zer0-san3’s blog

zer0-san3.hatenablog.comの漢字かな混じり墨字文バージョン。

障害者の生きている意味。

 

こんにちは!ゼロサンです。

突然ですが、こないだこんな話を聞きまして。とてもショッキングな話なんですけれども、もしよろしければ聞いていただきたく思います。

「社会に役割を果たさない障害者は、生きている意味がない。」

この言葉について、皆さんどうお考えですか?

人によっては、反論出来ない人もいれば、ふーん、で済んでしまう人もいたり、そんなこと言ってる人ダサいな、と感じたり、絶望的な気持ちになったりする人もいると思います。

この言葉には、どんな根拠があるでしょうか?或いは、(あると信じたいですが)この言葉を批判し得る根拠はあるでしょうか?

まず、生物学的な合理性を見ていきましょう。

よく根拠として示されるのは、ダーウィンの進化論です。学校の理科の授業で聞いたことがある人も多いかもしれません。
適者生存、自然淘汰・・・・これらを聞いていると、まるで適応出来ない者は死んで、自然と淘汰されるべきだ、という風に聞こえるかもしれません。
しかし、実は違うんです。
ダーウィンは、「適応出来ない者は死ぬ『べき』だ。」とか、「自然に淘汰される『べき』だ。」なんて言ってません。
「適応出来ない者は、自然に淘汰されてゆく。」と言っているだけです。
『べき』じゃない。ただ、何もしなくとも、そう『ある』のだ、と言っています。
つまり、適者は自然と生存し、適者でない人は自然と淘汰される。
淘汰されない者が生きることを、邪魔せよ。という話では決してありません。

また、ダーウィンの進化論を科学的に正しいと思うのであれば、生物多様性という観点からも、障害者の生を否定することは合理的とは言えません。
生物は、たとえその時点では生きるのが苦しそうな性質を持つ個体だったとしても、環境が少しでも変わればその性質が優位になることがあるのです。
大体、近親での生殖やクローンが病気に弱いことからも分かる通り、似たような性質を持つ者しかいなかった場合、少しの負荷で種が絶滅してしまうこともあるのです。だからこそ、自然科学的な意味での合理性を考えても、より多様な性質が生きている方が良いのです。

参考
「【哲学】なぜ「役に立たない人」にも基本的人権を認めるべきなのか?−相模原の障害者施設・殺傷事件を受けて」
http://p-zombie.hatenablog.com/entry/on-sagamihara-incident

弱者を差別する自分は合理的である、という考えは、このように、あまりクリティカルな考えであるとは言えません。
生物学の範囲でクリティカルな差別主義を展開する唯一の方法は、今、学校教育で基礎知識となっている、ダーウィニズムを批判することです。

生物学という観点から離れて、社会科で習っている人も多い、人権の観点からこれを見てみましょう。
人権は、人間が人間故に享有する権利です。全ての人間が生まれながらに持っています。
元々は国家権力からの自由を求めたものでした。
キリスト教的な価値観から生じたと言われますが、今回はそれは置いておいて。

人は誰でも社会的弱者になる可能性が あります。
明日、事故に遭うかもしれない。
明日、一文無しになるかもしれない。
明日、病気が判明するかもしれない。
明日、一家の大黒柱がいなくなるかもしれない。
貴方の投資しているものの価値が、無くなるかもしれない。
貴方の属する属性が、被差別的な属性になるかもしれない。
明日じゃなくとも。

だからこそ、人権という考え方が、全ての人に必要なのです。

障害者にも、子どもにも、女性にも、性的少数者にも、ルッキズム的弱者にも、貧困者にも、低学歴者にも、被差別部落民にも、アイヌ民にも、在日外国人にも、有色人種にも、ホームレスにも、
健常者にも、大人にも、男性にも、性的多数者にも、ルッキズム的強者にも、富裕者にも、高学歴者にも、被差別部落民以外にも、本土のひとにも、国民にも、白人にも、住所のあるひとにも、
犯罪者にも、
そして、あなたにも。

「こんなに理屈っぽい言い方しなくても、人間なんだから生きてていいんだ!」と、仰るかもしれません。
むしろ、「こんな理論武装することこそ差別的なんだ!」と、仰るかもしれません。

ごもっともです。

でも、俺達は、少なくとも被差別的な人間は、一時的にでも、少しでも、理解を得なければならない瞬間があるのです。
かつてのフェミニズムのように、かつての(今もかも)LGBT運動のように、誰でも巻き込んで生きていかねばならないときがあるのです。
もちろん、こんなこと主張せずに、理解を得られたほうが、いいに決まってる。
だってかつてのそのような動きを見せた社会運動は、自分達のその理屈で自分の首を絞めて死にかけてるんですよ。

それでも。
俺達の中に、まだこの方法を必要としている人達がいるかもしれないから。
だからせめて、その人達に届きますように。
 
年末最後の更新でした。

(多分)