zer0-san3’s blog

zer0-san3.hatenablog.comの漢字かな混じり墨字文バージョン。

【消える前に】某騒動について。【言ってしまおう】

こんにちは、ゼロサンです。

某ちゃんねる掲示板のスレタイみたいになってしまった。

今回は、いわゆる『キズナアイ騒動』なる呼ばれ方をしたはるか昔のことについての意見を書きます。

一度ツイートしようとしたんですが、ハチャメチャ長くなったので、その下書きをほぼ転記という形でこちらに上げさせていただきます。

お見苦しい点もあるかと存じますがご容赦ください。

 

キズナアイ騒動』なる呼ばれ方をしている例の件を今煽るように蒸し返しているオタクに言いたいんですが、俺は未だに「森倉さんは子持ちの女性だぞ」と引き合いに出してきたオタクのことだけは絶対に許せそうにない。

 

もちろん「世界で通用しないぞ」という批判に関しては、日本と世界の違いを認識せずに世界という場を安易に持ち出すこと、世界に通用するかどうかが争点でないことという意味で誠実さを欠くので多くの場合俺も批判的だ。

それに「萌え絵」が完全に男性による異性愛規範的な表現であるかには疑問が残る。

 

「萌え絵」の変遷には、オタク文化を支えてきた女性の影響も少なからずある。

「オタク」は元々特定の属性を持つ「男性」への蔑称なので、厳密には「オタク女性」は存在しないが、現在のオタク文化の発展には「オタク女性」的な存在は欠かせない。

 

話はそれるが、特撮やアニメを元来好んでいたのは女性だったというと驚くだろうか。特撮やアニメの歴史を遡る上で、女性研究者は避けて通れないほどいる。

特撮やアニメのファンに男性が増えてきた経緯は置いておいても、その頃に形成された、女性に好まれる「カワイイ」は、確実に萌え絵へと引き継がれていると俺は考える。

 

なので「萌え絵」の中にどれだけ男性による異性愛規範的な性的要素が含まれるのかは、もっと細かく分別していく必要がある。想像以上にナイーブな作業となるだろう。

それをあんな形で雑に語られたことが、議論の泥沼化の第一歩だったことは、恐らく確かだ。

 

でももっと目に見えた泥沼化の原因がもう一つあって、それが森倉さんを引き合いに出したことだ。

「萌え絵は男性による異性愛規範的な『文化』である」という批判に対して、森倉さんという『個人』の名前を出すことは卑劣極まりない。

誰が悪いということでなく、何が悪いということを言っているのに。

 

そのことに悪気があるかどうかが問題なのではなく、また悪気がなかったとしても、分かっていなかったとしても、俺は許す気にはなれない。

 

この騒動が本当に問題だったかという話を抜きにしても、女性だってミソジニー(構造的な女性嫌悪)を抱えることがある。

それは個人の問題でもあるかもしれないが、まずは構造を批判しているのだし、そして個人の属性は大きな問題ではない。俺はそうやって森倉さんを引き合いに出したオタクを許さない。

 

「世界で通用しない」に対して「議論のスケールや論点が違うぞ」という批判をしないのも不誠実だと思う。

「通用したじゃん」じゃ、問題があるとは言わないが、不充分だ。おかしなことを言っている相手に同じ土俵で戦ってはならない。

 

一方で俺は、「萌え絵」の中には男性による異性愛規範的な性的要素も含まれていると考える。そこにはミソジニックなものや、ルッキズム的な要素もあるだろう。

しかしまだまだこれっぽっちも詳しくないので語ることはできない。メディア論やリプレゼンテーション、分析美学的な話は全く分からないので学んでいる最中だ。

 

公共の場に適するかという話であり、まるまるすべて規制の話ではなかったはずだが、そういった話にまで飛び火してしまって大変なことになっていたと思う。

泥沼化、石の投げ合いの中に割って入っても酷くなるだけだと察して出ていった俺のことを「逃げた」と表現することも出来るし、事実そうだ。

 

まともな議論ができそうになかったので逃げてしまった。だから今、深く学んでいる最中である。

今回は、消える前に今分かっていて思っていることをまとめられたらと思い話したけれど、またしばらくは黙る。ずっとずっと気になって調べ回っていたが現時点ではこれ以上のことが難しい。

 

以上、言いたかったことでした。

 

それでは。