zer0-san3’s blog

zer0-san3.hatenablog.comの漢字かな混じり墨字文バージョン。

恋と愛の違い。

こんにちは、ゼロサンです。

 

前回のブログで「恋はしているけど愛してはいない」 って言っていたのが自分で気になって。

恋と愛の違いというものを自分でも考えてみようかなあと。

 

そんな堅苦しいことを書くブログじゃないので、 出典がきちんとしてないことが多いことだけ留意いただきたい。 正直、かなりテキトーである。

 

まあ、例えば日本の「愛」の意味の変遷でいえば、 多くの文学者や哲学者が取り上げている。 俺は高校の現代文でそういうのを習った覚えがあるが、 元の文章を忘れてしまった。ちょっと帰ってから確認しよう。

かつての古典的な「愛」は「哀」と同義とされ、「愛らしさ」 とともに「可哀そう(可愛そう)」のような「憐憫」の気持ちを「愛」という言葉で表してきた。

その後、日本において「愛」 はより多義的な意味へとシフトしていく。仏教的な、欲深く、 断ち切るべきものとされる「愛欲」と、対比される「慈悲」。 キリスト教古代ギリシアを含む西洋文化的な「博愛」、「性愛」 。そして対象でいえば神話の「ナルキッソス」を語源とする「ナルシシズム(自己愛)」、多くの教えの中で重視された「家族愛」と「友愛」、近代社会で形成された「愛国心」 なるものまで、 愛という言葉の意味や使用方法は拡大してきたが面倒くさいので歴史はこの辺にしておく。

 

一方「恋」の使用方法は、その歴史を鑑みても「愛」 に比べてかなり限定的だ。それなのに、「恋」と「愛」 の違いを見分けることが難しいのは、なぜなのだろう。

 

最近聞いた言葉で、Sexy Zoneのマリウスくんの「お花畑でお花を摘むのが恋。 育てるのが愛。」というのがある。はあ、なるほどと感嘆した。 自分のものにしてしまおうというのが「恋」、相手のまま尊重し、 守ってゆくのが「愛」。ふむふむ。

 

あとこうも聞く。「恋は下心、愛は真心。」漢字の解説にもなるイカした解釈だ。

ちなみに「下心」はgoo国語辞書によると「1 心の奥深く思っていること。心底。本心。 2 心に隠しているたくらみごと。」だそうで、たぶんエロいことに限らず「自分に優しくしてほしい」とか「相手を試してやろう」とか「この人と付き合っていればステータスになる」 みたいなことも含まれるんじゃないか。知らんけど。

https://dictionary.goo.ne.jp/jn/97498/meaning/m0u/

しかしじゃあ「真心」の意味はというとこれも「真実の心。 偽りや飾りのない心。誠意。」とあってまた面白い。 読んでそのままなら「下心」の1の意味と似ているが、たぶん言葉の生まれた過程が違っているのだろう。なんだ、きょうだいみたいなものか。隠しているか隠していないか、つまり信頼して誠意をもって接することができているかというのが違いとなっているようだ。

https://dictionary.goo.ne.jp/jn/207793/meaning/m0u/

 

ほかにも、「恋は求めるもの。愛は与えるもの。」 あたりも有名だろうか。 これもセクゾのマリウス君に通ずるものがある。

 

そう考えると、前回の俺の「恋はしているけど愛してはいない」 という言葉はかなり微妙で、 俺は恋人に対して特に求めることはないし、 与えるものも何一つ持ってはいないのだから与えることもしないという……由宇霧さんの配信で「釣った魚に餌をやらない的な?」 なんて他のリスナーさんに言われたけど、かなりそれに近い。

下心かと言われても疑問が残る。何も企んではいないし。ただ、 本心を言わないでいるという意味では真心には欠けていると思う。

結局は、好きでいるだけで、 これ以上何も起こってほしくないのだ。ただそれだけなんだ。 結婚して一緒に暮らすことも俺にはできないし、 これ以上近付いてほしくもない。恋人に対して「近付いてほしくない」はひどいと思うが本心である。

 

一言では表しきれない気持ちがあるのに、その気持ちを「love」や「愛」という言葉で暴力的にまとめてしまうことで、 はみ出し者こそが自己表現を強いられ、個性を強調され、演じさせられ、時には罵倒され、時には「そんな愛はない」 とまで言われ、そして時には大切な人や自身をも傷付けてしまう。

――なんて話まで今飛躍して考えてしまったが、この件に関しては自分が悪い気がする。でもこれを「悪い」と言ってしまったら、誰かを排除してしまう気もする。まだわからない。

暴力をひた隠しにさせる効果を持つ「愛」や「絆」という言葉を嫌いながらもそういう言葉をコンセプトにしている推しのことは言葉に表せないくらい好きだし、でもやはり「愛」 とか「絆」とか「みんな仲良く」という言葉で「みんな」じゃない人を迫害してきたこの言葉自体を到底好きにはなれない。

俺にとって「愛」ってそういうもので、いろいろなものを内包しているからこそ無視できなくて、汚くて気持ち悪くて苦しくてしんどくて、なお求めていたものだったりするので、軽々しく使えないものこそが「愛」なのかなあ。っていう。だから軽い気持ちで使えるのが「恋」。

 

今回もまとめずに終わり。

それでは。