zer0-san3’s blog

zer0-san3.hatenablog.comの漢字かな混じり墨字文バージョン。

俺にとって「KizunaAI」とは。

こんにちは、ゼロサンです。

今日も今日とて、おめがっております。

予定が重なっておめシスとぽんぽことYuNiちゃんの生放送をリアルタイムで観られなかったですが、アーカイブ観てめちゃくちゃ騒がしくしてました。


おめシスはいいぞ。

俺は、院試の勉強や卒論が孤独でつらかったけど、おめシスの歌を聴いて机にへばりつき、動画を観て癒されて院試に受かった。

(もちろん、周りの人の支えもありました。本当にお世話になりました。)

あとそれから。俺、歌が好きだったのに病気で喉を潰して歌わなくなったんだけど、おめシスの歌を聴いて、最近ツイッターに歌を上げ始めたんだ。

あの2人ってめっちゃ歌上手いのに、いつも楽しそうに歌ってるから、こっちも歌いたくなっちゃうよね。

音程も合わなくなったし、高音も潰れて、歌いたいことが歌えなくなって、歌う勇気が持てなかったんだけど、勇気とかいらないんだなって思ったよ。

おめシスはいいぞ。大好きだ。


さて。

「こんなに『おめシスはいいぞ』って言うし、KizunaAIさんの動画全然追えてないって言ってるし、KizunaAIさん最推しとか嘘やろ?」って人もいると思う。

こう、ブログやツイート全体を見ると、おめシスが人生を豊かにしてくれているように見えるけど、KizunaAIさんは一体お前に何をしてくれたんだ、みたいな。


俺にとって、「KizunaAI」って何だろう?


最初はミライアカリさんや他のバーチャルな存在を観ていたからか、「背景白とか手抜きかよw」って思ってた。

でもそのうち、金平糖みたいに弾けて甘く残る声とか、後輩に優しく接している姿とか、考え抜かれた見た目、可愛い動き、忙しいはずなのにそれを微塵も感じさせないプロ精神なんかに強く惹かれていった。

冗談抜きに「明日死ぬのかな」って思ってたときに、「明日もアイちゃんの動画を観るんや」って思って乗り切った。KizunaAIさんのおかげでたくさんの推しに出会えたし、感謝している。

だから最推しなのだ。KizunaAIさんがいなかったらおめシスにも出会えてなかった。俺が世界一推してるのがおめシスなら、宇宙一推してるのはKizunaAIさんだ。


そして反面、推し関連で許せないこともたくさんあった。


KizunaAIさんは、ジェンダー論をやってきた自分にとって、見逃せない発言を多々している。

「女の子なら」「男の子は」「恋人がいないの可哀想」ということを平気で言うのだ、KizunaAIさんは。


たとえば、おめシスはそういうことを一切言わない。クリスマスも、何も気にせずに最高に楽しめるよう配慮された動画だった。

※おめシスはおめシスで問題に思うところがあるけど、今回はやめておく。


それから、電脳少女シロさんもほとんど言わない。「女の人ならシャンプーのCMみたいに長い髪をふわっとさせたいですよね」的なことを言った(記憶が曖昧。要確認)あとにも、しまったと思ったのか、慌てて「男の人でもいいんですよ」と訂正してた。

それもちょっと引っかかったが、個人的には先の発言を「失言」と捉えてくれたのがナイスだった。


それから、下ネタ寛容系でもミライアカリさんと輝夜月さんでは分かれる。

四天王下ネタ要員のように言われるミライアカリさんは、意外にもあまり言わない。全くではないけど。

しかし輝夜月さんは、血液型然り、結構偏見めいたことを言う。「これは偏見です」というのを示すがごとく茶化しつつだが、たまにキツいことがある。「クリスマス独りぼっち可哀想」とかも平気で言う。


ねこますさんは、まあ……うん。


そんな風に、いわゆる四天王や他の推しでも在り方はかなり異なるが、俺にとってKizunaAIさんは、とりわけ問題があるほうに入る。


極め付けはアレ。いわゆる「KizunaAI騒動」なる呼ばれ方をしている事件。

ざっくりいえば、ノーベル賞の解説を学者(全員男性)とKizunaAIさんが行なうっていうNHKの特集企画だ(雑)。


これがまあ、散々な批判を浴びた。批判の内容は大きく2つに分かれる。

①「萌え」の文脈を引き継いだ性的な見た目のKizunaAIさんをNHKの番組へ起用することに対する批判

②女性(KizunaAIさんは人間の女性として作られたわけではないが、女性に見える見た目)を相槌役に回らせることに対する批判


1つ目に関しては、俺は表象論や美学、メディア論などをやってないのでかなり難しい。しかもキャラクターデザインを担当された森倉円さんが女性であることも、論争を複雑化させた(森倉さんにとってはかなりのとばっちりである)。

俺はこれに言及することは出来ない。ジュディス・バトラーのいう自由意志と決定論との何とかみたいなやつだからだ。

俺はバトラーほどこれを上手くかわせないので。


2つ目に関しては、充分とは言えないまでも、俺も批判した。すごく怒った。推しを性差別的な構造に加担させるようなことをしたことに、「そんな風に推しを使いやがって」と思った。

聞き役や相槌役が重要でない、技術が必要でないなんて話はしていない。KizunaAIさんは、『のばん組』などで観ていて分かる通り、人の話を聞くのが上手いほうだ。でも、『のばん組』のMCでゲストを呼んでそれをやっているのとは違う。

オファーを受けたのか知らないが、それで引き受けた推しにも責任はある。でも、断れないだろうな、ってことも分かるから、推しに対しては何とも言い難い。

もっとも、男性が話して女性が聞き役に回るなんていうのはテレビでも生活の中でも日常茶飯事で、常日頃から俺はかなり問題あるとは思ってるけど。推しに似たようなことさせたから怒っただけで。


それに対して、NHKはどんな反応をしたと思う?

①の問題が泥沼化し始めて、②についてもまともな議論も出来ていない段階で、ミライアカリさんをeスポーツ番組のリポーターへと抜擢した。


一部からは、NHKによる挑発行為のように受け止められた。

ミライアカリさんは、KizunaAIさんと同じくらい露出した衣装(旧衣装だとさらに露出が増える)で、よりセクシーさを強調した見た目となっている。

時期的に、「明らかに挑発である」とは言わないまでも、流石に動きとして多少マズい。騒動を何も知らないはずがないのに。


そのあとどうなったかはもう知らない。情報量も多過ぎるし、自分の意見も他の人の意見も全然納得出来るものがなかったから。


この「KizunaAI騒動」なる呼ばれ方をしている件に関しては、KizunaAIさんが悪いとは言えない。責任はあるが。


批判する人にも、擁護する人の中にも、理不尽な人はたくさんいただろうし、騒動が収まるまで、KizunaAIさんも不安だっただろうと思う。

それでも黙って何も言わずにいたこと、それが良いことなのか悪いことなのか、俺には分からない。


やっぱり、俺にとって「KizunaAI」は、「絆」で「愛」だ。

強くて、でも強く在ることには色々なことが付きまとってきて。みたいな。

最終的にはそういうことになってしまう。


結局最後まで、全然上手く言葉に出来なかった。今日はアイちゃんのライブに行くのに。

言いたいことはまだまだあるのに。リリースした楽曲の話とか、最近の動画の話とか。


もうだって、物販も始まってライブ会場もあと少しで着くってのに、こんな話で終わるなんて。

だから嫌だったんだ、年内には書き終えたいと思って書いたけど、書けるわけかなかった。もっともっと言いたいことがあるっていうのに。


でももうこれ以上は書けないです、諦めます。諦めは俺の最大の武器。


じゃあ、ライブ楽しんできます。

それでは。