別れるかもしれないくらいのことを思ってます。

そのときは、そのとき。でも最低限、その日が来るまでは、好きでい続けたいし、大事にできる分だけはしていきたいです。

 

っていうやつ。

真面目に推敲して、「小説っぽくなったなー。『\ノロケポエムです/』っつって出すかー」と思って読み返して、吐きそうになりました。

 

痛々しいとかそういうことでなく、「痰壷おじさん(検索注意)」のコピペを読んだときみたいな、生理的な受け付けられなさ。

読み返して家に帰る途中、ただひたすらに吐きそうでした。だって、この文章は、まるで恋人のことを愛しているみたいだったから。

 

1つ気付いてしまったことがあって。

俺は、たぶん、恋人のことを、愛することが出来ません。

人として好きだし、優しくて良い人で、この人以外とは真剣にお付き合いすることも出来ないんだろうと思います。恋もしてました。

でも、やっぱり愛は無理です。ドキドキしたり、良いなって思ったりする瞬間があっても、どうしても愛し愛されることは自我への侵害だという意識を拭い得ない。

怖くて、気持ち悪くて、受け付けられない。入ってこないで。触らないで。こっちに来ないで。

 

以前、由宇霧さんという花魁バーチャルYouTuberの方に、この恋人とのことを相談したことがありました。

そうしたら、何とその相談を生配信にまで昇華していただき、たくさんの人と共に考えていただく機会を作っていただきました。

本当に感謝しています。

https://www.youtube.com/watch?v=9FHVoe7H-kI

 

何度も観返しながら、俺はどうすれば良いんだろうなと思います。

大抵、「相手と話せ」と言われるけれど、話し合わなくて済むならそうしたい。

心の深いところをいつか晒せるようになってから話したい。他の人にとっては今話せよってことかもしれないけれど、話せるようになってからにしたい。

 

人間のことはたぶん人並以上に好きです。興味もあります。でも、いざ迫ってくると、興味をかなぐり捨ててでも自分を守らなきゃと思うわけです。

薄情な人間だ、自分大好き人間だとかは何度言ってもらっても構いませんが、しばらくはこの状態が続きそうです。

 

俺はひょっとしたら、この恋人と別れることになるのかもしれません。

ちょっとまだ、感情が動揺していて、結論を出すことが出来ません。

ひとまずお話ししておきたくて、混乱しながらも綴ってみました。

 

今日のは本当に雑感です。

それでは。