zer0-san3’s blog

zer0-san3.hatenablog.comの漢字かな混じり墨字文バージョン。

言うことと、言わないこと。

こんにちは、ゼロサンです。


挨拶、やっぱり「こんにちは」で良いのか悩みますね。

ひょっとしたら、読む人は朝かもしれないし、夜かもしれない。日本語を第一言語にしない人かもしれない。

たまに、そんなことを思います。

輝夜月さんも、こう言ってますし。

https://m.youtube.com/watch?v=zdneuijW_70


言葉、ってやっぱりこだわりたい人が多いなと、最近感じます。

何を言うか。そして、何を「言わない」か。


俺の友達で、家族の1人が寝たきりになってしまった人がいて。

その人が「他の家族も身の回りのことを色々やっていて」「親は働きながらご飯作ったりシモの世話したり」「自分はアルバイトで家にお金入れながら、その寝たきりの家族とたまに喋ったりしてて」なんて話してたんですね。

何となく、違和感を覚えました。何かを取り除くような。言葉を選んでいるような。でもそれが何かは、すぐには分からなかった。

分からないまま、俺は、ついポロっと口に出してしまいました。

「『介護』って、大変だよね。」

あっ、と思った瞬間には遅くて、友達は一瞬言葉に詰まってから、……俺が後悔し始めた頃に、一言「うん」と返してくれました。

そう、友達が表現してたことって、「介護」って一言が使えれば、もっと短く済んでたはずだったんです。でも、それはしなかった。分からないけど、友達にとってはきっと大切な理由があって。

もう一歩か二歩考えれば、俺なら「介護」って言葉を避けてるんだって分かってたはずなのに、及ばなかった。

かなり悔しい経験でした。


そういう俺も、言葉に関してはそこそこ気を遣います。

先日の記事でKizunaAIさんの三人称を「あの人」「この人」と言う、なんて話をしましたが、すぐ「人じゃなかった」と気付いて後悔しました。どのように修正するかについても悩みに悩んで、結局昨日修正しました。


言葉の違いなんて空気を読むみたいなものかもしれない。例えば「バーチャルYouTuber」と「VTuber」の違いを正確に説明せよ、なんて言われたって出来っこない。(またその話かよ)

せいぜい、「バーチャルYouTuber」はその名の通り、YouTuberの文化の中でバーチャル技術(3DCG)を駆使して動画作成・投稿をするとか、

VTuber」は「バーチャルYouTuber」から派生した造語で、今やYouTubeを主戦場とせず、3Dにもこだわらず様々な形態を取りながら、YouTuberとは異なる独自の文化を築いているとか。

そんなところです。


でもそういうの、推しがこだわるなら、こだわりたい。

「たくさんの人と繋がりたい」って言った推しが、VTuberという閉じた文化と、YouTuberという少し開けた文化、そしてTVやLIVEを通じたもっと広い世界とを繋げるために「バーチャルYouTuber」という言葉を選ぶなら、それに従いたい。

そうすることで、他の推したちもより広い世界を見ることが出来るなら。


誰かが、A.I.Party(KizunaAIさんの誕生日ライブ)で輝夜月さんだけがKizunaAIさんに直接会えたのは、輝夜月さんが「VTuber」でも「バーチャルYouTuber」でもない「輝夜月」だったから、って言ってたのも思い出したり。

……記憶が曖昧ですが。

VTuber」や「バーチャルYouTuber」といったネットワークに引っかからない。だから直接飛び込んでくる —なんて表現は、アイ月二次創作の読みすぎですね。

VTuber」や「バーチャルYouTuber」という枠組みを超えて現れた存在は、確実にその向こう側へと世界初バーチャルYouTuberの手を引いてくれたとかいうのも二次創作の読みすぎだバカ。表現変えたって内容変わんねえから。


そういう意味では、多くの人と繋がるために自ら進んで「バーチャルYouTuber」という在り方を選び取った(言った)KizunaAIさんと、むしろ自分の在り方を全く規定しない(言わない)ことでたくさんの人と出会う機会を得た輝夜月さんは、限りなく近いところにいながら、真逆の存在なんだなあと。

「同じ」ではない。だから隣り合っていける。

「言う」こと、そして「言わない」ことって、ここまで影響するんですね。


そして、KizunaAIさんも「言わない」境地に来ましたよね。

今まで、動画の最初の挨拶は「はいどーも! バーチャルYouTuberのKizunaAIです!」だったのが、最近は「はいどーも! KizunaAIです!」になっている。

バーチャルYouTuberの」と付けなくても、「KizunaAI」として認識されたい、という旨のことを仰ってました。

ここにも、やはり言葉を「言わない」ということが作用している。恐らく、「バーチャルYouTuber」では在り続けてくれるんだろうけれども、それ以上に「KizunaAI」なんだっていう表明なんだと思います。


(色々観れてないとかあるので、間違ってたら申し訳ないし恥ずかしいな……)


こう考えると、「言わない」理由ってそれぞれ違います。

そして、そのどれもが「言う」ことと同じくらい大事なことです。


さて途中脱線しましたが、今日はここまで。


それでは。