こんにちは。ゼロサンです。
SS書きあがりました。色々な方が続きを待っててくださって、非常に有難いと同時に、お待たせして申し訳ない気持ちでいっぱいです。
加えて、一個人の妄想SSにしては、多くの方からご協力をいただくこととなりました。本当にありがとうございます。
今回は、3作目にしてあとがきを書きます。あとがき、だなんて偉そうだなと自分でも思いつつ、どうしても書きたいことがあるのです。
いつもツイートで書いてしまいますが、鬱陶しいことになっているので、読みたい人だけ読める用にブログに洗いざらい吐いておきます。
あとがきの構成は以下のようにいたします。
・今回(3作目)、えがかなかったこと。
・今回、えがいたこと。
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・余談。
以上、よろしくお願いいたします。
えがかなかったこと
まずはこちら、えがかなかったことから。
いつも、おめシスのSSを書くにあたって、必ず意識していることが2つあります。
①テーマの中でKizunaAIさんを登場させること。
②すべてのリオちゃんに「レイちゃんと楽しく過ごしたい」という思いが遺伝子レベルで刻まれていること。
(そしてすべてのレイちゃんに「リオちゃんには自由に楽しく過ごしてほしい」という思いが遺伝子レベルで刻まれていること。)
今回、①は えがきませんでした。
これまでであれば、1作目の『「おめがシスターズ」になる日。』では「KizunaAIさんはαだから、私たちはΩでいこう」というふうにKizunaAIさんを登場させています。
そして2作目『リオちゃんが過去の自分に電話する話。』では、KizunaAIさんの楽曲の歌詞を引用し、またはそれ自体をテーマとし、一部アンチテーゼとしながらえがいています。
(KizunaAIさんの楽曲はすべてエモーショナルで良いものなので聴いてください。)
例えば、本文中の「ほんの少し顔を上げてみる」は、そのままKizunaAIさんの『future base』の歌詞から引用しています。
また、KizunaAIさんが楽曲中で「ひとり」を歌うことへのある種のアンチテーゼとして(アンチテーゼは対立概念という意味であり、反抗的なニュアンスを示す「アンチ」とは違います)、リオちゃんが帰り道で歌う曲では、おめシスが歌った『ニブンノイチ』の歌詞を引用しています。
どちらが良いとかではなく、在り方の違いをえがきたかったんです。
これは、おめシスがKizunaAIさんをリスペクトしており、また姿勢に関して意識している部分があることを鑑みた、俺なりの「リスペクトに対するリスペクト」です。
更に言えば、いつもKizunaAIさんについて上手く言葉に出来ない部分を補うために、「おめシスを通じてKizunaAIさんを描いている」という要素もあります。
今回、おめシスを通じてKizunaAIさんをえがかなかった理由は、この3作目があまりにも個人的な解決のために書かれたものだったからです。
初めは「好きなことで生きていく。」の姿勢について、KizunaAIさんとの対比を行ないながらえがいていこうとも思っていました。
しかし、今回のSSを書いている間に、自分の中で少し衝撃的な気付きがあり、それゆえに続きが書けなくなってしまいました。そして、書けないなら、その気付きごと全部SSに投げ込んでしまえということで、KizunaAIさんについてえがくことをやめました。
KizunaAIさんに関しては、同様の形で別の衝撃的な気付きをしていたため、織り交ぜてえがくことがとても難しいと感じましたし、推しを2組も巻き込むわけにはいかなかったからです。
今回①をえがかなかったのは、そういうわけでした。
えがいたこと
一方で、②及び関連事項に関しては、かなり大々的にえがいたかなと思います。あるいは、過剰なくらいにというほうが適切でしょうか。
俺の書くSSではリオちゃんが主役になることが多いので、いつもハッキリと文章にしています。
1作目では「ぶっちゃけ私は……(中略)レイちゃんと、2人で楽しいことが出来れば、何だっていい。」といった形、2作目では「楽しいことがしたい。レイちゃんと、久々にゲームがしたいなぁ。」といった形でえがかれます。
今回の3作目も、クライマックスシーンで「レイちゃんとさ、楽しいこといーっぱいできたらなって、思ってるよ。」という台詞が登場します。
ここに関しては、ぶっちゃけただの妄想で願望です。何も目的はなく、ただそうあってほしいと願って書いているだけ。
そして、おめシスの関係性を完成させるためには、②の()内が効いてきます。
レイちゃんは以前、『のばん組』にて、「生まれ変わったらリオちゃんになりたい」と言っていました。
あんまり記憶にありませんが、確か「楽しそうだから」のような理由だったと記憶しています(間違っていたらすみません)。
羨んでいるというか呆れているというか……ともかく、リオちゃんがそうであることを少しでも「いいなぁ」と思っているのであれば、きっと「リオちゃんにはそうであってほしい」と思っているのだろうなと。
一種の願望投影と言いますか。
この辺りは薄ぼんやりと思っており、密かに意識していたことでもありましたが、相互さんとのリプの中でハッキリと言語化出来るようになりました。
レイちゃんは、リオちゃんに楽しくあってほしい。リオちゃんは、レイちゃんと楽しいことがしたい。
すなわち、2人ともが一緒に楽しくやりたいように過ごしていれば、どちらの願望も叶うことになる。※片方は俺の妄想です
そうすることで、関係性が完成するようになっています。
少なくとも、これまではそのようにえがいていました。
(現実のおめシスがそのようにして関係性を完成させているのではなく、あくまで、俺がSSを書く上ではそのように関係性を完成させているということです。)
過去に電話するやつとか、「タイムテレフォン」とかいうこの世の法則を無視したものを自作してまで当時のリオちゃんを救おうとするレイちゃんは、ひょっとしたら一歩間違えればかなりヤンデレかもしれない。くらい、過去のリオちゃんを不自由な生活から解放したかったんだろうと。
加えてリオちゃんは、質問箱にて「レイちゃんの好きなところを3つ挙げて」と言われたときに、以下を挙げていました。
⒈頼りになるところ
⒉好きなことには全力なところ
⒊なんだかんだリオのこと大好きなところ
すべて尊い答えの中で、特に今回は⒉に注目してえがきました。
つまりリオちゃんは、好きなことを全力でやっているレイちゃんが好きだから、レイちゃんには好きなことをしていてほしいのではないかと。
リオちゃんがいつもレイちゃんのガンダムや遊戯王の話を聞き、趣味に付き合っているのも、この⒉が理由だと考えれば妥当性があります。
なので、今回は②も えがきましたが、それだけではなく、②’とでも言いましょうか、とにかく少し違うことも混ぜてみました。
レイちゃんと楽しいことがしたいだけでなく、レイちゃんに好きなことをしてほしいリオちゃん。そしてリオちゃんには自由で楽しくいてほしいレイちゃん。
これらの思いをえがくことで、2人の関係性を表現出来たらと考えていました。
あくまで、したかったことです。実際にえがけていたのかは、読んでいる方次第ですし、自分にそこまでの技量があるとまでは思えません。
というか……このあとがき、SS本文を書く前に書いちゃったんですが、紙面(紙じゃないな、液晶面?)の都合上その辺を強調して書けていない気がします。無念。
まあ、あとはクライマックスシーンのイケメンリオちゃんが書きたかっただけです。はい。
リオちゃんはファンからリプで「泣いた」って来ると、必ず「泣かないで」って言ってくれるんです。それはファンが手の届かない存在だからで。自分の手の届く姉だけは、甘やかしたいんじゃないかと思って、「泣いてていいよ。」って言わせました。
あっ、忘れるところだったんで追記!
リオちゃんが『シルエット』を歌っているシーンについて。
『シルエット』は、おめシスの削除された歌動画の1つであり、当時はリオちゃんの最新のソロカバーでした。
まだ当時は今ほどおめがっていなかった俺でも、この『シルエット』のリオちゃんの格好良さに打ちひしがれ、『青いベンチ』とともに惚れ込んで何度も聴いた覚えがあります。削除となったときはとても悲しかった。
作中でリオちゃんは、「覚えてないこともたくさんあったけど」の部分を歌っています。
この意味について、俺の拙いSSでの表現ではなかなか伝わらないと思うので、稚拙ですがどうか補足させてください。
『シルエット』は、1番2番のサビの最初とラスサビ(大サビ)の最初が若干異なっています。
1番2番は「覚えてないこともたくさんあった『だろう』」です。そして、リオちゃんが作中で歌っていたのは「覚えてないこともたくさんあった『けど』」、つまり大サビです。
大サビはこのあと、
「きっとずっと変わらないものがあることを / 教えてくれたあなたは消えぬ消えぬシルエット / 大事にしたいもの持って大人になるんだ / そんな時も離さずに守り続けよう / ……」
と続くわけです。
レイちゃんの地の文で説明されている通り、作中のリオちゃんはこの大サビまでを鼻歌で歌い、大サビから最後までをきちんと歌います。
本当は歌詞ぜんぶ書きたかったけど、それはさすがに長さ的によろしくない。
重要なのは、リオちゃんが大サビをすべて歌ったことです。
それが、リオちゃんがレイちゃんを想う気持ちを象徴している、という表現のつもりでした。
双子だから、影のように側にいて、対等に、鏡写しに在り続ける。
もう一個言うなら、名前の呼び方ですが、これはもう好きに解釈してください。この部分は、他の言葉に変換出来ないです。
幼い頃は一人称自分の名前だったとか。レイちゃんはリオちゃんの名前を呼び捨てにしてたとか。その辺。
今回のあとがきとしては、このくらいでしょうか。
SS及びあとがきのご高覧、またこれまでのご協力につきましても、本当に本当にありがとうございました!
それでは。
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余談
余談に移ります。ヘドロみたいなものなので、目を通さなくて構いません。
今回のSSを書くにあたって、苦しんだこと。
まず自分語り失礼いたします。そこが気付きの起点なので。
唐突ですが、俺は家族に関してあまりいい思い出がありません。
特に親。そして、きょうだい。
小さな頃から、俺の親は基本は放任主義でした。褒めてくれない。代わりに、テストの点などの外部評価では叱らない。
しかし、細かい日常的なところは怒ります。寝るのが遅いとか、食べるときに噛んでないんじゃないかとか。
そして更に、過保護です。門限もある程度あるし、深夜に出掛けてはいけない。アルバイトもつい最近まで禁止されていました。また、財布の中身にまで口を出します。
矛盾しているように聞こえるかもしれません。放任主義と過保護は対義語です。
でも、極端なものって逆に似ているとは思いませんか?
前にも言いましたが、俺のこの状況を見て、多くの人は「羨ましい」「愛されている」と言います。
基本的に放任主義なぶん自由度が高く、その上で心配されているから、と。
でもそうじゃない。
この親は、俺を見ているわけでもなければ、信頼してくれているわけでもない。いつまでも「子どもだから、自分がどうにかしなきゃ」と思っているだけ、親という権威性に甘えたいだけでした。
ずっとこれがしんどかった。
こんなものを「愛」と呼ばれて肯定されることが、たまらなかった。
自分が「親」でいるために俺を否定していたくて、本当には俺を見てくれていないことがつらかった。
いつまでも1人の人間としては見られない気がしました。
加えて、奔放な姉と怠惰な兄を見ていたので、「いい子でいなきゃ」という気持ちを抱えながら思春期を過ごしました。
反抗期に反抗したくても抑え込んでいたせいか、自我を上手く作り上げることが出来なかった。
陳腐でありふれた話だけれど、そのせいで歪んだのも確かです。
姉は俺をつまらない人間だと思って見放したし、兄は俺を延々と話を聞き続けるロボットみたいに扱いました。癒着というか、依存というか。
家族に関しては、そんな感じです。
自分を見てもらえない。見てもらえるような「自分」を作ることが出来ない。
認めてもらえない。褒めてもらえない。
好きなことが出来ない、のみならず、自分の好きなものが分からない。
ここまで見ても、やっぱり笑っちゃうくらい陳腐ですよね。バカみたいに。
どこにでもある話です。
それから。
俺は幼い頃イタズラ好きだったので、どっか行かないように手は繋いでもらってましたが、それ以外での触れ合いはあまりありませんでした。
上2人が大変すぎて、親も末っ子を構っている余裕なんてなかったんでしょう。
恥ずかしながら、自分の中に、未だにその頃の小さな子どもがいます。
綺麗なニュアンスで受け取られると不本意なので、一応言っておくと、「子どもは純粋無垢だ」なんて言説には反対です。
子どもとして救い出されたいと願うような、この胸の内に巣食う気持ち悪さを吸い出して欲しいと思っています。
象徴的なこととして。
さっき書いたような「よく噛んで食べなさい」「早く寝なさい」とかは、今でも言われるんです。
情けないことに、そう言われると泣きたくなって、怒りに震えてしまう。
めちゃくちゃよく噛んでるよ。見てもいないのに好き勝手言いやがって。頑張ったって信頼してくれないのに偉そうなことを言うな。早く寝ろって、俺の身体なんだから自由にさせろよ。人のことコントロールしたいんだろ。
怒らないで。
キッツイですよね。もう二十代も半ばですよ。
たぶん、一番見てほしい人に見てもらえず、一番認めてほしい人に否定ばかりされてきた結果なんでしょうね。
さて、長々と前置きをしてしまいましたが、ここから余談の本題です。
最近気付いたこと。
おめシスって、自分が家族に求めていたものの完成形なんじゃないか、と最近思ったんですよ。親でもきょうだいでも何でもいいから、レイちゃんやリオちゃんのような存在が欲しかったって。
誰よりも側にいて、お互い思いやり、好きでいながらも、「個」として尊重して、癒着せず、好きなことは好きと言い、いらないものはいらないと言い、お互いをよく見ていて、分かり合える。
お互いのことは否定しない。やりたいことを肯定し認め合える。
時にはケンカもするけど、きちんと仲直りできる。
そういう最高の関係性は、Vの者たちにも何人か見られますが、中でも、俺が欲しいと思っていた関係性に一番近いのがおめシスでした。
だから、今回のSSでも存分に書き殴ってます。
好きなことを好きなだけしてほしいと願うリオちゃんも、自由に楽しんでほしいと願うレイちゃんも、俺の中にいる子どもに手を差し伸べてくれる存在として。
お互いを思うあまり、対等にケンカして、素直になって、仲直りする。そういう、本当のきょうだいみたいな……。
推しをこういう風に使うことが不毛なのは重々承知の上で、理想がそこにあるなら書かずにはいられなかった。
人にとってはただ多少てぇてぇ日常風景にしか見えないようにも思いますが、その日常が欲しかったんですよ。
だけど喉から手が出るほど欲しいと思ってるのは今の俺じゃなくて、子どもの頃の俺で、過去の話。
つまりはまあ、二度と手に入らない、創作の中でしか求められないものだ。と、思って書きました。
人は、思春期に手に入らなかったものを一生追い求めるなんてツイートを先日見ましたが、俺にとってはこれがそうなんでしょう。
アイちゃんのときにも言ってた、「気持ち悪くて触りたくもないけど、喉から手が出るほど欲しいもの」。
だからしんどかった。理想をえがけば救われるなんてこともなかったし。
マジで体調に影響出るくらい精神の具合が悪くなって、でもこれ書き終えなきゃ自分はどうにもならないなって。
そんなわけでした。めっちゃ「具合悪い」言いまくってて申し訳ない。
こんな気色悪い文章を、最後までお読みくださってありがとうございます。
ぐちゃぐちゃした文章の中に「おめシス」って出て来ると、なんか爽やかでシュールですね。
それでは。