zer0-san3’s blog

zer0-san3.hatenablog.comの漢字かな混じり墨字文バージョン。

優しい人間に生まれたかった話。

こんにちは、ゼロサンです。

昨日今年1年の振り返りをしたのに、今日もブログを書きます。


ふと、今年は「優しい人間に生まれたかったなぁ」と、もがきながら過ごしていたことを思い出しました。


優しい人間に生まれたかった。人のことをよく想像して、思いやって、寄り添って、出来ることをやる。そんな当たり前なことが、すごく難しい。どんな人にも難しいのだろうけれど、人からお叱りを受けるレベルで、難しい。

良い人になりたかった。デリカシーのある人になりたかった。状況を見て、必要なことを取捨選択できる人になりたかった。視野の広い人になりたかった。デキる人になりたかった。心の綺麗な人になりたかった。臆することなく、人に好意を伝えられる人になりたかった。人の良いところだけを見つめられる人になりたかった。苦痛から上手く逃れて、その逃れる方法を人に伝えられる人になりたかった。自信を持って人を救える人になりたかった。人を許せる人になりたかった。誰かのために生きられる人になりたかった。人の役に立てる人になりたかった。「ありがとう」を言われる人になりたかった。

なりたかった。実際には、何一つ持ってやしないのに。


最初から、優しい人なんていないのかもしれない。『フルーツバスケット』でも、「人は優しさをもって生まれてこないんだよ。やさしさは、体が成長するのと同じで自分の中で育てていく心、良心なんだよ」と言っていた。

もしそうなら、どうして俺の中では、上手く育たなかったんだろうか。

みんな、どうやって優しさを育ててきたのだろう。俺には、みんながその芽を最初から持っていたように見えてならない。


少し機能不全な(と言っても虐待はない)家庭に生まれたのがすべての発端だったのか。罪の意識なく人から時間を奪い、居場所を奪い、自尊心を奪う。自分にとって当たり前な日常を過ごしてきたことが、当たり前なことのできない自分を生んだのかもしれない。だから、優しい人に生まれることが出来なかった。芽を枯らしてしまった。


そうして心だけが未熟なまま、身体だけが成長してしまった。

実際には、悪いこともたくさんした。人も不用意に傷付けた。どうやって立ち回ればいいのか分からなかった。幼少から「視野が狭い」と叱られ続け、そのまま大人になった。何の能力もない人になった。嫌な自分を見つめて、心には鬱憤が溜まったままだ。どうすればいいか少しでも理解出来たときには、臆することなく伝えられる言葉も、今はどうしていいのか分からない。人の良いところを見つけようとして、自分の嫌な面を見つめてしまう。苦痛から上手く逃れたつもりで、実際には目を背けているだけだ。自信もない。許せるだけの度量もない。誰のためにもならない。人からご指導を受けても生かすことに時間がかかる。役に立たないどころかお荷物、面倒を引き起こす疫病神だ。結果、「ごめんね」を言うだけの存在になっている。


アンバランスな心を保とうとして、最低なことすらやってのけた。何度も。そういう自分を忘れようとしたし、許そうとすらした。自分の味方でいられるのは、自分しかいないと思った。

孤軍奮闘しているつもりでいたけれど、実は違う。周りに優しい人が多い今、自分がしたことを一番忘れちゃならないのは自分だし、一番許しちゃならないのも自分だ。その上で、「優しい人になりたい」と切実に願いながら生きていくのが、今の自分に必要なことなのだと思う。


そんなわけで、年の瀬に、抑うつな自分を少しでも瑞々しく目覚めさせるために、この記事を書きました。つまり完全に自己満足です。失礼いたしました。

来年こそは、少しでも、優しくなれますように。


それでは。よいお年を。(二度目)