zer0-san3’s blog

zer0-san3.hatenablog.comの漢字かな混じり墨字文バージョン。

あけまして大真面目な話。

こんにちは。ゼロサンです。

あけましておめでとうございます。

(大遅刻)


Count0、最悪で最高のイベントでしたね。おめシスはいいぞ。

この年末年始は脳みそが沸騰して限界オタクになりすぎたので、今日はもうバーチャルYouTuberの話抜きの、クソ真面目な話をします。


伊勢神宮へ行ってきました。1人で。

本当は、彼氏も時間が空いていたので、もしかしたら行けたのかもしれませんが、1人で行ってきました。


前は「恋」は良いけど、「愛」は無理なんて話をしていました。

でも何となく、それだけではない気がしていて。これまで、曲がりなりにもお付き合いしたことが、一度や二度でなくあったから。


今の「彼氏」と、これまでの人たちの何が違うんだろうと考えたときに、1つ思い当たったのが、

「彼氏」は「男性」だけれど、これまでの人たちの中に誰1人として「男性」はいなかったことかな、と。


「男性」に迫られたことは、ないではないです。

でもその度に、怖いことや、嫌なことを経験してきました。

無論、「男性」全員がそういう人ではないということも分かっています。それでも、これを語らずして先には進めません。


これまで迫ってきた「男性」は、とても怖かった。

リアル用のツイッターで絡んできた「男性」は、会ったこともないのにいきなりサシ飲みに誘ってきた。俺の「女子大生」というラベルしか知らないのに。

Facebookで出会った「男性」は、俺の顔写真をしきりに求め、住所まで調べ、「家に行く」とまで言っていた(Facebookでは詳細な住所は公開していない)。

現実世界でも、突然俺の乗ってる車のことについて話しかけてきたと思ったら蘊蓄を垂れ始め、「僕の友達がこの車種に興味があるらしいから」とまた会う約束を取り付けようとしてきた「男性」もいた。

挨拶もなしに、道端で電話番号を渡してきた知らない「男性」もいる。人通りの少ない、工場裏の駅までの近道。もう二度と通っていない。


まあしかし俺の感覚としては、今まで「その程度のこと」でした。

そういう「男性」は、生まれたときから、身内という形でずっと側にいたし、そいつに比べたら全然良い。上手くあしらうこともできるし。

周りからは、「俺が同じ目に遭ったらもっと怖いだろうな」と思うことも聞いていました。

だから、こんなことが何かに影響しているって気付かなかった。

そして誰よりも、そんな「男性」たちの気持ちが分かるのは、俺自身でした。


俺の中に、どこか、ミソジニー(構造的な女性嫌悪)な部分があります。

立場の弱い人間、自分に逆らえない人間に対する支配的な……それはやっぱり「愛」だと思っていました。

だから「愛」の中にある「強さ」が、俺は本当に大嫌いでした。

構造的に、男性性を持つ「男性」から、社会的には「女性」の位置に立たされる人に対して向けられる、「愛」の名の下の「支配」が本当に大嫌いでした。

そして俺は、人に対して支配的な「愛」を向けてしまうことに悩みながら、それを向けていたのは常に「女性」とされる人たちだけだったことにも気付きませんでした。


一方、これまで曲がりなりにもお付き合いが出来た(といえるのか分からない)人たちはと言えば、そうして俺を脅かしてくることはありませんでした。ただ単に「好き」を伝え合えて、「会いたいね」と言い合えて、無理に会わなくとも好きであり続けられる。

この、支配の関係にない「好き」の関係を、今まで「男性」と築けたことはありません。


今日突然このことに気付いてしまって、上手くまとまらないけれど、これからこのことに向き合わないといけないと思います。


本当に上手くまとまらなかった……。

それでは。