zer0-san3’s blog

zer0-san3.hatenablog.comの漢字かな混じり墨字文バージョン。

今日の空について。

こんにちは、ゼロサンです。

今日は、おめシスの二周年生放送ライブビューイング上映会に足を運びながら、この記事を書いています。

元々は独り言のつもりだったので、そのつもりでお読みいただければと存じます。↓

 

最近、この焦燥感はなんなのだと思いながら、日々を過ごしている。焦っているのに、気持ちが重い。どうしたら晴れるのだろう、この気持ちは。

そんな思いを抱えながら、おめが団主催の二周年生放送ライブビューイングの会場へと向かう。飲む気でいたので、もちろん電車でだ。しかも今夜は地下鉄を使う。最近何かと電車を使うことが増えてきたものの、地下鉄に乗るのは久々である。

 

名古屋市営地下鉄は、地下鉄の名を冠しながらも、いくつかの主要駅周辺においては地上空高くに位置する空中地下鉄道となる。名古屋特有の地形が生んだ、愛知県七不思議のひとつだ。というのは今考えた。

そんな状態だから、地下鉄に乗っていながらも、窓の外に視線をやれば空が見える。間もなく名古屋市営地下鉄のひとつの主要駅である赤池に到達しようという頃、ふと顔を上げた。当然、この流れからいって、空が見えるのである。ああ、電車から空を見るのは久しぶりだなぁと思いながらぼんやり眺めていて、先程の重い気持ちが過るのを振り切るように、イヤホンをつけて『シンクロニティ』を流した。『シンクロニティ』は、おめシスの初のオリジナル曲だ。

 

ここのところ、どんよりとした空模様が多かったけれど、今日はこんな良き日に似合う澄んだ色をしている。2人が歌う空も、こんな空だったらいいな。VTuberにとっての「空」とは、『透明声彩』であり、『Sky High』であり、そして『シンクロニティ』なんだ。カラフルで、透き通っていて、夢と未来の象徴であり、すべてが始まる場所。それがこんなに綺麗であったならいいな、と。

まぁ、それくらいしか考えることがなかったといって差し支えない。ここのところ、かなり塞ぎ込みがちだったから、少し余力がなかったのだ。せめて、今は楽しむしかない。ブログも書いたし、絵も描いたからな。

 

そう、最近はなんだかんだと絵を描いている。元々は絵を描く人ではないのだが、絵を描く人のキャスなんかを眺めていると、不思議と「ああ、そうやって描けばそれっぽく見えるのか」「そのツール初めて知ったなぁ」「意外な組み合わせで意外な色を使うんだな」と、絵を学びたい気持ちで見てしまう。

特に最近は、何となく色遣いに注目している。どうやったらその配合でそんな色になるんだ……、髪の毛に三色以上使うのか……!? と愕然としながら。

お絵描きは初心者どころか、まずほとんど描けない。描画に一切馴染みがない。正確に描くことも困難であれば、「それっぽく」描くことなんて尚更である。

しかし、ハマりこんでしまったものは仕方ない。向いていなくても、楽しいものは楽しい。おかげさまで、普段の生活の中でも、「この色は何色から出来ているのだろう?」と考えるようになった。

 

ちょうどこの空の色も、そうだ。青は青でも、その中には様々な含みがある。そろそろ夕焼けに近付く頃の空は、青緑色と、少し赤みがかった紫色が混ざり合っている。

ふと窓の外から視線を外して上を見れば、求人サイトの広告が貼られている。色としては鮮やかな水色で、新たな門出とフレッシュな新卒の雰囲気を表すのに相応しい色だ。ひとつ言い方を変えれば、これは空色といっても間違いではない。空を表す色は、爽やかで夢のある未来を見せてくれる希望の色である、というのは、世間の共通認識のようだ。

 

そうして、もう一度、実際の空を眺める。何層もの色が重なった空の色は、そう一筋縄ではいかない。ほとんど快晴と呼んでもよいほどの空に浮かぶひとつの雲にさえ、青みがかった白、灰色、ブルーハワイのアイスのような鮮やかな青緑色、そしてパープルの意味での紫色と、たくさんの色を見つけることができる。細かく分ければもっとだろうが、そこまで目は肥えていない。ぼんやりと眺めながら、「もしこの空を描くなら、あの境界線は、エアブラシでぼかすだろうな。雲の上層は指でぼかして、下層はRGBでいえばあの辺の色にするのかな。」と、……言語化出来ない辺りまで考えて、やめた。やめたというより、それ以上考えられなくなった。

 

やっぱり私はたぶん、言葉にするのが好きなんだと思う。空の色から感じたことを、色として表すよりも、言葉を使って全身に、五感に訴えかけたい。

あの空の色からは、夕方の少し寂しい雰囲気と、春に向けて優しく、青々しく、しかし冬の名残からか、乾燥でツンとした空気をも感じる。時節も時間も、時と名のつくものはすべて空に表れては消えていく。だから人間の気持ちも、ゆっくりと移り変わっていく。色即是空、空即是色……、じゃないけれど、すべてが「今」ではないし、「今」がすべてじゃない。

あのひとつだけ浮かんだ雲の下には、何があるんだろうな。ここから、どのくらい離れているのかな。そう考えると、「ここじゃないどこか」が確実に存在していて、それを繋いで「ここ」にしてくれるのがこの空なんだろうな、とか、訳もなく考える。そうだ、絵を描くようになったって、考えることは、結局あんまり変わらない。

 

そういえば、これは上映会が終わったあとに書き足しているのだが、今日の上映会中になごり雪が降ったそうだ。いつかどこかの空の話が、こうして言葉によって繋がる。私にとって、「空」にあたるのは何で、誰なのだろうか。

 

それでは。