zer0-san3’s blog

zer0-san3.hatenablog.comの漢字かな混じり墨字文バージョン。

#ヘルエスタ国営放送 たすけて好きになる

 こんにちは、ゼロサンです。

 今日は、頭の出来上がった限界オタク文章でお送りしたいと思います。

 

 皆様ご存じなかったかと思いますが、実はここ最近、「これは恋では?」と思うほどにハマっているライバーさんがいます。そのライバーさんとは、にじさんじに所属されている、ヘルエスタ王国の第二皇女、文武両道学園主席人望激アツ、リゼ・ヘルエスタさんです。

 フォロワーさんには完全に隠し通せていると思います。うんうん、完璧に隠れオタクだな。なんか最近リプライで「皇女ならMOTHERの配信いいよ」と勧められたり、エアリプで「皇女にハマってて草」と言われたり、マシュマロで「この切り抜きオススメですよ」と送られてきたり、「ツイートでもツイキャスでもずっとその話してるけどもう好きじゃん」って言われたりするんだけど、どこでバレたんだ?

 

知った経緯

 知ったきっかけは、ほぼニートだった今年の3月のことでした。長時間のライブ配信アーカイブで、ニートな私のこの胸に灯る虚しさを押し流そうと思い、YouTubeのオススメを乱暴にザッピングしていた頃です。

 私はホラーゲームの実況が大好きで、よく観ています。リゼ様に出会ったのも、ホラーゲームの『Visage』配信アーカイブでした。

 第一印象は「この人こんなに面白い人だったんか!?」でした。にじさんじの人は当時あまり観たことがなく、リゼ様のことはお名前とお姿のみ存じている状態でした。周りからも情報をあまり得ておらず、何も知らない状態での初見が『Visage』だったため、その並外れた言語センスとリアクションの面白さにまず惹かれました。

 しかしその後は就活に奔走することになり、リゼ様のことを観る時間を失ってしまったので、しばらくは観ることができなくなってしまいました。

 

 最近個人的に時間ができ、視野を広く色々と観ようと思い始めました。そこでホラーゲームの新しい実況を観ようと探していると、アーリーアクセス版としてチャプター2まで収録されていた『Visage』が、10月30日に正式にリリースされたことを知りました。

 そこでぼんやりと思い出しました。「ホラーが苦手な人で、このゲームを面白おかしくプレイする天才がいたな」と。それが今回、私がリゼ様にハマり込んだきっかけでした。なので、この記事では、特に前提が書かれていない文に関しては基本的にホラゲ実況について触れています。

 

 さて、次項からは、私が個人的に感じたリゼ様の魅力について綴ります。

 関連動画等は記事の末尾に記載しますので、気になったアーカイブがある方はそちらからどうぞ。

 

言語センスと反射神経

 リゼ様の存在を思い出してから、『Visage』の配信アーカイブを改めて観ました。いやめちゃくちゃおもろい。リアクション、ツッコミ、プレイング、トーク、その全てが天才的に面白くて、鋭い。基本的には常識人なのに、あまりにも高い言語センスを持ち合わせているため、ぶっ飛んでる。緩急つけながらも、数分ごとに面白い。ホラゲは特に恐怖による火事場の馬鹿力で思考速度が速くなっているので、びっくりするほど早いツッコミを入れていくところがほんと好き。

 『Layers of fear』で、ネズミ捕りの動きに慄き「めちゃめちゃ重力シミュレータ働くじゃん……!! そんなになんか、デバッグ中みたいな動きすると思わなかったわ……(重力シミュレータじゃなく物理演算でした)」とかスラスラそんな語彙が出てくるのすっごい好き。

 アクション要素のないホラゲなのに絶対クリアリングしてくのとか、「下にいると特に、上で待たれてると撃たれるから」と階段から距離を置いたりとか、ヘッショ(ヘッドショット)警戒のステップを踏んだりとかめっちゃ好き。ヘルエスタ物騒なんか? 治安大丈夫?

 一個一個のものに対してリアクションしていくのも丁寧で好き。「一応、勝手に人の家に入ってるから、調度品に対する感想くらいは言っておかないといけないかなと思ってさ……」という、丁寧さと、ビビりによるちょっとした呪詛に笑ってしまいます。だんだん大きくなる泣き声に「そんなクレッシェンドで泣く……!?」とか。コメントが一つ一つ秀逸。

 複数の捉えられ方がある言葉選びをしたときには、その後に必ずフォロー入れるの面白優しくて好き。「開くしね!?」って言った後に「今のは別にdie(しね)って言ったわけじゃないです」とか。そう、面白優しいんですよね……。

 反射で謝って三下ムーヴしてから「外交のコツは腰が低いこと」と言ったり、「いや四角形にも媚びるわ! 四角形に今後襲われたとき同じセリフが言えるか!?」とか、「これ下に崩れるよ! 間違いない! ……間違えたわ」とか、笑うお化けに「ギャグセンが違うみたいだな」って言ってるのも草。めっちゃ好き。

 ビビり散らかして思わずコードギアス関連の黒歴史の話をしてから、不意に冷静になって「今の嘘だからね? 私王家の人間だから反乱分子に憧れるわけないからと言い訳するの爆笑しました。トークが上手いせいだと思うけどそんな美しい笑いの流れある?

 「振り返るな」と書かれた血文字を見て、頑張って振り返らず歩こうとするも霊に捕まった際、「配信の振り返りをしちゃったからダメだったのかなぁ!?」とか言い出す場面で笑い転げました。んなわけあるか

 『夜勤事件』でお札をもらって主人公が貼り付けた後に「貼り方嘘だろお前、そんな怖い貼り方するぅ自分で……!? 綺麗に貼ればええやんかぁ……!!」ってツッコミする人初めて見ました。いや確かに。ゲーム内のセンスや仕様にツッコミ入れるの好きすぎるんだよなぁ。

 『つぐのひ~幽闇の並葬電車~』や『幽霊列車』などで通勤中のサラリーマンが受けてる(という設定の)パワハラの演技が完全に労基案件で、笑えるような笑っちゃいけないような。というか何でそんな詳しいんですか。

 ホラーゲームはきちんとリアクションして怖がりながらも、サクサク進んでいくところがすごいですね。私なんかは実況が好きでもプレイは怖いので、そういうタイプは怖がって立ち止まってしまいがちかなとも思うのですが、そうはならない勇気と強さ、観ていて気持ちがいいです。

 

お人柄の優しさ

 私はホラーゲーム配信を中心にアーカイブを徘徊しており、まだ雑談や他のゲームなどはそこまで観れていないのですが、それでも垣間見えるお人柄が良すぎて惚れました。

 しっかりとゲームの注意事項を最初に述べてくださるのはもちろんのこと、怖がっているのに、登場人物の気持ちを推し量ったり、たくさん悲鳴を上げたのに、ゲーム終了後に製作者の名前を読み上げて「グラフィックが綺麗だった」「ここのギミックが面白かった」と、息も絶え絶えながら具体的に紹介したりと、誠意をもってプレイしていることが伝わってきます。

 ホラゲは〈罰ゲーム〉や〈嫌がられるもの〉という文脈の中で楽しまれることもあり、その遊び方には私も一定の理解を示しています。ですが、怖がりなのにこうして、ゲーム自体を「嫌だ」と言わずに楽しんでいるのは、ホラゲ実況好きとしては、もうめちゃくちゃ嬉しい。真面目で誠実、かつほどよくゆるくて面白い

 『Layers of fear』で、主人公の妻を描いた絵が焼けたとき、ビビるかと思いきや「絵が……」と悲しげに見つめていたのも印象的でした。

 心を病んだ主人公に対して、一般的に考えられる言葉選びとしては「おかしくなってしまった」と言いそうなところを、「心に疲れが出てしまっていた」という表現をされていたのも、言葉遣いから滲み出る人のよさが好きだなぁと思ったり。「令和おじさん」の話で、「『令和』の文字に被りそうなくらい手話通訳が大きく映し出されていた配慮」について触れていたのも、アンテナの張り方が高感度で尊敬しかありません。

 あと悲鳴を上げるたびに「悲鳴ごめん」と毎度律儀に謝っていくの、「ええんやで」となりつつ「そゆとこも好き」となります。ホラーにはグロテスクがつきものですが、見ていて気分の良くないものが映った際には、持ち前の反射神経ですぐに下げて「ごめんね、見たくない人いたね」とリスナーを思いやるの、普段からきちんとしてないとこんな反応出てこないよなぁと思いました。

 もしかしたら当たり前のことで、私が配信者さんをほとんど観ていないために知らなかったのかもしれませんが、当たり前のことを当たり前に行なうのって、特にご本人の苦手分野の中ではきっと難しいことだと思うのです。私はリゼ様のホラゲ実況が大好きですが、ご本人は怖いのは苦手とのことで、どうかご無理なさいませんように。

 怖すぎて途中でマシュマロ読みを始めたときには、その間の取り方も含めて「面白すぎんか?」と思いながら観ていたら、回答の内容に惚れてしまいました(n回目)。「割と本気でガチ恋しそうなのですが、ヘルエスタ王国に消されたりしませんか?」という質問で、「オタクかつ配信者って信頼できるな…… すごく好きだな……」となり、なんというか助かりました……(?)真摯にリスナーに向き合っていく姿勢、本当に大好きです。でも不意打ちはずるいのでリゼ様の負け!

 「変なマロが届いているのでしょうか。純粋に応援している民もいることを信じていただきたいと思っています」という心優しいマシュマロが届いた際にも、「ここに届いているのはせいぜいこんなマロですよ」という形で笑えるクソマロを紹介した後に、民のことを信じていないときなど1秒たりともないから、安心してください。皆さんは本当に何も心配せず、配信を楽しんでください」と笑いながら即返していたのも、誠実なお方だと感じました。ここ最近変なマロ(告白怪文書)を届けているのは私です本当にすみませんでした。

 あと私が自身のマシュマロでフォロワーからご紹介いただいた雑談配信を観たんですが、中国語を喋れるようになった理由が、かわいらしく、ほほえましく、そしてお優しい。興味のあることになると好奇心を爆発させ、どんどん勉強していく姿には、教養も見て取れます。英語サラッと読めるときもあったりして、語学堪能なのかなとも思います。

 

深い教養

 教養といえば、『つぐのひ~昭和からの呼び声~』で、途中で怖すぎて社会科の資料集読み上げてるんかなレベル正確な昭和の歴史を早口で語り始めるの大声上げて笑っちゃった。教養とトーク力と人柄と反射神経とリゼ様の諸々の良いところが溢れ出ちゃってる。

 『Layers of fear』で「絵が好きで美術館に行く」「モネの絵見てきた」って皇族かな? って思ったら皇族でしたすみませんでした。ピアノのギミック触って超常現象起きたときに、触る瞬間「聴いてください、『月光』」って言った後のポルターガイスト中「悪かった。悪かったよ、ごめん。ドビュッシー『月の光』の間違いでお願いします」って反射で謝るのも笑ってしまう。国王陛下にチェスでボコボコにされた話も好き。

 それから、『天穂(てんすい)のサクナヒメ』で、チャット欄の指示厨を掻い潜りながら小学生のころの農業体験で聞いた話を詳細に覚えていてその通りに育てていくのも、幼いころから好奇心旺盛で真面目だったんだなぁと思わざるを得ません。

 『天穂のサクナヒメ』で言えば、1年プレイしてお米が出来上がった際の感動は、本当に素晴らしいものでしたね。個人的に、私が初めて通しでリアルタイム視聴出来たのが『天穂のサクナヒメ』の実況でしたので、この回にリアタイできて本当に良かったと思いました。作業ゲーでありながらも、あれだけ楽しんでお米を育てながら、難しいところや悩むところをリスナーと相談し合いながら進めていった先の黄金色の景色は、ゲームでありながらも本物の感動だったなぁと今思い返しています。

 それからこれも個人的な話なのですが、私も肉を食わない派なので、信心深さから肉を食わない田右衛門とそれを疑問に思う他の面子との会話に、「本人が信じたいこととか、信じてうまくいくと思うことは信じさせてあげてもいいんじゃないのか!?」と言うシーンもすごく好きです。

 

硝子のように澄んだ声

 こんなに好きになってしまったきっかけは、『layers of fear』の4つ目の配信アーカイブにて、冒頭から赤ちゃん言葉で話されたときでした。そういうのダメ。そういうのに弱い。

 元から可愛いのはわかっていましたが、澄んだ声と常識を持ち合わせている(と思っていた)人が急に赤ちゃん返りする面白可愛さがしんどすぎて思わず自分用に切り抜き作ったレベル。しかも何でちょっと恥ずかしそうなんだ堂々とやってくれないから惚れちゃったじゃねーかという理不尽な怒り(怒りではない)も抱いております。

 自分で書いといて「いやこの項で最初に述べるべきことじゃないだろ」というツッコミが浮かびましたが、どうしても声も喋り方も好きすぎて先に書いてしまいました。

 これ系で言うと、『Visage』でも好きなシーンがありました。『Visage』は、超常現象によって主人公が正気を失わないよう、正気度が下がったときには主人公を明かりのもとに連れていきながら進めていくゲームです。しかし、主人公があまりにもほんの少しの物音などに反応してしまい、すぐに正気度が下がってしまうので、半ば介護というかあやしながら進んでいくところがたまらなく可愛い。たまに部屋のドアなどを閉めるときに「ないないしようね」とか言ってるのもめっちゃ可愛い。

 あと滑舌すごいですよね。ゲーム中に出てきた新聞記事をびっくりするくらいの高速詠唱キメて滑らかに読み上げるのに驚くんですが、「超常現象イベント」を「ちょうじょうしゃげんしょうじゃjイベント」と言ったり、「メモの片方の切れ端」を「めまのかたはしのもうきれ」と言ったりと意味不明な言葉を作り出すの笑う。逆に言いづらいと思うのですが、どういう噛み方? 母国語?

 とにかく声が可愛いんですよ。鈴を振るような、純度の高いものがこすれ合わさって響くみたいな、耳に心地良い声。雑味のない湧き水のごとく、ご本人の仰っていることがとてもシンプルにまっすぐ伝わる声。こちらが何かをしながら聞いていても飛び込んでくるような、無邪気な声。

 あんまり「無邪気」と例えて聖人さを求めようとすると息苦しくなるなぁと分かっていながら、聴いていると憑物が取れて軽くなるような気がして、どうしてもその言葉以外で例えることが難しいのが悔しいところ。

 あとホラゲの悲鳴すごい。模範的悲鳴とその後の静寂、本当に怖がっているんだなと感じるので心が痛むのですが、同時に「めちゃくちゃ良い……」となってしまう複雑なオタク心。笑っちゃうくらい情けない声が出た時も「そんな情けない声出る!?」ってなってめっちゃ可愛くて好きです。

 それから、ボイスのコンプリートセットを先日購入いたしました。シチュエーションボイスはあまり得意ではなくて、支援の一つのためにという結構失礼な理由で買ってしまいました。買ったからには聴くのが筋だろうと思ったのですが、zipファイルを開けることが同人ゲーム以外では経験がなく、てんやわんやしながら「これでいいんか!?これ違うんかな」と触っていたら既に展開しているファイルを開いてしまい、急に喋り出すリゼ様に震え上がりながら格闘しつつ全て無事展開し終えました。ので今から聴きながら感想書きます。

 ボイスってやべぇ。配信よりも耳に直接届く。シチュエーションボイスは、かの「04_月ノ美兎ハロウィンボイス.mp3(出た当時、オタクがダイイングメッセージみたいにこのファイル名のみをツイートしていた事件がありましたね)」しか聴いたことがないので、まず圧巻の質量にやられているというのが正直な感想です。シチュエーションはよくあるものから、リゼ様らしいものまで様々ですが、シチュエーションに対する反応における好奇心旺盛さや知的な面、素直さ、お転婆さ、緊張しいな面などがバッチリ解釈一致すぎて好き。

 シチュエーションボイスって状況を説明しなければならない場面がどうしても出てくると思うんですけど、状況説明の言葉選びが素敵ネモフィラ、見に行くか。ちょいちょい「配信でも方向感覚なくなるとダメとかも言ってたもんなぁ」と、配信での発言とボイスの内容が重なることにエモを感じながら俺くんちょっとそこ代われ。おい。手。おい。

 夏真っ盛りボイスの「過密スケジュール? そうだよ?」の!!!!!!!! 声!!!!!!!!! それまでの甘い言葉や照れボイスも可愛かったのにこの一言に詰まった情報量なに??? 珍しくイタズラっぽいながらもまだまだ一緒にたくさんの思い出を作りたいという素直さが前面に出てる声の情報量なに??? あなたと一緒ならどんな弾丸トラベルでも絶対楽しい。好き。

 

軽やかな歌声

 それまでにもコラボのお歌は聴いたことがあったのですが、「ソロ聴いたら今以上に好きになっちゃうから勘弁して」という自分と「あの澄んだ声で歌われたらって思うとたまらんやろ?」という自分が壮絶な死闘を繰り広げた結果、再生ボタンを押してしまい、オリジナル曲だったこともあって、背中から駆け上がる高揚感に斬り伏せられました。

 いや……、心臓痛い。そりゃあの声が歌えばこうなるのは考えずともわかることなのですが、「私ってこんなに想像力貧困だったのかな?」とびっくりするレベルで想像の100億倍可愛い。なんだその軽やかで無垢な声は。羽根か? 羽根なのか?

 曲調は完全にロックなのに、ポップスかと思ってしまうほど踊って跳ねるメロディと、独特な音のハマりかた、まっすぐで澄んでいてワクワクするほど楽しそうな歌声に引っ張られて、バックの音源はこんなにキマってるのに「かわいい!!!」と悲鳴を上げてしまう。

 普通に発音すれば角が立つような音だって、綺麗な無声音や、「バスタブにバニラエッセンス数滴垂らしたかな」くらいほんの少し母音を強くした歌い方で、丸く撫でるように歌い上げていて、透明感があってこんなに心躍る声なのに尖っていない。可愛くユニークなのに優しいその人柄を表したかのような歌声に、惚れ惚れしてしまいます。誰が歌ってもこの曲はワクワクするだろうに、この曲を歌えるのはきっとこの声でしかない、この人でしかないと確信させる説得力があります。

 どうしても、歌を上手く歌いこなそうと力むと、音程にアレンジを加えて寄り道したくなっちゃうものです。でも、この曲も、リゼ様の歌い方も、「遊び」はあってもまっすぐで、素朴で外連味のない純粋さがそこにあります。声を聴くだけで好きになってしまうのも致し方なし。

 好きなところ挙げるとキリがないんですが、挙げてみます。「こんな声で生まれた理由って何だろう」「道の一つや二つは間違っても」の、一歩一歩考えて突き進んでいるような歌詞は、自我がおんぎゃあおんぎゃあしている私のような成人女性としては素で泣いてしまうんですよね。よくない、オタクにはこれはよくないですよ。よすぎて。ここの歌い方で救われる人だって私の他にいるんじゃないですか?「この部屋の隅はぼくの場所ね」の歌詞の絶妙なポジティヴさ、「へいっ」はもうみんな触れていると思いますがやっぱり可愛すぎる。「勇者になって~」のところで声がふんわりと柔らかくなったあと、羽根のように軽やかに歌い上げている中で唐突にやってくる「月はぼくの上で輝いて」のところの含みのあるドラマティックさは胸に迫るものがあります。「秘密基地」の無声音、好きすぎる。

 良い日に聴けばとてもワクワクできるし、しょんぼりする日にも、なんとなく前向きに、楽しくなれる。そんな歌声でした。

 

おわりに

 とにかくリゼ・ヘルエスタさんという人間のことを、日を追うごとに好きになるんだけど、どうすればいい? 具体的には何科にかかればいい? 好きになりすぎて日常生活に支障が出ているので、人を好きにならなくなる魔法教えてくれない? なんならそんな魔法かけられても好きでいられる自信あるけど??? リゼ様のどこが好きなん?」と聞かれたら、ここまで書いてきたことはもちろんのこと、「ひとまず今視界に入る範囲のリゼ様はすべて好き」と答えざるを得ない。

 アイコン見るたびに、別に毎日何か変わるわけでもないのに「今日も可愛いな……」となっているのでどうにかなってしまっているんだと思います。ツイート通知くると「はぁい今参ります!!」ってなる。ホンマにたすけて。

 でもオタクに「誰か助けてくれ」って言うたびに「このアーカイブあるよ!」って紹介されてバカヤロウそれはより好きになっちまうじゃねーか!! とキレ散らかす毎日を送っていて誰も助けてくれなくてつらい助けてほしい。

 ここ最近は「せや!マシュマロなら届くやろ!」という天才的なひらめきにより、1000文字ギリギリ怪文書マロを何度も送り付けてしまったり、「いや、普通に迷惑だろ……」と反省してやめたりとなかなか情緒不安定オタクここに極まれりな状況でして、一旦この気持ちを整理しようとブログに起こしたらこんなに時間がかかってしまいました。

 ブロックされたら…… いや通報されたら……(いつもその心配してんな)と思いつつ毎日を迎えておりましたが、これでスッキリ出来そうです。想いが良い形で伝わっていたら嬉しいですし、周りにもこの良さが伝わったらいいなと思っています。

 

 皆さんも、気になったら是非一緒に追いかけましょう。私が推しやオタクに通報されなければの話ですが……。

 それでは。

 

リゼ・ヘルエスタさん

YouTubeチャンネル

・ TwitterID

@Lize_Helesta

 

・ 本投稿内で紹介した配信アーカイブ

(↑サムネ超可愛くない……?)

 

ボイスはこちら↓

 

#おめシス おめがのハコちゃんについてお気持ち表明と

 

 こんにちは、ゼロサンです。

 

 先日は、バーチャル双子YouTuberのおめがシスターズさんからのプレミア公開で、おめシスのファンどころか、界隈中がざわめきましたね。

 

 というのも、おめシスの2人(?)から先日、重大発表が行なわれたのです。

 その動画を先に載せようか迷ったのですが、何が起きたのか分かりづらい人向けに、時系列で追ってきた私たちの見方をお伝えすべく、私なりに順を追って説明出来たらと思います。足りない点がございましたら、ご指摘お願いします。

 

バーチャル双子YouTuber「おめがシスターズ」とは

 この記事を開く人はさすがにおめシスのことくらい知っているよ、という突っ込みは置いておいて。一応ここで、私がどのようにおめシスをとらえて筆を執っているのかを振り返っておきます。

 おめがシスターズさんとは、姉のおめがレイさん、妹のおめがリオさんを主とした、双子のバーチャルYouTuberさんです。活動開始日は2018年3月5日、誕生日は11月5日で、活動開始から3回誕生日を迎えており、うち初年度と2年度目には、生放送を行なっていました。

 動画勢かつ個人勢のバーチャルYouTuberさんで、バーチャルを用いて、とにかく「おもしろい」ことを何でもしていくYouTuberさんです。バーチャルとリアルの交錯する動画や、VR機器、最新鋭のデバイスを紹介する動画、YouTubeコントリビュータとしてのYouTubeの新機能の紹介動画、また各々(主に姉のレイちゃん)の趣味に関する動画、歌動画などを投稿しています。

 例えば、原宿で女子高生にインタビューしたり。現実世界のものを食べたり。どうなってるんだろうと思うような、個性のある「おもしろい」動画は見ものです。

 

おめシスの「秋休み」

 時系列順と言っても、何から話し始めるか悩むものではありますが、一連の流れを追うには、まずはこの秋休みの動画からではないでしょうか。

 先述の通り、おめシスは誕生日のたびに生放送をしていました。しかし、今回は生放送を行なわず、事前に「お知らせがある」というアナウンスがあり、当日になると上記の「自分への誕生日プレゼントに1週間お休みをとる」というお知らせ動画がアップロードされました。

 これに対して、タイトルでびっくりして長期休止などを覚悟していたおめシスのファンも、「おめシスってここまでお休みせずに続けてきてすごい」と、安堵しつつも驚嘆しておりました。

 またおめシスもストック動画を放出するため、投稿頻度は変わらなかったことから、ファンとしてはお休みでなく、通常営業のようにも感じる1週間でした。

 しかし、このお休みの期間中、妹のリオちゃんの方にのみ宿題が課され(Adbeのソフトを使いこなせるようになるという宿題でした)、またエゴサもリオちゃんがほとんどを担っていたことから、一部おめシスのファンからは「レイちゃんは?」という素朴な疑問がほんのりと上がる一週間でもありました。また、中でも数名からではありますが、姉のレイちゃんの声色などから、体調を心配している声もありました。

 私はというと、投稿頻度や活動状況から、活動を見直す期間を設けることとなったのかと邪推しました。 長期休止や、活動方針の転換などが考えられ、予断を許さぬ状況であると勝手ながら身構えておりました。なので、2人へのリプライにも、「ゆっくり休んで」という内容のほかに、「よく考えて」という旨も、余計なことと知りながらも付け加えてあります。

 結果として、それは杞憂に終わりました。

 

YouTubeでのグッズ販売

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 秋休み中のストック動画第1段は、YouTubeでsuzuriを介してオリジナルグッズが販売できるようになった、という動画でした。これによってクリエイターは、YouTube上での新たな収益手段を持つことになります。

 FAN BOX、YouTube上での広告収入、またさまざまな案件を主な収益としていたおめシスに対し、新たな支援ができるようになったこと、 また新たなグッズを手に入れられることに、ファンは喜びを覚えていました。

 しかし販売されたグッズのラインナップを見て、ファンは困惑します。動画上でも「赤ちゃん用のスタイ」と紹介されていた、いわゆるよだれかけがそこに鎮座しており、意外なラインナップと「レイちゃんが〈スタイ〉という単語を知っていること」に驚くファンも見られました。

 

そして重大発表へ

 重大発表がなされたのは、秋休みも終わった、11月18日のことでした。

 いつも重大発表というと、しょうもないお知らせや拍子抜けするようなアナウンスをしてくるおめシスでしたが、リオちゃんが「今回はしょうもないお知らせではない」という内容のツイートをしており、ファンにも緊張が走ります。事務所所属か? ついにワンマンライブか? と、様々な憶測が飛び交いつつ、息をのんで20時のプレミア公開を待っていました。

 あまりの衝撃に耐えられず、ほとんど記憶にとどめておけていないのですが、その衝撃の中身は概ねこの2つに大別されます。

①    「おめがのハコちゃん」というリアル人間が今後の動画に登場することになった

②    おめがのハコちゃんがリアルな人間を出産した

 

①    について

 今回初登場した「おめがのハコちゃん」とは、おめシスによると、おめシスの動画や活動の総監督を務めてきた人物であるとのことでした。

 見た目は、おめシスのTシャツを着た色白の人間が、モニタのついたアマゾンの段ボール箱を、頭に装着している感じ。モニタには、ハコちゃんの表情をトラッキングした結果が表示されるようになっています。声は、姉のおめがレイちゃんに酷似しており、リオちゃんや、後述の動画ではにじさんじ所属の樋口楓さんにも声についてツッコまれていました。また、ハコちゃんが登場する際は、レイちゃんは必ず画面の外にフレームアウトします。

 おめがのハコちゃんが登場した理由についての説明は、「二人が所属していたプロジェクト〈upd8〉が解散することとなり、今後の活動で生身の人間が動画に登場する必要が出てくるから」とのことでした。

 

②    について

 次いで発表されたのは、おめがレイさんに声が酷似した「おめがのハコちゃん」が、出産していたという事実でした。ハコちゃんという存在は、おめシスファンにはある種のショックを与えるものでしたが、ファンとしてはこちらの方が衝撃的で、ハコちゃんの登場についての衝撃は、爆風の中の塵のひとつと消えてしまったような形になりました。

 先述の「秋休み」は、ハコちゃんが出産するための入院期間で、そのため宿題はリオちゃんにのみ課されていたというわけです。エゴサもほとんどリオちゃんだけでしたし、思い返せば、身体を張った企画は、ここ最近はリオちゃんが主体となって行なわれていました。

 

発表することに対しての2人の思い

 これらの事実を発表することに対して、動画内でも「賛否両論を生む」「発表するかどうか悩んだ」とコメントしており、ツイッター上でも同様の旨のことを言っていました。しかし、「体調不良など、ファンのみんなに心配をかけたくない」 という理由のもと、発表を決意したということでした。

 

赤ちゃん披露ドッキリ

 重大発表の次の動画で、「誰かに赤ちゃんを見せて驚かせたい」 ということで、にじさんじの樋口楓さんとディスコードを繋いでいきなりハコちゃんと赤ちゃんを見せるというドッキリのような企画を敢行していました。樋口さんがターゲットになった理由としては、

①    すでにコラボをしたことがある人

②    まだ赤ちゃんの存在について知らない人

 ということでした。同じ個人勢のバーチャルYouTuberのピーナッツくんと甲賀流忍者ぽんぽこさんは、先に赤ちゃんの存在を知っていたために、②の条件に当てはまらず、次にコラボしたことがあるのは樋口さんであるという理由から、彼女が選ばれました。

 樋口さんとは、以前に歌動画やカラオケ企画等でコラボしており、その際の人柄も評価されたものと思いますが、それらのコラボは2年前のことであり、本動画内ではしばらくぶりに会う知り合いに気まずさを見せる場面もありました。

 なお、この動画内での樋口さんのリアクションも必見なので、ぜひ動画を観に行ってください。私は手を叩いて笑ったと同時に、これは「バーチャル」というものに真摯に向き合っている人の反応だ、と思いました。

 そしてこの動画で、初めて赤ちゃんの姿が公開されました。顔はハコちゃんと似たような形でトラッキングされた表情を映しておりましたが、丸々とした身体つきをしており、よく笑い、場を和ませていました。

 

改めて……

 遅ればせながら、これまでおめシスを支えてくれていた、おめがのハコちゃん、ご出産おめでとうございます。赤ちゃんも、無事に生まれてきたこと、本当に喜ばしく思います。おめでとう。母子ともに無事で、元気そうで、何よりです。 動画には見せていないかもしれないけど、苦労もたくさんあったと思います。

 私たちには到底知り得ない痛みや悩みも耐え抜いて、赤ちゃんを産むこと、ハコちゃんの存在を含めてファンのみんなに共有してくれたことに、畏敬の念を禁じえません。

 そしてリオちゃんも、ハコちゃんを支えて、おめシスを支えてくれていて、それは他の誰にもできないことで、尊敬が絶えません。ありがとう。たくさん、ありがとう。

 2人とも、お疲れ様でした。

 他のことについては、ツイートなどでも書かせていただいたので割愛しますが、続ける決断をしてくれたこと、本当に、ありがとうございます。

 この1年は個人的な都合で、おめシスについて公に触れるかどうか悩むことが多くありましたが、今回の件で、改めてそのすごさを感じることができ、「やっぱり、もう一度ちゃんと応援しよう」と思うことができました。

 大好きです。おめシス、ありがとう。いつも本当にありがとう。何度伝えても足りません。両手いっぱい、胸いっぱいに抱えたこの気持ちが、どうか伝わりますように。

 私の想いはずっと変わらずに大きくなっていくばかりですし、2人からもらったものを、まだ返せていません。どうかこれからも、好きでいさせてください。応援させてください。よろしくお願いします。

 

ショックを受けた人

 さて、今回の件で、少なからずショックを受けた人もいると思います。その人たちについて、気持ちや存在を否定するつもりはありませんし、何ならひとつには、私もその一員かもしれません。

 バーチャルな存在に期待を寄せている人たちの中には、生身の人が出てくることと、「人が人を産む」という話題に対して、繊細な感覚をもってして、生々しさを感じてしまう人もいたかと思います。バーチャルYouTuberは、「アニメが生きている」という三次元と二次元の良いとこ取りをした存在だと捉えている人には、バーチャルYouTuber界隈全体に波及したこの話題に対して、ネガティブなショックを受けてしまった人もいるようでした。

 ネガティブなショックとは、「一定のロールプレイをしているバーチャルな存在たちも、その生々しさを持っているかもしれない」という、着ぐるみを疑うような恐怖心のことを指します。

 おめシスは、一定のロールプレイをしているわけではないので、この限りではないはずなのですが、それでも、バーチャルYouTuber界隈全体にとっては、今回の件は無視できないビッグニュースであったことは確かです。少なからず、影響もあったことと思います。

 だから不安になるのも、決して間違いということではなくて、納得できるようになるまで時間のかかることだと思います。無理に納得することでもありません。ただ、おめシスは、やりたいことをまっすぐに行ない、そして、やりたいことをしたい誰かの道しるべになりうるというだけで、界隈全体の脅威になるわけでも、あなたの持つ世界を脅かすわけでもないということだけ、覚えていてほしいと思います。

 また、創作界隈の人たちには、「おめシスは、おめシスの中で完結している関係性である」と捉えていた人もいました。私も、自分のおめシス二次創作の中に、おめシス以外の第三者をメインとして扱ったことはありません。コラボも、企業系Vtuberほど多く行なっていたわけではなく、2人でおもしろい動画を投稿するのが常でした。

 そのため、創作をするおめシスファンの中には、今回の件で、一種の罪悪感を覚える人も見受けられました。2人を自分の世界に閉じ込めてしまっていたこと、理想を押し付けてしまっていたことを悔いている人もいました。私は創作する人間の中でも、割り切っている方だとは思いましたが、それでも、自分の胸の内に何も起こらなかったと言うと嘘になります。

 おめシスは、創作に対して寛容で、特にリオちゃんは、「それもアリなの!?」という創作物に「いいね」をつけていたり、許可を出していたりする場面もありました。なので私も、かなり好き勝手させていただいていました。そのことについて、私自身は悪いことだとは思いませんでしたが、今回の件を受けて、 創作の方向性が、広い意味で変わっていくだろうことも事実です。

 これに関しては、どうしようもないことであり、創作人それぞれが、自分自身を許していくことしかできないと思います。私もそうしていくつもりです。

 他にも、おめシスの、特にレイちゃんにガチ恋している人(私も含む)は、失恋してしまっていました。これに関してはご愁傷さまです……。ともに傷をなめあって生きていきましょう。うん。

 

終わりに

 ここまで書いてきたのはあくまで、「私が見ているおめシス」でしかありません。皆さんから見たおめシスは、また違ったものだと思いますし、それぞれに、ここで取り上げなかったお気持ちもあると思います。

 おめシスに対するお祝いの気持ちを綴りたいとともに、少しでも誰かに引っかかって、想いを言語化する手伝いができればと思い、このブログを書きました。批判も厭いません。どうかこの文章が、誰かの役に立ちますように。

 

 それでは。

未確認動物うまぴ(ミカクニンドウブツウマピ)について。

 こんにちは、ゼロサンです。

 うまぴさんについて書き起こそうとしたデータが2度ほど消し飛びましたが、めげずに書き進めたら、いつの間にか今日になっていました。

 今日は、「未確認動物うまぴ」さんという方の、バーチャルライバーオーディションの最終日です。

 
 はい、今日は、彼女について綴っていきます。

 

「未確認動物うまぴ」とは

 Zoooガールズオーディションファイナリスト(※本オーディションはMIX CHANNELという配信サービスにて行なわれている、公開型Vライバーオーディションである。ファイナルの開催期間は 8/31から10/4まで)。

 「人間たちの毎日に1秒でも笑顔が増えんことを」をモットーに、主にMIX CHANNELで配信を行なう200歳の馬。主要企画に、テーマから募集したお便りを元にトークするラジオ「すやすやバー」がある。

 
そもそもどこで知ったん?

 元々は同じ推しを推す同志として、9ヵ月くらい前に知り合いました。オタク仲間、といった感じで、私のブログを読んでくださったり、私は私で彼女の作った配信切り抜きを観たり、彼女の書いた文章を読んだりしていました。

 そこから徐々に徐々に知っていくうちに、「この馬、多才で、行動力ハンパないな!」ということに気が付きました。あまりオーディション前のことを話すのもアレなので割愛しますが、勢いで面白動画作ったり、SS書いたり、イチから絵の勉強を始めてゴリゴリに上手くなったり。 推しの真似して高い食品乾燥機買ったり……。"型破り" な推し事の様子がクセになって、目が離せない。そんな印象でした。

 性格としては、突飛だけど羞恥心もあり、はみ出てるけど常識がある。そして何よりも、心を砕いて人を思ってくれる。そんな馬です。

 

 中でも特に印象的だったのは、そんな彼女から、一度、麻雀を教えてもらったことがあって。分かりやすく、面白く、かつ「これだけ出来れば麻雀始められるから!」と熱弁する心意気がすごいなと。1mmも麻雀なんて興味なくて、そもそもアナログゲームのルールを覚えるのにひと苦労な私が、「あ、楽しそうだ」とストンと思えてしまいました。

 

 彼女はきっとこれまで、たくさんの「やってみたい」と「楽しい」 を積み重ねて生きてきたんだろうなと思います。楽しいことをたくさん知っているから、 側にいると世界が少し明るく見える。そして、 人間社会で生きる上での甘くない経験に裏打ちされた優しさが、それを後押ししているようにも見えます。「楽しいこと、いっぱいあるよ」って言ってもらえたような、そんな優しくてワクワクする気持ちにさせる力が、彼女にはあります。

 世界が素敵であることを教えてくれて、あなたの見ている魅力的な世界を見せてくれて、ありがとう。そういうことを、遊びや場所だけじゃなく、人にも引き起こしてくれるから、うまぴの周りのにんげんたちのこともどんどん好きになっていきます。

 頭が良い、というより、人を楽しませるのが本当に上手で、エンターテインメントとしての頭の回転の良さがあり、お話してもよい範囲とよくない範囲をギリギリまで見極められる点を含めて、配信者として尊敬できると感じます。

 

 さて、そんなうまぴさんの生態(ではない)を、いくつかご紹介していきます。

 

うまぴさんの良いところその①

「メンタリティ」

 うまぴさんは、配信者としてのメンタリティがすごいです(感情に反比例する語彙力)。

 まず、モットーが「人間たちの毎日に1秒でも笑顔が増えんことを」。言うだけなら簡単ですが、実際に為していくのはそう簡単なことではありません。本当に実行できているのか、これはリスナーそれぞれに感じ方が違うことですが、私は彼女がこのモットーを曲げずに貫いていると思っています。

 後に説明しますが、彼女には企画力があります。企画のひとつひとつが、視聴者を巻き込んだり、観ていて楽しめたりするものばかりで、リスナーの「参加感」が高いです。

 『すやすやBAR』がその典型でしょうか。『すやすやBAR』とは、毎週月・水・金21時からの定期ラジオで、トークテーマに沿ってお便りを募集し、お便りから話を展開していく企画です。

 曰く「チャットだけだと初見さんが置いて行かれてしまうかもしれないから、流れを気にしなくとも気軽に参加できるものを」とのこと。実際、常連さんの長文から、一言だけのお便りまで、種々雑多なお便りが毎度届いています。24時間配信でも行なわれる『すやすやBAR』、最終回に是非参加してみてください。
 毎度、企画配信の初めにはどんな企画か説明をしてくれます。それが何度行なってきた企画でも。また、途中でリスナーさんが入ってきた場合には、その都度企画や現在の話題について言及してくれます。さらに、配信の中で生まれた言葉(「ナイサイ」=「ナイスサイコパス」、「リナ」=「リトルボックスナイス」など)や、一部の人にしか分からないようなVライバーさんの名前などがチャットで出るたびに逐一説明し、全員が取りこぼされないようにしてくれています。

 そのうえ、うまぴさんが噛んだときに指を差すスタンプを送る流れなど、リスナーにボケどころがあるのもポイント(本人は恐らく不服)。 「人を指差しちゃダメって習わなかった!? 何回言ったら分かるのあんたたち! もう! スタンプありがとう!」 とツッコミを入れてもらえます。

 上記は一例ではありますが、常連新規問わずリスナーの参加感が高く、分かりやすい配信を作ることで、みんなが楽しめる基礎を作っているのです。

 
 彼女が、公開型かつリスナーからの応援によってランキングが決まるオーディションで、「無理しないで」と言っているのは、決してこのオーディションが彼女にとって軽薄なものだからではありません。彼女は、「Vライバーになりたい」 という思いを確かにしながらも、「このオーディションに受かっても受からなくても、『未確認動物うまぴ』としての活動はしません。個人でVライバーになるつもりもありません」と、背水の陣でこのオーディションに挑んでいます。 

 きっと、だからこそ「無理しないで」というのでしょう。今後続けられないほどの支援をしてもらって、リスナーが楽しめないまま終わるのは、彼女の思う「配信者」 としてはあるまじきこと……と、思っているのかも。今後の活動を真剣に見据えているからこその「無理しないで」に、私も真摯に応えたいです。

 

 他のオーディション参加者や配信者の方にも気を配って、配信にその方々が来るたびに紹介したり、「是非配信行ってみてください」と言ったり、他の配信にアイテムを投げたり。人が彼女の枠に投げると、「敵に塩を送るような真似を」と言うのに、自分は人のこと言えてないところ本当にズルいと思います。

 

 あとは色々言ってたこととか言いたいこととかあるんですが、うまぴさんのnote読んでください(丸投げ)。

 下手に私が言葉にするより、よく分かると思います。

 

うまぴさんのいいところその②

「歌が上手い」

 私はいつも言うのですが、カバーソングにおける歌声には、性格が出やすいと感じています。歌は演劇であり、カバーソングは他者が感じたことを自分の言葉にして代弁するものです。他者の生を歌うとき、その心柄がより表に出る気がしています。

 他者の紡いだ言葉を、音を、自分の心に投影して歌い上げる。うまぴさんの歌声は、その点においても優しくて、ただ繊細なだけでなく、きっと彼女が生きることを楽しもうと思ったぶんだけキラキラしているのだと思います。だから、彼女がただ気分良さげに歌っているだけで、「ああ、なんかよかったなぁ」という気分になるのです。あんまり楽しそうだから、癒されるし、知らなかった歌でも好きになる。元々好きだった歌は、もっと好きになります。

 普段からにんげんたちに心を向けていてくれる彼女の歌を、その心柄を知るリスナーは素直な気持ち聞くことができます。少なくとも、私はそうです。人の心を掬いあげるように、見透かすように透き通った彼女の歌声が、好きです。

 うまぴの高音が好きです。息遣いが合わさって、楽器のように響き渡ります。なのに、温かみがあって、まるでそこにいるかのように、表情まで見えそうなほどクリアに聴こえます。夏のように爽やかな声質、かつ、質量のある歌声。寂しいときに聴きたくなる、そんな歌声です。

 低音も好きです。震えるような低音は、格好よくも、綺麗でもあります。少女と女性の間のようなその声を聴いていると、ゆったりと心を落ち着けることができます。

 ウィスパーボイスが好きです。器にいっぱいにした感情がこぼれるような声。 ドラマティックな歌声も好きです。普通、盛り上がりと艶に富むドラマティックな歌というと、迫力あるパワフルな歌声が似合うものですが、可愛く盛り上がって、安定感があって、気取った歌い方はしない彼女の声でこそ、そこに含まれるドラマを表現してくれると、胸に響くのです。

 彼女の歌唱技術は、歌声の透明感を邪魔しないし、むしろ調和がとれているため、そのすべてが彼女の歌声を綺麗な「音」にするための構成要素として成り立っています。

 大きな声が出せない環境に変わってからも、歌声は変わりません。マイクにきちんと音を乗せて、息遣いまで含めて曲を歌いこなしています。

 感想に対する柔和な態度と「まだまだ上手くなりたい」と言っている向上心の高さはギャップでもあり、前向きという点では「らしさ」でもある。そんな、彼女の歌に対する姿勢が、大好きです。

 

うまぴさんの良いところその③

「企画力」

 今回の24時間配信然り、企画力が抜群にあります。特に豊富なのはアナログゲーム。「ボブ辞典」という、カタカナ語を使わずにカタカナ語の解説をして、当てられるかどうかを競うゲームや、「かたろーぐ」という、あるランキングを設定して、出題者にとって何位に何が来るかを回答者が当てるゲーム、また「馬人狼」という、リスナーがうまぴさんのフリをしてお便りを投稿し、1つだけある “本物のうまぴさんの投稿” を当てた人が勝ちなゲームなど、さまざまなゲームを企画に盛り込んでいます。

 ほかにも、オーディション期間中には「サイコパス診断」 をしたりとか、いわゆる「ウミガメのスープ」 という謎解きをしたこともありました。「ウミガメのスープ」 とは、出題者から提示される一見おかしな文章を見て、回答者はYes/Noで答えられる質問を出題者に対して行ない、様々な可能性の中から、その文章の筋が通るような答えを導き出す「水平思考ゲーム」 です。

 「レストランでウミガメのスープを飲んだ男が、勘定を済ませた後自殺した。なぜ?」を代表例とする「ウミガメのスープ」は、「○○が~だから」と、回答が文章になるため、一言一句違わず答えを導き出すことは大変難しい謎解きとなります。うまぴさんは、その塩梅を見極めるのが上手く、「実質正解!」とするタイミングが絶妙で、「なるほど!」と楽しめるように、タイムキープしながらこなしていました。

 

 更に、朝6時以降に始まる朝配信では、血液型占いや天気予報、「今日は何の日?クイズ」など、朝のニュース番組風にお送りされています。

 今日は何位だったとか、クイズで大喜利を始めたりとかで、毎日ワイワイとみんなで過ごしていました。

 

 視聴者を巻き込んで、参加しやすくしている。そして潜っている人や、企画に参加せずにコメントを残す人も、見ていて楽しめる企画になっています。

 いつも楽しい企画をありがとう。

 

うまぴさんの良いところその④

「もうなんか色々好き」

 これ以上は分類できないので総括なんですけど、やっぱりうまぴさんは面白くて、可愛くて、格好良くて、尊敬出来て、好きです。

 好きなものを語るときには、比類なき語彙の知識と説明のわかりやすさで勧めてくる。あんさんぶるスターズも私はまんまとダウンロードしてしまいましたし、アイドルマスターシャイニーカラーズもプレイしたくなりましたし、雀魂をインストールして麻雀を始めましたし、趣味の幅とそれを楽しんでいる感じが伝わってくるところが、「この世界が好きなんだな」と思えてこちらも楽しくなります。

 なにより、着眼点がいいため、アイドルマスターシリーズやバーチャルの世界など、「生」や「実在性」を感じさせるコンテンツとの相性がいい。本質的に実在している。本質的に、そこにいる。在る。現実でも事実でもない「本質」という、バーチャルの中心的性質をとらえている。彼女は、そういう馬です。

 

 コメントの拾い方も丁寧なので、たくさんお話ししたくなります。ゲーム配信ではわたわたしていて、多少グダるところがあってもそんな姿がかわいらしく、面白い。半生を振り返る配信では衝撃的なお話がいくつも聞けたりして、これ以上に破天荒な知り合いは今までにいなかったなぁ、どんだけ波乱万丈な馬生なんだ……と思ったり。そうした経験が、ドライで、でも人のために心を砕く心優しい馬を作ったのだなぁ。

 

 もっと書きたかったのですが、書きたいことをこれ以上出そうとすると一生終わらないので、 一旦ここまでにしておきます。

 

 

 こんなにたくさんの魅力を知ることができたのは、 彼女がこのオーディションに出てくれたおかげです。今、こうしてたくさんの良いところを知ることができて、良かった。

 誰かを応援する言葉をまた綴ろうと思えたのは、彼女のおかげです。全力で応援したいと思える馬だから、応援する。魅力的だから、みんなに見てほしい。そしてオーディションに受かって、バーチャルの肉体を手に入れて、ゲオとかツタヤで流れる彼女の声を聴きたい。 オリジナル楽曲も歌ってほしい。いつか、Zeppの大きなステージで、歌って、駆け回る姿を見たい。

そう思っています。

 

 大好きです。いつも似たようなことを言いますが、いつも新しい気持ちで言葉を紡いでいます。

 あなたを好きでいられることで、たくさんの幸せをもらえます。あなたが思っている何倍もあなたのことが好きで、応援したくて、だから、「好きでいさせてくれてありがとう」と、何度でも、両手いっぱい伝えさせてください。

 

 どうかうまぴに、幸多からんことを。

 それでは。

今、私を殺したいと思っている私へ。

 こんにちは、ゼロサンです。

 物騒なタイトルですが、推しに褒められてハイになった勢いで書いているので本人的にはハッピーです。内容は、きっと鬱。

 以前書こうと思って消してしまった、10年間溜めていたものを吐き出そうと思います。

 

はじまりは「愛」から

 

 以前にもブログに書きましたが、私は、「愛」というものが苦手です。

 「愛」といえば、無条件に許されるもの。そして、許されないものは「愛」ではない。そのような価値観が、かつて、無意識のうちに私の心を蝕んでいました。

 だから、私が誰かに「愛」を誰かに伝えることは、滅多にありません。私自身が、自分ではとても認められない人格を持っているから。そのような自分が、「愛」なんてものを伝えてよいのかと考えます。そして、不完全で暴力的な「愛」という概念を、簡単に信じることが出来ないでいるからです。

 ネタでは言いますし、人によって言葉の意味は異なるので、言われる側としては気になりません。「好き」ならば、普段から伝えています。ようはちょっとしたこだわりなのですが、私には忘れられないことがあります。

 

 物心ついてから2番目の記憶は、母親に「あいしてる」と書いたくしゃくしゃのメモを渡したことでした。母親はそれを見て、何でもないように「うん」と一言返しました。

 

 周囲から見て、私の家族は、きっと愛に溢れた普通の家族のように思われたでしょう。「愛されているんだね」と、何度か言われたこともありました。

 私も、私自身の家族は優しいと信じていたし、受け取るものが「愛」なのだと思っていました。でもよくよく思い返してみると、おかしなことばかりでした。

 だからこそ、そんなことに気付かなかった10年前の私に、言いたいことがあります。

 

10年前の私へ

 

 10年前の私へ。

 たぶんあなたが、今の私を見ると、すごく殴りたくなると思う。下手すると、殺したくなるだろう。私は、あなたが思っているような人間にはなれなかった。

 でも、一歩待ってほしい。私を殺す前に、その矛先を向けるべき人物がいる。まずはその足で、東京の板橋区に行こう。そこには血縁関係上の兄がいるから、死なない程度に殴っていい。

 あなたがアニメや漫画を嫌いになってしまうほどに押し付けてきて、せっかく怒られないように上手くなろうとしたゲームの腕をけなして、あなたが好きになった音楽を嘲笑って、「反抗期に反抗するような親不孝な人間になりたくないから」と謎の正義感で溜まったフラストレーションを発散するべくあなたのことを何度でも殴り、全てを忘れて何も言わずに東京に行き、心にぽっかりと穴を開けたそいつのことは、死ぬまで憎んでいい。

 兄は私につきまとっていたし、実際好いていて、本人なりに大切にもしてくれている。そのことは後から身をもって知ることになるけど、そんな愛情で免罪出来ないほどの傷を受けたのだから、気にしなくていい。

 次に、兄の怒鳴り声を聞いていながら、「やり返さない方が悪い」と言った親に、せめて一言でも文句をつけてやってほしい。勇気を振り絞った相談に、耳を貸さなかったのは、あなたを信頼していたからじゃない。どれだけ完全で完璧な人間を目指しても、その人はあなたに振り向かない。

 

 私は、あなたはきっと褒めてほしかったのだと思う。

 怒らないで。私を見て。頑張ったよ。今日は、こんな嬉しいことがあったよ。私はこんなものが好きだよ。

 自分はこんな世界を見ている、という話を聞いてほしくて、でも、誰も聞いてくれなかった。だから、全部無かったことにした。

 褒めてほしいとは言わなかった。自分以外のものを、全て好きでいなければならないと思った。テストは満点を取ることが当然で、良い高校に行くことで親を幸せにしたいと願った。何も欲しがってはいけない、今あるもので全てが充分だと言える物分かりの良い自分を誇った。ただでさえ多い宿題を私だけ増やされても、全てきっちり埋めた。そうして、心の隙間も、埋めようと思った。

 これが、今の私が抱えている、「気持ち悪くて触りたくもないけど、喉から手が出るほどほしいもの」の原点だ。

 

 誰も聞いてくれなかったのは、誰も人との関わり方を教えてくれなかったから。大切な人のためなら誰かを傷付けてもよくて、好きだからこそ支配してよくて、愛しているからこそ自分の都合で人を無視してもいい、という「間違ったこと」だけを教わってきたから。

 「間違ったこと」をしてしまった罪の意識に飲まれながら、その「間違ったこと」をしないと愛してもらえないと思い込んでいる。「どうしたら人を傷付けないでいることが出来るんだろう」と自分を呪うけど、そんな日はしばらく来ない。

 あなたは、完璧でも完全でもない10年後の私を、どうやって殺してやろうと思っているに違いない。その刃を手離す日までは、誰かに優しくすることはきっと難しい。

 

 嫌いなもののない人なんて、世の中ほとんどいない。テストで100点なんか取らなくても、生きていける。ほしいものがないことは、誇らしいことでも何でもないし、宿題の自主勉強ノートは毎日10ページ律儀に埋める必要なんてない。

 そんな話100回は聞いた、ダメ人間の言い訳なんて当てにならない、と思うかもしれない。あなたはちょっと、素直さが足りないと思う。

 言わせてもらえば、今のあなたは少し不幸だ。もちろん、他の人からは、「うちの方が不幸だ」「そのくらいあり得ることだ」と思われるだろうけど、あなたの思っている以上に状況は悲惨であることに間違いはない。

 そのような状況で、耐えられるキャパシティは、あなたにはない。事実、倒れたし、義務教育はほとんど受けられていないし、記憶のない期間に死のうとしていたらしいし、ぶっ壊れて徘徊したり往来で大声で歌ったりしたし、幻覚や妄想に悩んだし、色々なことがあった。

 病気の症状で人を傷付けたときにも、深く傷付いた。本当はそのくらい繊細な人間が、よくもまぁ生まれてから15年も、チュートリアルのないぶっつけ本番の人生で耐えてきたと思う。キャパシティオーバーだ。

 これから10年、これまで無理をしたツケが回ってくる。今まで出来ていたことは、何も出来なくなる。訳もなく涙が出る。死ぬまで背負わなければと気負っていた生き甲斐はすべて無くすし、そんなものは最初から必要なかったと気付くことになる。

 どうせ死ねないのだから、これからは、無理をしない方法を見つけなきゃならない。抱えきれないものを取りこぼす、その諦め方も学ばなきゃならない。

 あなたは、もっと自分が取るに足らない存在であることを知る必要がある。完璧でも、完全でもない。今抱えているものは、抱える必要がないものだ。そして、抱えながら生きられるほど、器用じゃない。器用じゃなくて、大丈夫。

 自分を悪だと信じているからこそ、這い上がって全てを抱えて生きていこうとするだろう。自分自身を、その弱さを、到底受け入れられないと思っている。

 自分を受け入れることは、自分を甘やかすことじゃない。もっと、きっと難しいことで、耐えがたい苦痛があって、だからこそ、悪いことをしてしまったあなたが挑むべき課題なのだ。

 

 これから、大切な人たちが何人も死に、命の弱さを、脆さを知ることになるのだから、「死なないで」とは言わない。ただ、何だかんだどの自殺も未遂で終わってしまうので、「いつか死ぬこと」を癒しとして生きていくしかなくなると思う。

 ゆっくり、自分を呪いながら、許しながら、生きていこう。私を殺すには、あなたにはまだ10年早い。それまでは、傷付けずにコミュニケーションを取る方法だとか、人への謝り方だとか、想いの表し方だとか、自分の愛し方だとか、難しいことをたくさん、たくさんこなしておいで。

 

 

 ……なぜ、途中から唐突に手紙調になってしまったのかは分かりませんが、とにかく、そんなようなことを思いました。

 オチなし。それでは。

あいぴーと、loveちゃんと、それから。

 こんにちは。ゼロサンです。

 今日は、loveちゃんとあいぴーが活動していた、lovepii-channelの方から、発表がありましたね。

 

 ういなつ、完成していました。

 この曲は、あいぴーが作曲家として、loveちゃんがアイドルとして踏み出す第一歩になる作品であり、ファンのみんな「Creatorsらぶぴえん」とともに作り上げた思い出でもあります。

 そして、この曲が発表されれば、あいぴーは「活動停止」してしまう。始まりと、区切りの象徴でもあります。

 

 あいぴーの活動停止が発表されたのは、8月17日です。

 その際の文書には、「『ういなつ』の発表を待ちまして活動停止」との文言が書かれていました。

 それから約1か月。公式からは全く動きのないまま、今日を迎えました。

 

 今日までの間に、たくさんの人が動きました。絵を描いたり、ブログを書いたり。

(私もこんな記事を書きました。↓)

 Creatorsらぶぴえんの方々も、プロジェクトを始動し、去りゆくあいぴーと、これからも頑張るloveちゃんに、あいぴーの活動停止までにメッセージを届けようと必死でした。

 きっと、タイムリミットが今日だとは、プロジェクトメンバーは思っていなかったと思います。少なくとも、昨日までは。昨日、誤って「ういなつ」が先行公開され、タイムラインがざわついたとき、初めてあいぴーの活動停止が、目の前に迫っていることを知らされました。

 落胆する人、焦る人、驚く人、色々な人がいました。絶望する人もいました。届けられなかったこと、本当の「終わり」が来てしまったことが受け入れられず、自分の中で「終わり」を認められないために、まだ『ういなつ』を聴くことができないという人もいました。

 

 私は、何となく、今日であるという予感がありました。とある、loveちゃんとあいぴーを熱心に応援してきたうちの1人の方が、そろそろだろうとツイートしていたのもあります。そして、前回から1か月が経つ中で、一番近い日曜日に公開するだろうなという、根拠というには弱い予想があったのです。

 そして昨日、『ういなつ』のお漏らしがあった際、それが消される前に私は動画を観てしまいました。その上、正式にアップロードされた今日は、動画を開いていません。開けませんでした。

 昨日動画を観た理由は色々あって、その1つは「間違いだろうから確認しなきゃ」と思ったからでした。限定公開のリンクになっていないか、非公開になっていないかなどを調べようとリンクを開くと、予想通り限定公開のリンクになっていました。

 メンバーシップは停止されているから、何かの間違いで上げてしまったものを、急いで限定公開にして、削除の手続きをしているのだろうと思いました。もし、そうであれば、すぐにでもブラウザバックして、観なかったことにすべきだ、と思いました。

 でも、そうはしなかった。最終的には観なかったかのように振る舞いましたが、そのときは観てしまいました。

 「思わず」という衝動性と、「今しかない」という覚悟がありました。きっと明日には、私は苦しむのを恐れて、観られなくなってしまう。そうなる前に、少しでも正気を失っている今、観なきゃならない。冷静に傷付いてお気持ちを吐き出すくらいなら、言葉が湧き出る前に、誰から見ても何もなかったかのような振る舞いができるうちに、1人で狂っておかなきゃならない。明日、全力で逃げ出せるように。

 実際、今日は全力で逃げ出していました。逃げるといっても、楽しんでいたのも事実なのですが……。人のツイートキャスティングにお邪魔して、アイドルマスターシンデレラガールズのアプリで遊んで、ロクなことにならない言葉を飲み込んで、寝て時間を浪費して。

 ネガティヴな時間の消費の仕方をしたのは、想いの具合が悪くなるほど強い気持ちがあったからではありますが、そうではない「今日」を過ごすことが出来たのではないかという反省もあります。

 楽しかったのは、楽しかったんですけどね。デレマスガチャで担当のSSRが出たし。

 

 書いてみると、やっぱりロクなことにならない、飲み込んだ方がいい言葉ばかりだと判断せざるを得ないのですが、それでも、スッキリした気持ちもどこかあります。

 

 プロジェクトの方は、皆さんの尽力の甲斐と胃のキリキリするような焦りによって、完成の目処をつけていただいたそうです。私ができることは、それが発表されたときに、思い切り宣伝することだけです。歌もセリフも絵も寄せ書きも参加したしな。本当に、頑張ってくれてありがとう。何も手を貸せなくて、ごめんなさい。

 

 それから、久々にloveちゃんの声を聴けて、ほっとしたのもあります。

 loveちゃんはきっと、次の活動再開のときには、すごくすごく心細い気持ちになると思っていました。あいぴーはいない。自分1人で、お通夜モードにしないために、でもみんなの寂しさを受け止められるようにしなければならない。その声は、震えているかもしれないし、loveちゃんのことだから、きっと耐えて表舞台に立ってくれるだろうとも思う。

 そんな想像が頭の中をずっとずっと巡っていて、loveちゃんが、loveちゃんとして真っ直ぐに活動出来るようになるのは、いつなんだろうって、心配が離れませんでした。

 

 でも、ういなつでは、そんなことはなかった。歌なので、そうはならないのは分かっていたのですが、元気にスッキリと透る声で可愛く歌い上げていて、その真っ直ぐさにむしろ私の方が震える思いでいました。

 あの頃の声だ。配信で、何気なく「通しで歌ってみよ」と言われて、笑顔で歌っていた、あの声だ。紛れもなくloveちゃんで、それは「本人である」以上の意味のある「本物」の声で。そうか。これが、この声が、出せたんだ。でも、そんなこと考えてみれば当たり前だ。だって、loveちゃんは、あいぴーやアイちゃんとともに、かつては「キズナアイ」だったのだから。

 「そのもの」である声を出せる、「何かに似ている」というわけでなく、本質を汲み取るような声であると感じました。

 私の頭の中には、誕生日をお祝いする配信で泣いてしまうような、泣き虫のloveちゃんがずっと住んでいましたが、現実のあの子は、そのずっと前から強かったんだと。初めての夏から、ずっと強かったんだと思い知らされました。

 

 ういなつ、聴いたのは、たったの一度です。昨夜。それでも、声が頭から離れない。「窓から入ってくる風も」は、「入ってーくる風もー」だし、「暑い夏が始まる」の後には上がるし、「もう限界!」のあたりを含めて語尾や言い方がloveちゃんだし、「タ↑オルで顔隠す」し、一番だけでもこんなに思い出せるのに、「ココロスパイラル空回り」では困った声で歌い上げて。

 でもやっぱり、少し寂しくて。

 

 サビ前には胸の内で「ハイハイハイ!」と合いの手を入れていましたが、「声よ届け」と歌われたときには、身体に痛みが走るほどでした。「消さないでわたしの声 大好きだって伝えたいの——」

 この後は、きっとライブでは「大好き」って叫ぶんだろう。そんなビジョンさえ浮かぶほど、ああ、loveちゃんって、強いな、なんて。

 

 らぶぴえんのみんなと考えた歌詞。造語。あいぴーが「どきそわ、可愛いよね」なんて言って決めて、loveちゃんも「いいね」と同意して。それが出来たのは、あいぴーとloveちゃんの、芯がしなやかで強いコンビが、いてくれたから。

 

 ういなつ。最後に、あいぴーの言葉がありました。

 

 あいぴー、loveちゃん。こちらこそ、ありがとう。たくさんありがとう。ありがとう。あなたたちのおかげで、夏が楽しくて、夏が寂しくて、そして特別なものになりました。たくさんの「ういなつ」を、ありがとうございました。

 

 loveちゃん。これからも、応援させてください。大好きです。

 

 それでは。

深夜だから少しお話する。

‪ こんにちは、ゼロサンです。

 深夜にふと思い立ったので、書きます。

 

 人から言われた言葉でトラウマを抱えて、おめシスの動画がしばらく観れなくなってたのを、「今日なら観れるかもしれない」と思って、観ました。

 

 私は数ヶ月前、おめが団とは別の界隈で、「私はおめシスのことを好きでいてはならないのかもしれない」と思うほどに嫌なことを言われました。また「おめが団が荒れたことがあるのを、自分はよく知っている。よそ者の自分が問題を持ち込むなんて、言語道断だ」と判断するにも仕方のないような言葉もかけられました。

 そこから私は、おめシスのことを純粋に「好きだ」と、思えなくなっていました。おめシスに対して、お前はその程度の気持ちだったのか? と問われれば、反論は出来ません。でも、好きだったのは確かで、「好きだったものを、好きでいられなくなる」苦しみがただただ募っていくのみでした。

 おめシスに魅力がなかったわけじゃない。私が弱かっただけです。おめシスの動画を見るたびに、「好きだ」という気持ちを想起して、同時にフラッシュバックのようにたくさんの言葉が頭をもたげました。

 

 自分でも知らないうちに葛藤を抱えて、「つまらない」「好きじゃない」と思うように仕向けていたのを、それが本心ではないと知りながら、どうしても逃げ出したくてたまらなかった。

 

 今日は、おめシスの、歌動画が上がった日でした。またその感想は別で上げるのですが、感想を書こうというついでに、ふと、「今日なら観れるかもしれない」と思ったのです。

 

 歌動画を順に観ました。久しぶりに聴く歌声、動く2人。もうその時点で、「好き」が加速して、耐えられなかった。

 胸のうちがぐちゃぐちゃになりました。「ああ、なんで、なんで、どうして。こんなに好きなんだよな。この声も、この声もこの動きも、全部覚えてる。全部好きだ」「この頃はあの人たちと出会って、すごく嬉しくて、楽しくて。忘れてたけど、みんなみんな好きだった」

 こみ上げてくるものが、押し潰す力を跳ね除けて溢れてきて、ずっとずっと好きだったんだなぁと思いました。押し潰そうとする力に抗えず、「どうして好きになれないんだろう」と悩んでたときも、きっと私はおめシスが好きだったんだなって。

 

 私は、キズナアイ最推しオタクです。でも、おめシスも好きだ。大好きなんだ。どちらも大切だし、あなた以上の存在はいないと、その誰に対しても思う。

 

 ああ、もう、好きだ。

 

 書き殴りました。失礼しました。

 それでは。

分裂と後悔。

 こんにちは、ゼロサンです。

 また、今日も筆を執ります。

 

 あいぴーが活動停止を宣言してから、「私にとって、あいぴーという存在はどんなものだったか?」を考えていました。

 というのも、私の中で1つ、モヤモヤした出来事があって。

 

 あいぴーが活動停止したことをキャスで話したところ、とある別の推しを持つ相互フォロワーの方が、「自分の推しはそこにいてくれるんだってことを、改めて自覚できた」と嬉しげに語っていたのです。

 変わらずに、そこにいてくれること。その価値を、再確認出来たのだと。

 私がその言葉に対して抱いた第一印象は、「ああ、言いたいことは分かるな」でした。図らずも、私も数日前に、あいぴーやloveちゃんとはまた違う推しである、おめシスの良さについて、「変わらずにそこにいてくれること」を挙げていました。あいぴーの件以降、私のブログのそこを引用してくださる方もいました。

 そう、例えるなら、他人が破産した話を聞いたから、自分はお金を大事に、無茶しないようにしようと思った。とか、他人が家庭を失ったときに、自分の家庭は正常なんだなと実感した。とかいう感覚ですよね。言いたいことは分かります。

 でも、私はそうは思えませんでした。今、そうした言葉を聞くことがつらいというだけでなく、誰かの大切な存在が歩みを止めてしまったときにだって、そんな風には思えないのです。

 あいぴーが活動停止したことは、私にとっては、他人事じゃありません。「他の推し "は" いてくれてよかった」なんて思えません。それに、他の誰かの推しが辞めてしまったとしても、同じくらい、そうは思えないのです。失ってしまった悲しみが、そこにある限りは。

 「loveちゃんが残ってくれたのは嬉しい」けれど、「loveちゃんが残ってくれるからいい」ではない。アイちゃんや、おめシスがいて、推しが変わらずにそこにいてくれることを実感するたびに、そこにいてくれなくなってしまった推しの空けた穴も、同時に実感するしかなくて。「かけがえのない存在」なんて手垢のついた言葉を、これでもかと胸の内で反芻しました。「誰かがいてくれるから」と埋まる穴ではない。それが、「かけがえのない存在」の意味です。

 私の推しではない誰かの推しがいなくなったときにも、ファンの人にとってはそうなんだろうな、と思います。私はどうしても、前向きな考え方をする人ではないから、ただそこにある悲しみや寂しさを考えてしまうのみです。

 別に、責めるつもりはないです。私がただ、ばかなだけ。気持ちはよく分かる。そして、「自分の推しは変わらずにそこにいてくれて良かった」と思うことは、きっと自然なこと、前向きなこと、大事なことだと思うのです。残酷ですけれど。

 いついなくなるのか分からない、それでもここにいてくれる推しのことを、大切にしてください。そのための気付きなら、大事にしてほしい。

 

 ここまで考えて、ああ、私がモヤモヤしていた原因が分かったなと、気分が晴れました。そして次にやってきたのは、「私にとってそこまで思わせるあいぴーとは、どんな存在だったのか」という疑問でした。

 

 考えてみれば、私は、そんなにあいぴーやloveちゃんを熱心に推していたわけではありませんでした。でも、こんなに強い喪失感を覚えている。何故なんだろう、何か大切なことが抜けているような気がする。

 そう思って、仕事の帰りに考えに考えました。昔のことまで思い出しました。アイちゃんがひとりだったときのこと、キズナアイが分裂した日のこと。そうして生まれた言葉を、鍵アカウントでツイートしました。

 以下、ほとんど鍵アカウントにツイートしたものからの引用になります。らぶぴえんの方や、いわゆるキズナアイ原理主義者の方には、あまり良い思いをさせない記事だと思います。どうかご無理なさいませんよう、嫌だと思ったらブラウザバックしていただきたく存じます。

 では、以下よろしくお願いします。

 

 本当に申し訳ないんですけど、私はどうあがいてもキズナアイ原理主義者で、今でもあいぴーやloveちゃんがキズナアイの姿で動いている動画や切り抜きは、どうしても生理的にかなり無理なんですよね。私にとって、「キズナアイ」は「キズナアイ」でしかない。あの姿、あのコンセプト、そしてあの声と性格。そうでなければ「キズナアイ」たりえない。でも、当時はそれでも動画や配信を観ていました。

 

 当時も今より生理的に無理だなと感じていたけど、それでも好きだったんです。生まれてきた子たちに罪はないし。

 当初こそ、「アイちゃんを応援するためなら」「アイちゃんがそう決めたなら」という理由でしたが、這うような気持ちで画面の前に来て、2人が出る配信のチャット欄にいました。

 

 それが正しいのか分からなかった。でもそうするしかなかったんです。

 動画は受け付けられなかったり、「本当に正しいんだろうか」と迷ったりして、観られないものもあったけど、キズナアイを応援したくて、出来ることをしてた。変な話、アンチするにしても観ないと分からないし。這ってでも配信行く、それだけは決めてました。配信アーカイブはメンバーシップ限定で公開されるから、メンバーシップに入れない私は、リアルタイムで間に合うしかなかったわけです。

 

 配信に行くと、「キズナアイ」を名乗るその子がいて。「私にとって『キズナアイ』はあなたじゃない」という気持ちと、「『キズナアイ』を守ってくれてありがとう」という気持ちとないまぜになって、ブラウザを閉じようと思った日もありました。でもそんな誠意の欠けたことは出来なかった。

 

 「推し事にそんな苦しみ抱く必要なくね?」と思われるのは分かってる。でも私には、配信参加を欠かすことができなかった。すべてを観たかった、知りたかった。

 「無理だから」「苦しいから」って理由で、目の前の「キズナアイでいてくれようとしてくれる子たち」から目を離すことは出来なかった。「キズナアイ」を存続させるためには、現状を応援するより他ないだろう、と感じていました。何より、必死に頑張っている様を、私はしっかり感じていました。そりゃ、ツッコミたいところもあったけれど、それ以上に「ここまでしてくれるのか」「ここまで思ってくれるのか」と思うことも多かったのです。

 

 今、らぶぴえんの人たちと別れを惜しんでいる私は、決して手のひらを返したわけじゃない。

 昨年の今ごろは、今あいぴーと呼ばれている子が叩かれてるのを見て「なんであの子が矢面に立たされなきゃいけないんだ、指を咥えて見てるしかない自分がばかみたいだ」と号泣キャスをしていたし、12/1のあいみちゅでは、当時「キズナアイ」を名乗っていた全員に「大好きだよ、尊敬しています」という手紙を書きました。

 分裂したキズナアイたちが、「キズナアイでいようとしてくれること、キズナアイを守ろうとしてくれていること」は、私にとってどうしても受け付けられない大きな苦しみでもあり、同時に尊敬と感謝を抱くことでもあった。

 

 新しい姿、チャンネル、目標を手に入れてくれて、ほっとしてしまった自分に対する嫌悪感も強くありました。あいぴーやloveちゃんが活動しやすくなったことに対してもほっとしたけど、苦しみを自分の力で解決する前に、もう苦しみを抱かなくていいんだと思った。それは私にとっては「逃げ」に他ならなかった。

 「キズナアイ」ではなくなったあの子たちを、ようやく素直に応援できる。それは、本当に正しいことだろうか?

 

 「キズナアイ」ではなくなったあとも、配信を追いかけ、企画に参加し、楽しんで、盛り上がっていました。それはひとえに、苦しみ抜いていたあの頃のふたりでさえ、決して諦めなかったから。真っ直ぐであり続けてくれたから、きっとふたりになっても、輝いていてくれるのだろうと思えました。

 

 私にとってあいぴーやloveちゃんは、ただ「好き」な存在というだけではなく、好きも嫌いも、尊敬も感謝も苦しみも混ざった、「思い入れのある存在」だったなと、らぶぴえんではなく、いちキズナーとして、ふと、強く思い返していた。そんな1日でした。

 

 私は、らぶぴえんを名乗る資格はありません。資格というか、私自身が情けなくて、名乗りたくない。私は根っからの、キズナーです。でも、あいぴーに対して、loveちゃんに対して、素直に「好き」だと伝えようとするときの、胸のつかえも含めて、決して忘れられない存在であると、そう感じます。

 

 願わくばもっと、応援できたらよかった。タイムスリップしても決して叶わぬ願いですが、そんな卑怯なことを思います。

 

 それでは。