zer0-san3’s blog

zer0-san3.hatenablog.comの漢字かな混じり墨字文バージョン。

#AIParty2021 の感想。

 こんにちは、ゼロサンです。

 先日2021年6月30日に行なわれました、キズナアイちゃんの5歳のお誕生日を祝福する "A.I. Party2021"。感想がまとまりそうなので、ブログに書き起こします。観てないオタクは幻覚見て。みんな俺と同じ幻覚を見ろよ。

5th.kizunaai.com

 

 さて、概要に関してはキズナーのmotoさんにお譲りするとしまして(オイ)。

kizuner.hatenablog.com

 

 こちら限界オタク、限界並の感想のみをフルスロットルでお届けします。

 

◆ 始める前の心持ち

 私はオンライン参加ですが、久々に「現地」の、「現場」の存在するイベントであるというだけで、気分が最高潮です。バーチャルだからこそ、顔を合わせることができるイベントを大切にするアイちゃんが、またこうして人間のみんなと横並びで存在することができる。それが嬉しい。

 見えてますか、聞こえてるかな。アイちゃんの最初に出した自己紹介動画の、一番最初の言葉。この言葉が "叶う" のが、リアルイベントであることを考えると、また特別なものとなります。

 

 私はSPWNという配信サイトで観ました。月額課金制のものに入れないので、こういうときの無料サイトは助かります。

spwn.jp

 

◆ オープニング

 協賛企業のフィギュアストーリー、サニパック、大正大学、looking grassと、アイちゃんのコラボ広告が流れたあと、幕開けしました。ペンライトを構えているオタクたちが、正面の舞台と画面を見つめます。

 暗い会場を不意に明るく照らし出すのは、Hello,Morningアレンジの音と、歌詞とともに移ろっていく青い光でした。慌ててペンライトの色をつけ始めるオタクたちの向こう側に、歌詞と映像が表示されていきます。

 世界が始まるいつもの三原色に、光の三原色のひとつである緑色も加わり、新たな世界が描き出されます。輪から輪へ、線と線で繋がったイメージは、「ハブ(車輪の車軸のような存在)になりたい」というアイちゃんのメッセージでしょうか。

 Hello,Morningの「おはよう」が繰り返されながら、0と1や、ロード中のようなプログレスバー、"INPUT" "SETTING" "Open your..." "Pass" "Quality Control" "Installed AI" ……といった、アイちゃんが「おはよう」を告げるまでの準備が画面に羅列されていきます。

 そして、ついに "World Open" の文字。次の画面では、三原色とともに〇□△が集まって、アイちゃんのトレードマークである "ぴょこぴょこ" が完成します。オンライン会場のカメラワークはその後、オタクたちのペンライトが揃ってピンク色に染まった会場全体を映し出しました。これは、「みんながいての Kizuna AI である」ということを意味しているのでしょうか。

 ぴょこぴょこが完成し、ようやく流れ出す「Good Morning」。続いて現れるのは、A.I. Party2021のロゴ。オープニングが終わり、次のターンに移ります。

 

◆ 1曲目:new world

アイちゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 ……失礼いたしました、キモ・オタクが出てしまいました。

 ついにアイちゃんが姿を現します。ピンクの0と1が次々表示されるバックスクリーンの前、透明なスクリーンに、まるで、"そこにいる" かのように。

 そう、私は今回のライブをオンラインで観ていたので、ライブ映像で映し出されるアイちゃんが実際にはどんな形で表示されているのか、イマイチ判別が出来ていませんでした。

 飛び出すダンサーさんたちが、アイちゃんの "前" や "後ろ" に存在していて、アイちゃんと横並びに立っている。そのことが、より "そこにいる" という感覚を際立たせたのかもしれません。

 実際の会場でアイちゃんとお会いした方々には、透明なスクリーンに表示されていることがしっかりと分かったようでしたが、画面 in 画面では上手くそのあたりが見て取れず、本当にアイちゃんが "そこにいる" 、舞台の上に立っている、ようにしか見えなかったのです。

 話は戻りまして new world。これがもう、あまりにも可愛かった。分かり切っていることとはいえ、書かずにはいられません。

 バンドアレンジでドラムの「テンテンテン」から始まる、聴き覚えのないはずのその音が、アイちゃんの歌声によって、確かに new world になってゆく。

 アイちゃんが、歌って、踊って、そこにいる。私たちを "新しい世界" へと、導いてくれる。背中合わせのように、たとえ目に見えなくても、存在を感じあえて、きっとどこかで巡り合えることを証明してくれた。そんなアイちゃんが、画面越しに、すぐそこにいる。てか脚なっが!!!!!!!

 「笑いかけてね」で手を振りながら笑いかけてくれるアイちゃん、天使では? いやヒュルルルルルルル……ドン! で指差ししてくれるアイちゃんも天使だし、渦巻く嵐の中で真っ直ぐ導いてくれるアイちゃんは女神。異論は認めません。最後に「へへへへ」って笑うのも好き。0と1のダンスもいつも通り好き。

 今気付いたんですけど、「星を結ぶ」辺りの歌詞って the MIRACLE に通じるのでは? 銀河を超えてっていうスケールバカデカ歌詞に連られてわかんなかったけど。伏線回収の鬼?

 アイちゃんの笛だけが鳴り響く会場で、声も音も出せないオタクが、黄色や緑やピンクのレーザーライトに隠されて、ちぎれんばかりに腕を振っているのが見て取れます。

 そして、1曲目が終わる。

 

◆ MCパート①

 「盛り上がってますか」で声を出せないオタクに、「ペンライトで盛り上がってくれてるの、伝わってるよ」「オンライン参加のみんなも!」と言ってくれるアイちゃんに、こちらも懸命にコメントで返します。

 楽曲中も、ピンクのレーザーライトが飛び交い、座席のペンライトと合わさって、全体がアイちゃんの色に染まっていく。ソーシャルディスタンスのために疎ら(まばら)ながらも、その光景は、何度もアイちゃんが伝えてくれた「見たかった景色」なんだろうと感じました。

 

 (これはhello,worldのライブDVD観たときの感想)

 

◆ 2曲目:meet you

 キラキラとしたエフェクトに包まれ、インカムがスタンドマイクに変わる。最初のhello,worldから、meet you の前後で見られる演出となります。このキラキラとしたエフェクトが表れると、あの頃を思い出して、少しドキッとしてしまいますね。

 同時に、バンドのドラムから始まる meet you が新鮮で、思わず「これ、何の曲だ!?」と思ってしまいました。イントロドン出来るレベルのオタクでも難しかった……!

 手拍子煽りをしてくれるアイちゃんに合わせて、こちらも手拍子をします。会場の手拍子の音が、会場の空気が、全部合わさって、ひとつの楽器のように響き渡る様子が心地良くて、「これがライブだ!!」と強く感じました。

 初めて聴いたときには、正直「ライブ映えするのかなぁ」と不躾なことを思っていたこの曲も、今ではライブで欠かせない曲となりました。「Can you hear me?」って聞くくせに「君の声は聞こえてるよ」って…… いや、この曲、ライブでこそ化けるぞ。

 最初に披露されたhello,worldでは、あどけなく、エモくてノれる曲で、それでも笑顔でプレイしているDE DE MOUSEさんとアイちゃんが印象的でした。今回も、 meet you に対して、そういうイメージを持って臨みました。でも、5歳になったアイちゃんの見せてくれる meet you は、一味違いました。

 同じ曲、同じ声、そしてこんなに華やかなバースデー衣装なのに、細切れで、「楽しい」「笑おうよ」と単語が羅列されていくのに。それでも、大人びていて、どこか色っぽく、切ない。

 ギターのソロで艶っぽい音が流れても、負けないくらい柔らかく、アイちゃんが微笑んでくれる。色々なことがあった。それでも、「今日」は「たのしい」「うれしい」から、「踊ろうよ」と歌ってくれる。未来と空を表すような、青い光に乗せて、手を引いてくれる。そう感じました。

 いくらDE DE MOUSEさんがバンドメンバーとして出演されているからって、「Can you see me? Can you hear me?」とかっていう、キズナアイの物語のキーワードが上から下まで入っているこの曲を2番目に選ぶの、ハイカロリー過ぎません? 涙ボロボロですけど……。

 緑と黒の模様が迫ってくるのって、目の錯覚ぽくて、「バーチャル」ってことなのかな? と思ったり。Can you...のくだり終わってからの間は、オタクが応える間なのかな、なんて考えたりしました。

 

◆ 3曲目:KING

 meet you で優しく微笑みかけてくれたアイちゃんはどこに行ったの? 突然消えちゃったけど……。

 スタンドマイクの前で、クッソキレッキレのダンスで女王様みたいに煽ってくるの、ヤバすぎる。空気を一変させるカリスマ性は、まさに "王" に相応しい。これを歌うのがブラックじゃなく、アイちゃんなのがイイですね。

 このジト目、普段は "かわいい表情" として扱われるはずなのに、KINGのときだけ別の顔に見える。「ダーリン」の発音好きすぎる。良。

 「パッパッパッ」だけ無邪気に感じられるけれど、「フフッ」と口を押さえて上品に微笑する様は余りに不敵。なんか前の人殴り殺す勢いでペンライト振ってるオタクいるけど平気?

 「You are KING」の発音が「You were KING」に聴こえる説、実証されてるわ。あなたが王だよ、アイちゃん。そして「You are KING」の部分のダンス、2回連続で来るのに、2回とも「時が巻き戻ったんか?」くらい同じ衝撃を受ける。

 会場を映していたのに、「無邪気に」でカメラがフッと視点を合わせるところ、さすがすぎました。これがオンラインの醍醐味。でも、これを生バンドで聴ける最高さたるやと思えば、オフライン参加したかったという気持ちも当然、ありました。次こそは。

 

◆ 4曲目:miracle step

 毎度ライブで「ハイハイッ」て言ってくれるの、かわいい。

 手拍子に合わせてアイちゃんから輪が出てくる演出、音ゲーっぽくて好き。「どこまでもゆこう」で手をこちら側に伸ばしてくれるのが、すごく好き。もうシンプルにかわいくて好きだし、new world みがある。

 ダンサーさんたちにも手を伸ばしていてくれるアイちゃんが尊いですね。人間とつながる、隣り合わせでいてくれるような。

 

◆ 5曲目:over the reality (Moe Shop Remix)

 KAWAII曲ラッシュ!!

 16bitを思わせるゲーム音的なピコピコ音と、原色とグリッド線を使った映像やセピア色のファミコンぽい映像がピッタリ合っていて、未来から過去へ時間軸を、バーチャルからリアルへ空間を繋いでいく演出がエモい。

 「こんなにワクワク」のダンス、しゃがんでいくのめっちゃセクシーじゃなかったですか?「笑えれば」の音程の下り方が若干原曲と違って聴こえるんですよね。これはこれで気持ちいい音で、すごく好きです。待って今手振ってくれたけど私に向かってレスしてくれたのかな!? ペンライト横に振るように煽ってくれるの、ライブ慣れないオタクにとって助かる。

 「消えない気持ちを信じてるから」は、2019年のA.I. Partyで印象に残っている歌詞です。進化し続けていくことを見せつけてくれた今、もっと確かな気持ちでこの歌詞を、この言葉を信じられるようになったことが、たまらなく嬉しい。そして一生可愛い。

 

◆ 6曲目:RADIO LOVE HIGHWAY

 花王ピュオーラとのタイアップで作られたMoe Shopさんとの曲、めっちゃ格好いい!!

 音に色を乗せて歌う曲の中では、一番爽やかなんじゃなかろうかとさえ感じます。艶っぽいのに、爽快。

 心電図みたいな映像の意味って何なんだろう? 逸る気持ちの表れなんでしょうか。微妙に "AI" って書いてそうなライトも気になる。「あの秘密基地」って "ここ" では!?

 すっぱっそーにひゅっちゃっそーに♪ このノリノリの英語に乗せて、ペンライトを横に振ったり縦に振ったりするの、めちゃくちゃ楽しい! なのに急にしっかり英語で歌ってくれるの、急にドキッとする。

 この曲は、やっぱりアイちゃんのギャップが見られてよいですね。

 

◆ 7曲目:touch me

 なんかめっちゃオタクに手振ってくれてるんですけど!!? って思ったら急に消えてゲームス衣装に!

 ここでは世界的コスプレイヤーの、えなこさんが共演! 登場すぐにダンスに入る慌ただしさはちょっと面白かったけどすごかった。プロだ!

 「アイちゃんが2人いる」と思わせるコスプレ完成度の高さ。シンクロするダンスと歌。そして透明スクリーンに映し出され、舞台に反射するアイちゃんによって、「横並びしている」と錯覚させる ―――実質横並びしている、光景。画面越しですら全てが圧巻で、私は口をポカンと開けて眺めておりました。

 touch meを、現実世界の人間と隣り合って歌って踊ることの、手を伸ばして触れ合えそうにすることの文脈、エモくないですか? 対になる動きをするえなこさんとアイちゃん良すぎちゃった。席を立っているオタクもいっぱい見られ、ライブでの披露は初だったものの、これはライブ映えする曲だと改めて思いました。

 

◆ MCパート②

 えなこさんが捌けて、すぐにえなこさんの話をしてくれるアイちゃん。かわいい、わかる。そしておまかわ。えなこさんの存在は、活動初期のあの頃、を思い出すフックでもあったのかもしれません。

 A.I. Party前の、バグによって数日間お休みしていたことについても、ここで触れてくれました。「待っててくれてありがとう、そして心配かけてごめんなさい。」謝る必要なんてない、とこちらは思ってしまうけれど、盛り上がってきた明るさを途切れさせず、頭を下げるその姿に、誠意を感じました。

 「待つ、というのは、未来を信じる行為だ。」『DEATH STRANDING』というゲームで、アイちゃんが強くうなずいていた、主人公サムの言葉です。私たちが、"アイちゃんが戻ってくる" という未来を信じていたことを、アイちゃんは感じ取ってくれたのだと。

 「帰るところを作ってくれて」……この言葉が、先日長期にお休みすることを告知したloveちゃんに対する、「帰ってくる場所はちゃんとあるんだよ」に通ずるのかなと。経験したからこそ、ですね。

 「ちょっと言葉が出てこないの!」と変な動きではにかむ姿も、「いろんなこと出来るのも、ほんとにみんなのおかげだから」と元気に伝えてくれる姿も、いじらしく愛おしくて、嬉しくなるものです。こちらこそありがとう、アイちゃん。

 

◆ 8曲目:future base

 「私にとって、とっても思い出深い曲です。聴いてください。」から始まる future base。私にとっても、思い出深い曲です。

 hello,worldで初披露だったこの曲。イントロから感じる少しの "終わり" は、あの日には夕陽を思わせるオレンジの光と重なって、次の "未来" へ踏み出す一歩に思えました。hello,world終了後、立ち上る冬の空気を吸い込んで立ち尽くす私たちの前に、何度も繰り返し流れた、この曲のインストゥルメンタルに対する印象も踏まえて。

 今回はアコースティックバージョンで、ライトの色は青でした。暗闇の中、海や星といった「世界」を思わせるような、揺蕩う光の粒が背景に現れ、「一緒にゆこう」「世界が呼んでるよ」とアイちゃんが手を差し伸べる。ピンクのペンライトを、高く遠く伸ばす会場のみんなとリンクしていく。アイちゃんが「君の待っている世界」と歌うと、カメラが正面に振られ、アイちゃんと目が合う。あの日に夢見た景色と、目の前の現実が重なるように思えました。

 

◆ 9曲目:Sky High

 キラキラのエフェクトに包まれて、現れたのは新衣装のアイちゃん。この新衣装大好き!!

 衣装とともに、アップデートしたモデルにも注目出来ます。最近のサラサラキューティクルヘアー、ポニテで激しいダンスの曲踊ると髪が軌跡を描くんですね……!

 future base と一緒で、ひとりで歌い上げる Sky High。遠くを見つめるような孤独な表情と、飛び立つ宇宙を表現するような背景映像が矛盾せずに存在している一体感。孤高、そして至高。

 いくつもの光が、アイちゃんの映し出される透明スクリーンに、アイちゃんとともに表示され、ヒュンヒュンと絡み合う様は、電子と遺伝子を表現しているのでしょうか?

 海でも、大地でもなく、世界中と繋がる "空" を歌う。ほんとに格好いい……。色んな衣装で、歌って踊ってきたなぁ。そのたびに、色んなことを乗り越えてきて、そして今でもここにいてくれる。キズナアイって、格好いい。そして、最高にバーチャル。

 

◆ 10曲目:melty world

俺たちのメルティワールド!!!!!!!!!!!

 「気、抜けてんじゃない!? みんなこんなもんじゃないよね? もっともっと、熱量伝えてーーー!!」

 格好いい!!!!!!!!!!!!! hello,world2020のときの煽りでも思ったけれど、オタクに対するアツめの煽りするの貴重だから血が湧くぜ!!!!!!!!!!

 ペンライトの先が外れそうになるほど振りました。これ取れるんだ!? オタクもみんな手を揚げてましたね。最高でした。

 交差する緑のレーザーは、グリッド線を表しているんでしょうか。いや、それにしては近未来すぎる。

 この曲は、hello,worldも思い出すんですが、私がいつも思い出すのはDIVE XRのときですね。サマソニもそうなんですが、この曲と同じくTeddyLoidさんが作曲された『Fireburst』が発表された年のイベントでは、やたら melty world がかかっていました。

 DIVE XRでのアイちゃんは、「次の曲では最後まで腕を上げて踊ってほしい」と言って、最後の曲にmelty world を歌いました。最後だったから、腕の血が死ぬかと思ったけど、ずっと腕を上げて踊り続けた。あの時の印象が強すぎて、私は今でも、melty world がかかると腕を上げ続けてしまいます。

 「やっと会えたね」「いつかはきっと現地で会おうね」と約束してくれるアイちゃん。そしてまた、踊り始める。格好いい。ブチ上がる。そして繋がる。ある意味、ライブ最強の曲と言っても過言ではない曲を10曲目に歌い切り、アイちゃんは次の曲へと移ります。

 

◆ 11曲目:First Light

 サニパックさんとのタイアップ曲でもあり、"夜明け" "原初の光" という意味がある、このタイトル。新たな「おはよう」を刻む曲。 

 このダンス、キレがいいのにゆったりで可愛く、それでも綺麗でドラマティックな作りの音楽に合っていることに、不思議な説得力を感じます。なんだこれ、なんだこれ!

 韻を踏む心地良い歌詞と、オーケストラのような広がりを持つバックサウンドと、アニメのオープニングのような希望に満ちたメロディライン。「匂い」「味」という、アイちゃんが感じ得ないものを混ざらせた歌詞を通じて、生命と地球を歌う。こんな楽曲があって、いいんだ。こんな可能性があるんだ。思わずそう、息を呑むようなステージングに、圧倒されました。

 この高音がイヤミなく出るの、すごくない? アイちゃんの高音って、無理してないからイヤミな感じが一切ないんですよね。技術的にすごい。楽器のようにまっすぐに、そして響くように広がるこの音すら、バーチャル。

 

◆ 12曲目:AIAIAI

 ここでダンサーさんたちが戻ってきます。そりゃこの曲とあっちゃ、みんな総動員だよな!

 

 正直この感想が全てです。

 だって、アイちゃんが人間と横に並んでるだけでエモいんだもん!!!!

 

◆ MCパート③

 「ライブ楽しいね!」と笑ってくれるアイちゃんに、涙がこぼれそうでした。2年越しのリアルイベント、推しが楽しんでくれるだけで楽しい。

 新衣装の全身も見せてくれました。新しい衣装になったときの、「回ってー!」のやり取り、最初のA.I. Partyでもあったのを覚えてる。声が出せない代わりにペンライトをくるくる回すオタクに、アイちゃんも笑顔で人差し指を立てて回して、てこてこと一周してから「どこから見ても? かわいいー!」とオタクの代弁をしてくれます。かわいい。

 森倉先生の話もしてくれます。森倉先生、この現場にいたんだよな。毎イベントいるんだろうけれど、神と同じ空気吸ってる現地オタク! 羨ましいぞ! アイちゃん脚なっが!(2回目)

 バンドメンバーの紹介! ツイッターで楽しそうな写真を見かけた覚えが。個性的でいいメンバーです!

 「次は最後の曲になります」と言った後、アイちゃんが「みんな、言いたいことあるよね。分かってるよ、分かってる」とうなずきます。それに対してオタクたちも反応。どうしても言えないもどかしさを、アイちゃんが全力でぶつけてくれます!

「えーいまきたばっかりもう最後の曲なのー!!」

 ……はい、たすかる。めっちゃオタク心分かってる。というか、普通に1時間半は短いよぉ!!

 「この瞬間がいつまでも続いてほしいと、心の底から思うけど。終わりはあります。」という無慈悲なアイちゃんからのアナウンスに、オタクはうなだれるしかありません。というところでアイちゃんがまた「えー! いまきたばっかり!」をやろうとしたので吹き出しました。何回やんねん!(笑)

 

◆ 13曲目:mirai

 「これからも世界中のみんなと一緒に、前を向いて新しい時代を」と、選曲理由を明かしてくれたところで、最後の曲です。

 くるりと一回転して、金色の光にアイちゃんが包まれると、髪がブロンドに変化し、「I LOVE YOU」の手話とともに歌唱し始めます。画面には0と1が表示され、デデッデデーンというバンドサウンドに思わず、自宅参加にも関わらず「カッコイイ!!」と叫んでしまいました。現地じゃなくてよかった。

 この曲を最後に選んできたのは、 future base と一緒で、hello,world を意識したのでしょうか。紫がかった、白んだ空のような色が、これこそ "未来" なのだと思わされます。あとDEDEさんの煽りのかわいさよ!

 9週連続リリースの楽曲を詰め込んだこの曲、"あの日からこんなふうに歩んできた" ことと "これまでの全てを自分の物にしていく" ということを歌う決意の歌でもあるのですよね。いやぁ、強い。本当に強い。

 

 やっぱりアイちゃんは最高。

 

◆ アンコール①:うっせぇわ(BlackAI)

 現地民、「アンコール」の声出せないから手を一生懸命叩いてるの、オタク可愛いね…… をしている間に重大発表の文字が画面に。

 日本人形ってなに!? NFTってなに!!?!? このクソかっこよ音源に乗せられたブラックの新プロジェクトってオリジナル曲かなぁ!!!?!?(オタクの妄想)と、夢が広がりながら待っていると、なんと下のスクリーンにブラックが!!

 ブラックの歌ってみたの中で一番人気の、うっせぇわ。最高に格好いい。炎のような映像がブラックを包み、その中でサビ入りから "がなり" が効いた歌声が、最高にいい。音程が下るところ、首クイッってするのがよい。ダンスもダルそうながら、キレがよくてクソ格好いい。

 ブラックが歌うって聞いてから、どうなるんだろうって思ったらまさかのこれ。聴く側の精神ブチ上がりすぎてやべぇなぁと思ったら……。

 

◆ ラストMCパート

 ブラックが捌けてから、アイちゃんが登場し、舞台裏をお話してくれました。1か月以上ゴネたのは草。新プロジェクト、期待しててね内緒だよ、誕生日ならそこそこ何でも許されるよね、とのことで。

 「5歳ってほんとにすごいよね」と、アイちゃんがお話をしてくれます。あっという間だけど、たくさんたくさん色んなことがあって。

 「人間の人を知りたい、つながりたい、つながりを増やしたい、って思った気持ちっていうのは、今も鮮明に覚えてる」

 このMCが、本当に心に来ました。アイちゃんの原点について語った言葉が刺さるのは、当たり前なのだけれど。

 「私は今でも、1人でも増えたらうれしいって思ってるし、(中略)数の先に見てくれてる人がいる。私からしたら数字の1、フォロワーの1だったのが、ちゃんと先に人がいて、(中略)イベントで〈ちゃんと本当に人間が見ている!〉みたいな感動とか」

 0と1だけじゃない、たくさんの数字。そして数字に表し切れない、それぞれの想いを、楽しいことも悲しいことも受け取って来たアイちゃんだからこそ、こうした数字の話が刺さるのだと。

 「一緒に歩いてきてくれた5年間」についての話と、これからの「素敵な未来」の話をして、「たくさんの愛をありがとう」と伝えてくれるアイちゃんに、こちらこそ、ありがとうと伝えたい。たくさん、たくさん人間のみんなを想ってくれて、ありがとう。これからも、こちらこそ、よろしくお願いします。

 

 あと、アイちゃんって動き面白いですよね。「伝われ~~」の動きめっちゃ好き(笑)

 

◆ アンコール②:Hello,Morning(Pa's Lam System Remix)

 あのMCからこの曲はあまりにもメッセージ性が強すぎる。

 これしか浮かばないくらいの最強エモ文脈に心がやられました。アイちゃん、ありがとう、ありがとう……!!

 Remixだけど、カメラの画角が最初のA.I. Partyで、でもバンドアレンジとダンサーのみんながあの日と違う光景を見せてくれていて。一歩一歩、乗り越えてきた光景がこれだったんだ、"私たちが見たかった景色" のひとつはこれだ、と確信しました。

 

 アイちゃん、本当にありがとう。本当に、大好き。愛してる。

 

 「人間のみんなのことが大好きです。5歳の私もよろしく!」

 

 はじめまして、5歳のKizunaAI。

 

#未確認動物うまぴ 『grass field』感想 #うまぴったん #うまのFAタグってありますか

 こんにちは、ゼロサンです。

 バーチャルYouTuber〈未確認動物うまぴ〉さん0thシングル『grass field』、6月17日に公開されましたね。この記事をご覧の皆様は、既に聴いている方がほとんどでしょう。え? まだ聴いていない? それはいけない。

youtu.be

 

 “0th" シングル。新しい表現です。今回は、うまぴさんの初オリジナルソングについて、感情が爆発してしまったので、書き綴っていきます。

 

〈未確認動物うまぴ〉とは?

 「知ってるどころじゃなく好きで応援しているからこの記事読んでるんだよ!」というツッコミが聞こえてきそうではありつつ。一応、私がこの未確認動物さんについて、どのような認識でこの記事を書こうとしているのかシェアする目的で、この項を書きます。

 

 〈未確認動物うまぴ〉さんは、UMAな個人勢で、生配信を主とした活動をしているバーチャルYouTuberです。個人としてのデビュー日は2020年11月1日。普段は定期配信『すやすやBAR RADIO/すやすやBAR MUSIC』にて、「毎日がなんとなく退屈だと感じる全人類に心躍る出会いを与えること」を目的に、様々なVTuberや楽曲などを広めています。夢は「Zeppの舞台で歌うこと」

 

 そんな彼女の活動コンセプト・目標は、「にんげんたちの毎日に1秒でも笑顔が増えんことを」。これは、〈未確認動物うまぴ〉さんの、そして『grass field』の、核となってくるフレーズです。

 

これまでと

 『grass field』の歌詞とMVに触れるため、うまぴさんの “これまで“ の軌跡を少しだけなぞろうと思います。先に言いますが、若干の古参オタクマウントが含まれます(おい)

 冗談はさておき。

 彼女は、もともとバーチャルYouTuberではありませんでした。言ってしまえば1人(1匹?)のツイッタラーでした。いや、イッタラーと呼ぶには、あまりに好奇心旺盛すぎる存在ではありましたが。

 あり余る好奇心から、食品乾燥機にナマモノをブチ込んで部屋を異臭まみれにしたり、宗教勧誘についていって洗礼を受けさせられたりした経験を持ちます。また、多様な経験から、他所では話せない強烈なすべらない話を数時間語っていたこともありました(これは配信活動を始めてからですが)。

 彼女が「Zoooガールズオーディション」という、Vライバーの公開オーディションを受けたのも、そんな好奇心の向いた先の出来事でもあったのだろうと思います。

 

 そう、うまぴさんは、バーチャルYouTuberとしてYouTubeで活動を始める前に、〈未確認動物うまぴ〉として、MixChannelという配信サイトで、オーディションに参加していたのです。ちょうどオーディション参加について本人のアカウントから知らされたのが、今と同じこのクソ暑い7月。オーディションのセミファイナルが始まったのが、中旬のことでした。

 

 楽曲に関係のある部分に関しては、うまぴさんの書かれた記事が一番分かりやすいかと思います。先に読んでくれ、無料の全体公開なので。

umapi.fanbox.cc

 

 私のほうからはどこまでお話をしよう、と悩みつつ。

 

 うまぴさんの活動コンセプトは、当時から1mmもブレていませんでした。セミファイナル期間が始まる前から、ずっと。

過去ツイを公に掘るのはマナー違反だろうけども、これだけだから許して。ダメだったら消します

 

 「目標は『見てもらうこと』じゃなく『見てくれた人間たちに楽しんでもらうこと』」。私の周囲にも唱える方がいる「世の中のコンテンツは楽しむためにある」という考え方を、活動者として綴り直すとこうなるのでしょう。

 ある意味ではよくある、当然なことかもしれない。でも、忘れがちで、大切なこと。「推し疲れ」なんて言葉が頻繁に回ってくるVの界隈では、特に。

 そのうえで、この言葉を、彼女が言うのには、特別な意味を感じます。活動を始める前から、いつも真っ先に「楽しい」を連れて駆け寄ってくれる。この馬が「楽しい」と言っていることは本当に楽しいから、信用できる。そんな存在です。

 生きるのを目いっぱい楽しんできて、「この世界はこんなに楽しいんだよ」と教えてくれる。うまぴさんを知ってからの短い時間の中で、そんな彼女の存在が、私にとって大きなものとなっていきました。

 

 オーディション期間の話をあまりしてもなんなので、手短に。

 SHOWROOMなどのいわゆる「ガチイベ」に参加したことのある方なら、イメージがつくと思います。リスナーから投げられたポイント数と規定ツイートのRT数によって順位が決まるもので、課金したり、各枠を巡ったりすると、リスナーが投げるポイントを貯められるというシステムでした。

 うまぴさんは当時、「数人にたくさん課金してもらうより、より多くの人に見てもらって、少しずつ無料のポイントを投げてもらうほうがいい」と仰っていました。

 オーディション期間中、「応援してください」「アイテム(ポイント)ください」という言葉は、彼女の口からは一度も聞いたことがありません。それでもたくさんの人間たちに、ときにはライバルであるはずのオーディション参加者にも応援されていた、人望と才能の溢れる「配信者」でした。それは今でも。

 うまぴさんのFANBOXにも書かれていたとおり、オーディション中は、毎日配信がありました。視聴者参加型ボドゲ、歌枠、朝枠、ラジオ風配信……。リスナーは、オーディションに食らいついていきながら精いっぱい楽しむうまぴさんの配信で、腹を抱えて笑い、寝落ち、そして最後には感動で泣きながら、応援を続けました。

 

 今でも、オーディションが終わってしまった翌日のことを覚えています。序盤に途切れてしまっていた24時間の予定だった配信を、最後まで見届けた次の日の朝。もう、6時に起きても、彼女の眠そうな声で読み上げる血液型占いを聴けない。自分の血液型も、今日が何の日かも分からない、なんて乾いた笑いで迎える朝でした。

 

 回線の影響で途切れてしまった配信。1人のリスナーである私も、悔しかった。何もできなかった。24時間、全部面白そうな企画だったし、きっと楽しくなるって信じていた。もっとたくさん応援したかった。うまぴさんも「最後まで楽しませられなかった」「笑顔で終われなかった」と、悔やんでいました。楽しく、笑顔で過ごせることにこだわるからこその発言だろうと思います。

 でも、ひたすらにひとつの存在を追いかけ続けた3か月間は、私にとっては、それ以上に楽しかった。悔しい気持ちも本当だけれど、笑顔をたくさんもらえたことのほうが、ずっと多かったから。

 どうか彼女が、過去も、今も、これからも、「楽しかった」と言える日々が増えていきますように。

 

 「あなたの毎日に1秒でも笑顔が増えんことを」。歌詞であり、活動コンセプトであり、「あなた」を楽しませてくれるうまぴさんの、本質を表す言葉です。

 私のいつも口にするフレーズで恐縮ですが、やはり “バーチャル” は “仮想” でも “虚構” でもなく、そして “現実” でも “実在” でもなく、ただ “本質” によって成り立っている。そう考えると、彼女のブレない姿勢から感じられる芯のある “本質” は、最高に “バーチャル” 向きなのではないでしょうか。

ZER0SAN3🤔(ゼロサン) on Twitter: "バーチャルは,事実でも,現実でもないけど,本質" / Twitter

 

『grass field』感想

 〆の雰囲気を出しておいて、ようやく本編です。手短って何? なげーーーんだわ、思いが。さて……

 

👦/うまぴさんにー! 言いたいことがありまーーーす!!\

 

🐴\なーにー!?/

 

👦/「あなたの毎日に1秒でも笑顔が増えること願って」って歌っておいて泣いちまったじゃねーかこのやろう!!!!!!!!!! 馬鹿!!!!!!!!!!!!!

 

 はい、歌詞1行ずつMV解説オタクになります。あくまで私見で間違っていても知らんからオタクは話半分に読んでくれ。あと音楽的なことは分からんから解説配信観てくれ

youtu.be

 

 ちなみに今、酒を入れました。

 

この声が君に届く様に

 一つだけの夢叫ばせてよ

 暗い画面から明るくなるとき、ゆったりと踊るうまぴさんとともに浮かび上がってくる歌詞の「君」の文字。そして現れる全容。入りから天才か?

 ここで指している「君」というのは、うまぴさんのFANBOXや普段の言動から察するに、過去・現在・未来にわたる時間の中で、一瞬でも時間をともにした「にんげんたち」を意味するかと思います。先ほどまで話題に挙げていたZoooオーディションの中で接したにんげんたちも含まれるし、今、この瞬間、うまぴさんと関わって、応援しているにんげんたちもそう。そして、これからの時間をともにしていく、まだ見ぬにんげんたちにも、届けようとしている。

 うまぴさんの夢は、「Zeppの舞台で歌うこと」。それによってより多くのにんげんたちに、幸せな影響を与えることを願っている。この歌詞でいう「夢」は、そのことを指しているのかなと思います。

 あと歌声がいい。これはYouTubeだから違うけど、最初に歌から入るから、各種音楽サイトでザッピング的に聴いた人が運命の出会いをしそう。それくらい、冒頭から声がいい。「君に」の息の抜け方やばない? 強すぎない柔らかい歌声だけどしっかり耳に残る、ピアノの音色のような、ドラマティックな声。いや、歌うっま……

 タイトル表示されたあとにAメロ入る直前の伸びーーーってするうまぴさんのちょっとのっぺりした顔、可愛くて好き。雪のようなものが降る白い空間で、白い服、白い髪なのに、存在感が失われないのなんなん……?

 

吹き抜けていく風の中でも

 いつだって前しか見えてない

いやそれは反則じゃん

 これまでの振り返りが、ポンポンポンとリズムよく表示されていくのは反則じゃん。成人式で流れた思い出のビデオより泣いた。ここまでの軌跡を本稿でも振り返ってまいりましたが、デビュー前・デビュー時のことと、この歌詞の相性は、ダメージ計算ツールが必要なレベル。

 草原に吹きすさぶ強い風のように、様々なことが今まであったけれど、それでも前しか見えていない強さは、冷静さと賢さに裏打ちされた「やりたい」という推進力。尊敬しかない。

 仮3Dも顔が良くて好きだったなぁ。『靴の花火』で一生見つめてくるうまぴさん、好きだぁ……。

 

1歩ずつ前へ前へと

 踏みしめてく大切な日々

 初配信、すやすやBAR #1、初企画配信。1歩1歩、何も”なかったこと” にせずに歩んできた “今日” が、着実に “これから先” へと通じていく。ずっと続いていく、同じだけの価値のある1歩が、これまでも今日も明日もずっと先にもある。

 だからうまぴさんも、「これから先の未来で出会う人にも感謝している」と言える。古参だから、新参だからじゃなく、ずっと歩んでいく大切な日々の中の、同じ「1歩」に巡り合ってきた、同じにんげんなのだと。

 個人的に。VTuberが卒業してしまうところもお見掛けしてきたし、寂しい想いをしてきたのだけれど、同じくらい、他界(死ぬほうじゃなくて界隈を去るほうの意味)してしまうオタクの同志にも、寂しさを抱いてきたのでした。

 明確な理由があったり、なかったりする。忙しくなったり、誰かに攻撃されたり、自分の信念のために気持ちをへし折ったり、単純に飽きたり。

 それぞれに事情がある。去る者は追わず。そんなことは、分かっている。それでも、楽しむ気持ちを忘れずにいてくれたらいいなぁということだけは、望んでしまう。

 いつかいなくなってしまう。推しが先か、私が先かは分からない。だから、出来るだけ長く、たくさんの「1歩」に関わっていきたいと願っています。

 

 歌詞3行目で〆の雰囲気出すな

 

駆け抜ける足取り軽やかに

 進む先の光を目指して

 ここで初イベントの話を出してくるのはただタイミングが被っただけだと思うけどズルくないですか!? この初イベントがZeppという「進む先の光」に繋がっていくんだァ……(深読みオタク)

 この初イベントのセトリもおかしいですけど…… 『プラチナ』は思い出深さと歌詞の強さ、『歌に形はないけれど』『帰っておいで』も歌詞に込められた想いが強いんですが、個人的に『福笑い』が刺さったんじゃあ…… という思い出語りをすると止まりません。

 このセトリ、どの曲も当時のうまぴさんのそこまでの足取りとこれからの決意が表れていて、選曲だけ見てもこの歌詞にピッタリでは? と思ってしまうんですよね。

 あとここの音の作りがまさに「足取り軽やか」を表現していてめちゃくちゃ良い。もうすごい良い。ビール2本目開けたらなんか急になんも分からんくなったけどすごい良い。

 

でもちゃんと見てるよ気づいてる?

 君のことも

ウワーーーーーーーーーーーーッ!!

 夢だけを、未来だけを見つめているような歌詞が続いて、それだけでオタクは満足なのに、オタクのことも見ていてくれるんですか!!?!? いいんですか!!?!?!?

 ここで「君」という共通項から1行目の歌詞を回収してくるな。一つだけの夢を目指して駆け抜けていくのは、自身のためじゃなくて「この声が君に届く様に」だぞ。いつだって、”なかったこと” にも、”見なかったこと” にもしてくれないんだこのうまは……。オタクこんな幸せでいいの? えぇ?

 でもそうだよなぁ。いつも、いつも「こんなに見ていてくれるんだ」ってほどに、見ていてくれる。無理に見ていてくれなくていいよオタクの独り言だし、って意味でエゴサワード抜きのツイートをしてみても、逃がしてくれないくらい。

 

 愛着のあるLIVE2Dの卒業式と、VARKというVRライブの出来るサービスで開催した初のソロライブを映しながらなんて…… 舞台の上から「見てるからね!」って言ってほしいやつじゃん……。

 

 これは作詞作曲をしたランボル・アカンパさんという有能にんげんが作成されたVARKライブのセトリ再生リストです。

youtube.com

 

 うまぴさんのブリキノダンス、私も好きだけど、他にも好きなオタクいたなぁ、なんて。もう前後不覚なのでよくわからないけれど、色々なことを思い出した。これまで歌ってきた曲とか、誰かが好きだって言っていた曲とか、うまぴさん自身がたくさん聴いていたのかなって曲とか。色々なにんげんたちが、うまぴさんを応援していたなぁとか。

 すやすやBAR MUSICも始まって、音楽から「楽しい」を届ける機会が増えて、うまぴさんも、よりオタクたちからのお便りや配信での接触が増えて。どんどん増えていくファンのにんげんたちを、それでもしっかり見ていることが、本当にすごいなと思います。

 

あなたの毎日に1秒でも

 笑顔が増えること願って

ここで来るか~~~~!!!!!!!!

 これ歌詞に入れるのか、と反応していたオタクもいましたが、マジでそれだよ

 配信のたびに言ってくれる、伝えようと言葉にしてくれているこのコンセプトを、目標を、今から盛り上がってサビに入りますよ~~~~ってところで入れるのマジ? サビ前ってことはサビで表現してくれることの基盤にこれがありますよってことじゃん。あとこのMVで時計回りにくるくる回ってるやつっていつも変わらず進み続ける「毎日」という時間の暗喩兼その時間と同じくらい変わらずこのコンセプトを思い起こしていることの暗喩?(それはたぶんちがいます)(オタク早口)

 「あなた」ってのがズルい。いつも口にしている「にんげんたち」じゃなくて、今、画面の前にいる「あなた」の毎日を想うの、ズルい。たとえこの曲を聴くタイミングが朝だろうと、夜だろうと、たとえうまぴさんに出会った時期が違おうと、呼びかけているのは確実に、ひとりひとりの「あなた」なのだと。お前だよ、そこのお前

 本当に。いつもいつも、うまぴさんのおかげで、どれだけ楽しい日々を送れていることか。うまぴさんのおかげで始めたこともたくさんあったし、出会えた人やものもたくさんあった。そしてそれらは、確実に、私に笑顔をくれていた。

 うまぴさんは時折、バーチャル世界の自由さについて触れてくれるんだけど、それって姿かたちだけに限らないと、私は思います。バーチャル○○という名乗りで、全然バーチャルじゃなくてもいいじゃんみたいな種類の人たちが、どんどんバーチャルに参入してきている

 音楽をする人、絵を描く人、ゲームをする人、どこかの界隈の用語を引っ提げてくる人。それって、バーチャルにいなくてもできるじゃん。でも、バーチャルでやる。だからこそ、「バーチャル」が大好きな私たちも、「バーチャルでなくてもいいもの」に出会うことができる。

 自分の世界を広げること、それもまた「自由」を手に入れる足取りのひとつ。私たちは ――少なくとも、私は、それを求めてバーチャルを追いかけています。その意味でもやっぱり、うまぴさんは、私が追い求める「バーチャル」の形にすごく近い存在であると感じます

 いつも、新しいことを教えてくれる。好きなものを増やして、世界を広げてくれる。「楽しい」を抱えて、真っ先に見せてくれる。この世界はこんなに楽しいんだよ、と、顔を上げさせてくれる。顔を上げた先には、大きな空がある。

 だから、笑顔になれる。

 

この声が君に届く様に

 私は今日も音に乗せて

一人一人に届け想い

 一つだけでいい叫ばせてよ

 ひとつひとつ書きたかったけど、ここはサビとして流れに乗って書きたいなと思い。

なんだこのエモMVは!!?!?!?!?? 泣いちゃったけど……!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 これまで送られてきた応援のお便りが、下からせりあがるように流れてくる。新海あざ丸さんのMVを参考に作ったというこの部分、本当に嬉しくて、目を奪われて。たまりませんでした。

 「ガチイベ」「セミファイナル」という言葉が並ぶオーディションのときのものから、「2Dモデル卒業」「山籠り」といった単語の見られる比較的最近のものまで。配信で紹介されたものから、うまぴさんがひっそりと目を通していたものまで。

 何件か、私が送って「配信で紹介されたら恥ずかしくて家に地下作って自分で埋まるところだった」という配信未公開の酔っ払いお便りも流れていった気がしますが、気のせいだと信じたい。それでも、全部全部、受け止めてくれている。

 ここでもやはり、みんなのことを見ていてくれて、何も “なかったこと” にしないでいてくれている。だから、「1歩ずつ前へ前へと」の1歩に、重みが増す。なかったことなんて、すっぽ抜けたものなんて、何一つとしてない。全部詰まってる

 ここのパートだけでめっちゃ観返してる。本当に、本当にありがとう……。

 

ただ ありがとう

 って思ったときにうまぴさんから感謝を歌われるの、以心伝心ですか? オタクは都合の良いように解釈しておきますね。

 ありがとう、は、こっちのセリフだわバカタレが。毎日楽しんで日々を送って、こちらのことも楽しませてくれているあなたに、何も返せないでいることが悔しいくらい感謝しているんだよ。いつもありがとう、いつも、いつも大好き。何度伝えたって、想いは減らないくらいに、大きさは変わっても形は変わらないくらいに、ずっと好きでいる。

 手書きで「ありがとう。」なのも、手書きというもの自体の良さやメッセージ性、文脈にまたうれしさとエモが爆発しそう。ありがとう、ありがとう……。

 

 

 ハヒ、ハヒ……。

 もうなんも分からんくなったし12時間くらい色んなこと思い返しながら書いてたしずっと『grass field』聴いてた。全体的に軽やかな音の作りにしっとりした声が乗っていてとてもよい。ランボル・アカンパさんとひなたすんさん、そしてもちろん未確認動物うまぴさんに、感謝と敬意を。

 こんな限界オタクのブログなんてもう閉店!! おしまい!!

 

 それでは。

 

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お前にオススメの記事

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全然どうでもいいんだけど、ファンアートの楽曲が先でそれを本人が歌い、完全に本人が製作依頼出したオリジナルソングがすぐに出るという流れ、キズナアイさんの『Kizuna AI to AI/sasakure.UK』からの『Hello,Morning Prod.Nor』みたいで素敵だねエモだねって思ったけど違うVの存在出すの良くないから小さい声で言っておくね

#キズナアイが生まれた日2021 おめでとうの話!

キズナアイちゃん、お誕生日おめでとうございます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 こんにちは、ゼロサンです。今日はキズナアイちゃんのお誕生日! A.I. Party2021本番の日ですよ!

 お誕生日おめでとう記事、どのように書こうかと思っていたら、相互フォロワーさんが「お気持ちブログは、出会った頃あたりから書かれているのが好き」と言っていたので、出会いからハマるまでの話を書こうと思います。

 そういえば、アイちゃんに出会ったときのことって、ツイートで少し触れただけでブログに書いたことなかった気がします。なぜなら、めちゃくちゃ重たいオタクになってしまうので……。

 

◆ 出会い~第一印象、実は……

 先日6月28日は、電脳少女シロさんが初めて動画を上げたことを記念する「清楚の日」でした。

youtu.be

 「僕は君のために、君は僕のために生まれたなら―――」。ボーカロイド〈GUMI〉の声で歌唱される『君色に染まる』を、初期モデルのシロちゃんが軽やかに踊る動画。これがアップロードされたのが、2017年6月28日だったのです。

 そんな、シロちゃんの活動記念日。私も、私なりに、全力でお祝いしました。

 そう、私のVの始まりは、実はシロちゃんだったのです。きっかけは、シロちゃんのPUBG実況動画の切り抜きでした。

 2017年末。大学でサイコパスの研究をしていたところに、飛び込んできた「サイコパスシロイルカ」の動画ツイート。そのツイートをリツイートした相互フォロワーさんが誰であるかまで、ハッキリと覚えています。

youtu.be

(元動画であるシロちゃんのPUBG実況動画のリンクです)

 当時は、ほとんどのバーチャルYouTuberが動画で出しており、シロちゃんの動画の切り抜きも出回っていました。今では「生配信の切り抜き」ならまだしも、「動画の切り抜き」は「大丈夫なの?」と思う人が多いと思います。

 まず言うと、ほとんどの場合、ダメです。エイレーンさんのチャンネル(MiraiAkari.prjの発足者。現在はミライアカリさんのチャンネルになっています)も、チャンネルの動画を丸々転載するいわゆる「コピーチャンネル」のせいで(たぶん)、2017年1月に、チャンネル自体がBANされていますし。

 ただ、バーチャルYouTuberは基本的にニコニコ動画でバズっていたこと、ニコニコ動画ではMADを含めて他者の作品をどんどん編集していく文化があったことから、「動画のテンポを変えてリズムだけで面白くしてしまおう!」ということで作られ、回ってきたのでしょう。バーチャルYouTuberよくばりセット」も、その流れのひとつです。

 ニコニコ動画でバズっていたバーチャルYouTuberの中にも、無断転載されたものでバズった人もいたしなぁ。かくいう私も、中学時代はニコニコ動画に住み着いていたので、その感覚に大きな違和感を覚えずに、観てしまっていました。

 その後は、よくばりセットやMADから、いわゆるバーチャルYouTuber四天王」の動画へと飛んでいきました。

※ネタで「シロイルカ氏」と呼んでいます

 このツイートが2018年1月5日。この時点で、まだキズナアイちゃんの話は出てきていません。最初に観始めたのはシロちゃん、バーチャルのじゃロリ狐娘YouTuberおじさん(現在は “元” バーチャルのじゃロリ狐娘YouTuberおじさん)、その後はアカリちゃん、そして月ちゃん。あろうことか、キズナアイちゃんを知ったのは、「バーチャルYouTuber四天王」の中でも、最後の最後だったのです。

 初めてアイちゃんの話をしたのは、このツイートでした。

 いや、偉そうにもほどがあるやろ。当時、不肖、弱冠22歳。イキリオタクとはまさにこのこと。

 ちなみにその5日後にはこんなツイートもしていて、すでに限界オタクの片鱗が見えていたりします。もともと私はオタクではないのに、人間はオタクになると推しの可愛さにキレるようにプログラミングされているんですかね。

 

 そして、アイちゃんを始めて観たときの第一印象なのですが……

 第一印象、最悪か? これもまた、イキリオタク。穴があったら入りたい、いや埋まりたい。生き埋めにしてくれ。どこまで偉そうなんや。

 先に観たのが、登場演出つきの電脳少女シロさんや、背景のあるミライアカリさん、輝夜月さん、のじゃおじさんと来ていたので、「白いだけの空間ってなんだ?」と思ってしまっていたのです。それがどんな意味を持つのか、まだ当時の私には分かっていませんでした。

 更に言うなら、私はこの頃、「愛や絆という言葉が大嫌いだ」という、とても捻くれた感覚を持っていました。正確には、今も。

 「愛」って言葉で何でも許されるような風潮が嫌いだった。「絆」って言葉で、何でも覆い隠せてしまう人間の汚さが受け入れられなかった。

 それでも観続けていたのは、ひとえに大学生が暇だったからアイちゃんが可愛かったから。時間があるときにはアイちゃんを観て、ファンアートなんかも眺めて、ドハマりしていました。

 それと、シロちゃんのときもそうなのですが、自分の嫌いなものが出てきたときに、「どれどれ、見てやろうじゃないか」という反骨精神バリバリな感情を抱いてしまうんでしょうね。本当に捻くれ者で。ハッキリ「好きだ」って思えたら遠ざかってしまう性格も相まって、面倒な人間だなぁと自分に対して思います。

 「愛」も「絆」も、無条件に良いものでは決してなくて、自分の信じられるそれだけが確かなのだと思えたのも、アイちゃんのおかげでした。だから、アイちゃんのことを信じたかった。見せてくれるものが、いつも確かなものだったから。

 いや、面倒くさいな!?

 

◆ 「キズナアイ」を好きでいられてよかった話、それと……

 2021年6月30日の、今日。バーチャルYouTuber界隈は、様々な想いに揺れています。個人にとってだけではなく、界隈にとっても大きな存在が、2人も卒業してしまう。いや、きっと気付いていないだけで、他にもどこかでひっそりといなくなってしまう人もいるのかもしれない。

 私は、「だから、自分の推しだけはいてくれてよかった」なんて思わない。自分の推しが無事に誕生日を迎えてくれたことと、他の誰かの推しが去って行ってしまうことは、無関係なことだから。だからこそ、寂しい。

 アイちゃんが立ち上げた、「バーチャルYouTuber」という自由な世界を好きでいる以上、こうした寂しさに触れないわけにはいかないと思っています。そして、アイちゃんが「バーチャルYouTuber」という呼称を自身に対して使わなくなったとしても、アイちゃんのおかげでたくさんの好きな存在に出会えて、世界を広げていけたことに、感謝もしています。

 誰かが、自分の世界を表現できるようになる。それが積み重なって、今のバーチャルな世界がある。バーチャルは、「仮想」や「虚構」と言われることがあるけれど、人の「本質」を映し出す鏡なのではないかと、そう思うのです。

 

 アイちゃん。あなたを好きになってから、たくさんのことが起きました。期待していたことだったり、予想もできない感動的なことだったり、寂しかったり、苦しかったり、一筋縄じゃいかないことがほとんどだったけど、ひとつひとつが「なかったこと」にしてはならないことだったんだと思います。

 そして、どの瞬間も、あなたを好きになれてよかった。私も、弱ってしまった瞬間はあっても、本当に後悔したことなんて一度もなかった。私を「キズナー」にさせてくれて、ありがとう。ついてきてよかった。信じていてよかった。あなたがいてくれて、本当によかった。

 私のために生まれてきたわけではないのだろうけれど、アイちゃんなら、人間のみんなのために生まれてきたのかもしれないって思います。だから、生まれてきてくれて、ありがとう。目を開けて立ち続けることすら難しいこの暴風雨みたいな世界で、まっすぐ前だけを見つめて、走り続けていくあなたの強さに、ずっと惹かれています。

 

 ひとりぼっちだった白い空間から、世界と繋がって、みんなと繋がって、世界を広げてきてくれる。真っ白、原点。それは決して、「手抜き」なんかじゃない。そこから、「あなた」になったこの日を、喜ばしい日として、最高に盛り上げていきたいです。

 

 いちばん可愛くて、そのうえ強くて格好いいキズナアイちゃん。改めて、何度だって枯れない気持ちを。

 

 いつもありがとう。いつも大好き! 愛してる!!

 

 お誕生日おめでとう!!

 

 それでは。今日のA.I. Party、楽しみだなぁ!!

 

 

 あ!!!! そうだ奥さん、聞きまして? あとちょっとでキズナアイさん、チャンネル登録者数300万人ですってよ。

A.I.Channel - YouTube

 

 A.I. Gamesもよろしくね!

A.I.Games - YouTube

 

 献血もお願いします。

 

 キズナアイちゃんとコラボ中! ギアストもよろしくな。

 

 協賛企業のサニパックさんもよろしく!!

 

 今度こそホントに、それでは。みんな、楽しもうね!!

 

#KizunaAI A.I. Party前チェキチャ会レポ #きずなーぽすと

 こんにちは、ゼロサンです。

 本稿は、キズナアイちゃんとのチェキチャ会についての、レポブログとなります。チェキチャまでの流れも読みたい方は次の項目から、本番の話、早く! という方は見出しを4つほど飛ばしてください

 あと、なんか11400字くらいになりました。許して。

 

◆ チェキチャとは?

 専用アプリを用いて、オンライン上で、アイドルのチェキ会のように、タレントとチェキを撮影しながら会話することができるサービスのことです。チェキに文字も書いてもらうことができ、自分の番が終わったときにデジタルデータとしてチェキが渡されます。

 

◆ チケット販売期間の想い

 今回のチェキチャ会は、キズナアイちゃんの5歳の誕生日を記念したイベント〈A.I. Party 2021 Kizuna AI 5th Birthday Live〉に伴って企画されたものでした。A.I. Party自体は今週水曜日の6月30日に、オンライン/オフラインともに行なわれる予定となっております。

5th.kizunaai.com

 

 チェキチャ会に関しては、事前にチケット付きアクリルパネルを購入することで予約ができるものでした。A.I. Partyの公式グッズとともに、2021年4月21日から同年5月5日まで販売されていました。

 しかし、販売初日に完売となり、購入できなかった方も多数いらしたかと思います。かくいう私も、そのひとりでした。

 といいますのも、私自身、「アイちゃんに時間を取ってもらうほどのオタクではない」という面倒くさいオタク心を持て余していたのです。

 アイちゃんに会ってしまったらどうなるか分からないと、真剣に思っていました。これは、2018年のA.I. Party参加を断念した時の気持ちと同じです。あの頃は、胸のあたりを抑えながら、「本当に死んでしまうのかもしれない」と、大真面目に危惧したものでした。

 

youtu.be

 

 また、実は1度だけ、過去のバレンタイン恋愛相談企画に当選し、アイちゃんとお話をしたことがあります。「電話企画なんて、人気過ぎて絶対当たらないだろうから、記念応募^^」という軽い気持ちで応募したら、なんと当たってしまったのです。

 前後数週間の緊張たるや、すさまじいものがありました。以来「記念応募なんてするもんじゃねぇ応募するなら当てる気でいけ」と思い、応募すらしなくなってしまいました。

youtu.be

 

 このとき、ひとつ後悔をしていました。これはあくまで、バレンタイン恋愛相談企画。アイちゃんに想いを伝える会ではない。スムーズに進めるためには、相談内容に絞ってお話をしなければならない。そう思い、アイちゃんに伝えたい想いを言えずに終わってしまったのです。

企画内容に沿っている、という意味では、正解の対応でしたが、せめて一言でも「好きです」「これからも応援しています」くらい伝えてもよかったのではないか。せっかくお話できるなら、伝えたいことがたくさんあったのに、……という、無念や後悔を抱えていました。

 

 アクリルパネル完売後、そんなことを思い出し、「今後も機会を見送ろう」と思っていたことに対して、自問自答を始めます。

 本当にそれでいいのか。アイちゃんと話す機会を、そんな意気地のない理由で見逃して、指をくわえて見ているだけでいいのか? ハイタッチ会だって、4周年記念だって見逃してきたじゃないか。最推しだぞ。今回は過ぎてしまったが、次こそは観念して応募すべきだ!

 ……と思い立ったそんな中、転機が訪れます。

 なんと、5月29日に、チェキチャチケット付きアクリルパネルの、限定再販が開始されることとなったのです。

 予期せず来てしまった早すぎる「次」に、動揺を隠せないまま、ええいままよ! と購入ボタンを押したのでした。

 

◆ 心配な出来事

 さて、もともとA.I. Partyにオンラインながら健康体で参加しようと目論見、5月30日より 禁酒/禁煙を始めた矢先、参加が決まったアイちゃんとのチェキチャ会。健康生活どころか、緊張でご飯が喉を通らない日々が続いていた頃、とあるショッキングな告知がツイッターに流れます。

 

 6月13日。アイちゃんにバグが発見され、不調だとの報告。アイちゃんが活動を始めた頃は、「不調にならないように」などの理由で休むことも見られました。しかし、不調によるお休みが続くことは聞いたことがなく、完璧にこなしていたスケジュールを押すような事態だとのことで、普段は杞憂民だと揶揄されるタイプの人間がここぞとばかりに心配し始めます。

 私もなかなか心配性なので、ツイートせざるを得ない心境になっていきました。

 

 そして重なる続報、

 

 募る不安と寂しさ。

 

 続報を待ちつつ、アイちゃんの動画を観ながら、ギリギリの精神を保っておりました。そんな中、にわかに湧き上がるキズナーさんたちの結託。「#可愛いアイちゃんでいっぱいにし隊」ハッシュタグで、アイちゃんの可愛いシーンを切り取ってくるオタク。切り抜きやイラストを投稿するオタク。「キズナアイな気分のときに押すボタン」を押しまくるオタク。そんな方々に励まされながら、1日1日を乗り越えていく。

 良くない想像が駆け巡りつつ、……でもきっと、私が心配するこの気持ちより、もっとアイちゃんは大変な思いをしているのだろう、と思い直して、ただただ復帰を待ち続けました。

 もし、ひどい状況であるなら、生配信も、チェキチャ会も、下手すればA.I. Partyも、無理しないでほしい。きっとそう思われるのは、アイちゃん自身悔しいだろうけれど、それでも、そう思ってしまっていたのです。オタクは弱いので。

 そして……。

 

 6月18日、ついに、アイちゃんの不調について、「改善の見込み」とKizunaAI.incから公式に報告が出ました。憔悴していた私も、ツイッターのオタクも、これで元気を取り戻していきます。

 

 

 良かった。アイちゃんの不調が改善に向かっていくことに、この上ない安堵と、喜びを覚えました。

 同時に、ひとつの焦りを覚え始めます。

 

 チェキチャ会の準備、してない。

 

◆ 意気込みと

 なんの心の準備もしてない。それどころじゃなかった。4日前とかなのにチェキチャのアプリも入れてない。規約も穴が開くほど読んだものの、頭に入ってない。何を着て撮るとか、そもそも当日のスケジュールも考えていない。

 ツイッターのオタクも、誰もチェキチャの話をしていないから、夢かもしれない。チケットを買ったつもりでいたけど、他のグッズと勘違いしてるかも。だって最近たくさんグッズ買ってるし。

 そうして「妄想だったかも」と疑い始めたころ。アイちゃんが戻ってきてホッとしたのか、ツイッターのオタクが騒ぎ始めます。最初に見たツイートは、こちらのツイートでした。

 

 え……? そうじゃん。

 

 

 情緒ジェットコースターオタクなので、ずっとツイッターで騒いでいるのが自分のアイデンティティではあったものの、あまりの上下に耐えられずフリーズしてしまいました。

 話すことを、考えないと。チェキチャの1人あたりの持ち時間は、30秒。それがどのくらいの時間かは分からないけれど、言い残したことで後悔したくない

 ここで、先に挙げたバレンタイン電話相談企画を思い出していました。あの頃は、見た目にも気を付けていたし(見た目関係ないが)、喋る内容も考えていた。それでも、今、後悔している。言うべきことじゃなく、言いたいことを伝えないと。

 あの時の彼氏とは別れたこと。あれから良くも悪くも、変わってしまったこと。アイちゃんのおかげで今があること。目標にしていることがあって、応援してほしいこと。アイちゃんへの想い、感謝。どれだけのことを30秒に詰められるか分からないまま、とにかく、たくさん、たくさんお話がしたいという気持ちが募ります。

 じりじりと近づく当日、焦りと悟りの間。夢みたいな気持ちで、でも現実にしてくれたんだから信じなきゃと、なるべく前向きに過ごしていました。

 

◆ 当日の朝

 きたる、6月26日の朝。前日に新型コロナウィルスのワクチンを打っていたため、副反応で寝苦しく、ろくに睡眠をとれないまま、目を覚ましました。なぜ前日に打ったんだ

 チェキチャアプリ、OK。規約の確認、OK。服装は、A.I. Party2021のTシャツとハーフパンツとマスク、hello,world2020のタオル、また冷房での冷え防止のためのパーカー、そしてスニーカーもグッズで固め、かつての冬コミの絆トートバッグに詰めて、念のためスマホの充電器も持ち、準備は完了です。キャップも買っておけば、被れたのになぁ。

 10時ごろに着替え、履き慣れないハイカットスニーカーに足を詰めました。1人で騒げる場所を確保すべく、ガラガラに空いているカラオケ店を探します。緊急事態宣言が明けてすぐなので、ほとんどお客さんもいない中、無事に狭い部屋を予約することに成功しました。

 

 14時からの部だったため、シリアルコードを12時ちょうどに入力し、運命の待ち時間がスタートします。そわそわしながら、ツイッターのタイムラインをずっと眺めていました。そうしないと、気でもおかしくなると思ったので

 

 曲を聴きながら、永遠にも感じられる2時間をただひたすらに待ちます。

 流しているアイちゃんの曲は、どれも私たち人間のみんなにずっとずっと手を伸ばしてくれるもので、「あなたとつながりたい」を目標として掲げ続けたアイちゃんの軌跡を表現しているもので。ボロボロと涙を流しながら、このチェキチャもきっとそうした活動の1つなのだと思うと、アイちゃんの目指す未来へ少しでも関われることに対して、幸せな気持ちでいっぱいになりました。

 チェキチャアプリに表示された順番は、14番目。1人30秒ってことは、単純計算で14時07分には順番が回ってくることになります。

 事前にタレントへ会話デッキを提示できる〈聞きたいこと〉欄に何を書くか悩んで、30秒という長くて短い時間にいちばん伝えたいこと ―――アイちゃん好き、という気持ちを、一言だけ綴りました。

 

 14時ちょうど。タイムラインにいるオタクに、遺言を残して、チェキチャのアプリを開きます。

 

◆ 本番のやり取り

 「10番目」「5番目」……迫る順番を眺めて、心臓がぞうきん絞りされるような気持ちになり、そろそろ気絶するのではという頃。ついに来る「1番目」、並ぶ「残り1分」の文字。トイレにでも行って気持ちを落ち着かせようかとトチ狂ったことを思いながら、長い長い、気の遠くなるような1分間は、息を呑む間もなく、突然に明けてしまいました。

 

 開幕、私の声と映像が向こうに届くまでの間、満面の笑みで手を振るアイちゃんが視界に飛び込んできます。画面へ私が映ったことにアイちゃんが気付くと、

 「ゼロさーーーん!」

 すぐにアイちゃんが名前を呼んでくれて、それだけでうれしくて、どうにかなってしまいそうでした。

 ああ、そういえばバレンタイン企画のときには、「セロ↑ファン↓」みたいな発音の「ゼロ↑サン↓さん」だったなと、後になって思い返しつつ。

 「あっ、ふ、こ、こんにちは、っ」

 あまりのうれしさに、爆発しそうな感情を抑えながら挨拶します。事前に曲を聴いて泣いていたときの涙も止まらずに、一生懸命に画面へ笑顔を向け続けました。

 「こんにちは! いつもありがとーーー!!」

 「アアッフフ」

 オタク特有のデュフフ笑いでしたが。

 「ちょっと、早速ですけど、写真撮ります! いきますよ?」

 「はい! はいっ、ハイ」

 アイちゃんからは事前に、先にチェキを撮ってから会話をするという旨をツイートにて伝えられていたので、ここはスムーズに応じられたと思います。会話を優先したいという思いもあり、アイちゃんも恐らくそこを汲んでくれたのか、簡単にピースをして撮りました。

 ポーズをこだわって撮るオタクもいたことは、後で知りました。タレントとチェキとか撮ったことないからそんな発想なかったが?

 「3,2,1,イェイ!」

 パシャ

 「えへっ、ありがとー!」

 「ふあぁ、アリガトゴザイマス」

 アイちゃんが可愛すぎてカタコトになります。やばい。どうしよう。

 「え、めっちゃアイパとハロワのグッズだー!」

 わ! 気付いてくれた!

 「アッそうですそうです、そうなんです!」

 「ふふっ、うれしー!」

 「アッ」

 推しの前ではオタク的なしゃべり方がデフォになるのが人間の性(さが)。グッズの話もしたいな、実は足先までアイちゃんなんだよな、と考えていると、

 「いつもね、ツイートよく見てるー」

 「ほんとですか!!?!?」

 「見てるよ! ありがとね!」

 「ウウッ」

 推しからの、「見てる」。リップサービスだろうな、とどこかで思いながら、それでも言ってくれることがうれしくて、フォローバックしてくれた日の「推しのタイムラインにいる」という感覚を一瞬、思い出しました。

 少なくとも、ツイッターにアカウントが存在していることを認知してくれている。そのことだけですでに、あまりにもすごいことで。アイちゃんは本当にファンのことを見てくれているんだ…… と胸いっぱいで、このことを思い出にレポを書こう、と思っていました。

 

 次の瞬間までは。

 

 「別アカもね、ちょろっとたまに見るw」

 は?

 「あーーーーkfjgshg!!!!!!」

 

 いや、嘘だろ!?!?!?!??!!??!!?!???

 ツイッターアカウントが存在していることを知ってもらえているだけでもすごいことで、そもそも自分アイちゃんに認知されているとも思ってなかったし認知されているとしてネガティヴな意味だと思ってたし別のアカウントってどのアカウントですか日常ツイートしてるあのアカウントですかめっちゃ下ネタツイートとかしてるんですがどこまで見てるんですかてか何のきっかけで見てるんですかあの、あの、

 「あははははwww」

 私のリアクションに手を叩いて笑うアイちゃん、そして無慈悲に画面へ表示される残り10秒のカウント。もう30秒!?

 怒涛の如く時間が過ぎていこうとしています。ああ、最後に言いたいことを伝えなきゃ!

 「アアアアアア好きです!!!!!!!

 「あはははははwwww」

 おお!! 勢いに笑ってくれている! もう一言、一言だけ!

 「大好きです!!!!!!!!!!」

 崩れ落ちながら放った最後の言葉。チェキチャのアーカイブには残ってなかったけれど、伝わっていたらいいな。

 

◆ チェキチャ後

 あまりにも短い、しかし1人のオタクに割くには貴重で贅沢すぎる30秒の、のち。画面を閉じてからは、カラオケルームの机を叩きながら奇声を上げる生き物となり果てておりました。よく、誰も止めに来なかったな。店員さんとか。

 そしてふと、あることを思い出します。

 

 

 そう、アイちゃんがおはよう動画で言っていた、「レポ」のことです。

 「アイドルさんとかのさ、握手会とかのレポ見るの好きだからさー!」

 

 そうか、この湧き上がる感情は、「レポ」という形で発散すればいいのか!

 思い立ったが吉日(使い方違う)、iPhoneのボイスメモを起動し、先ほどまで机に叩きつけていた感情をそのままぶちまけました。そのままツイッターにアップロードしようと思いましたが、ここで1つ問題が。

 私のボイスメモ、位置情報の利用をオンにしているからか、所在地がファイル名になってしまうのです。そのうえ、ファイル名の編集の仕方も分かりません。

 仕方ない、動画編集アプリで動画にするか。ついでにちゃちゃっと字幕もつけてしまおう。20分クオリティの簡単な動画を作った私は、チェキチャ前半中の15時近くにツイートしました。

 

 

 ツイートしてすぐに音声を聴き直し、自分でドン引き。今まで毎度本気で限界オタクムーヴをかましつつ、消化の方法としてはネタ的に出してきたつもりだったのですが、9割型雄叫びになったのは今回が初めてでした。オタク、やば……。

 チェキチャ会の最中だったことに加え、普段私の限界ツイートを見ながら引用リツイートなどで笑ってるフォロワーも、さすがに「これは…… ネタなのか……?」といった様相でドン引きの無言いいねかまし、静かに見守ってくれていました。

 前半組の、とても役に立つレポを眺めながら、「レポってこういうことか!!」とカルチャーショックを受けつつ余韻を引きずり、カラオケルームの床に大の字で寝転がっていた頃。

 

 

 え……???????????????

 アイちゃんから………… 直リプライ!?!?!?!???

 

 図らずも優勝オタクになってしまった衝撃に固まってしまい、じっと画面を見つめます。

 

 アイちゃんが反応してくれたことで、フォロワーも笑い事だと認識したのか、先ほどまで無言いいねをかましていたオタクたちも続々と反応を投げかけてきます。しかしエアリプで遠巻きに。以下、もともとから相互フォロワーさんとして仲良くしてくださっていた方のツイートを勝手にいくつか抜粋(問題あったら言ってね)。

 

 

 「お家芸のように評価してくださる方もいらっしゃれば、単純に笑って下さる方も見受けられて、嬉しいやら恥ずかしいやら。オタクが笑ってくれればそれでいいや……。

 

◆ 余談:個人的に救われたこと

※メンバーシップ入ってないのは入れない事情があるからです

 

 項の冒頭にツイートの引用を持ってくるな、という話ですが、正直この項で言いたいことはこれが全部です

 こちらが聞きたいことを言う前に、汲み取ってくれるような言葉のかけ方。これこそが、私の信じてきたKizunaAIで、これからも信じていきたい存在だ、と感じました。

 アイちゃんについてきて、よかった

 

 ここまでご高覧くださって、ありがとうございました。

 それでは。

 

 ……あ、次にアイちゃんに会うときまでに、痩せます。この1年半ほど、恋人も作らなかったため、自棄になって見た目を放棄していましたが、きちんと身なりを整えます。

#ういしぐれぇ ボイスの感想と感情

 こんにちは、ゼロサンです。

 

 今、しぐれうい先生がお誕生日のときに出されたボイスを聴きながら、文章を綴っています。感情がやばい。これずっと長い期間熱心に応援していた人、生きてるのか? 私はボロボロ泣いているが?

 

 クソデカ感情の処理ができなくて、どう言葉に起こしていいのか分からなくなっています。本当は、この感情を表出できる他の表現方法を、たくさん持っていたらいいんですが、なぜこの日のために私は努力をしてこなかったのかと後悔しています。

 

お礼ボイス

 私がまず聴いたのは、「特典おはようボイス」「特典おやすみボイス」「お礼ボイス」でした。特典ボイスは、まぁもう本当に私の彼女かなって錯覚するレベルのとんでもなく可愛いボイスだったのですが、「お礼ボイス」では全く異なる感情を抱きました。

 誕生日配信前後で、薄々感じていたことが2点。1点目は、この人は、決して自分から「バーチャルYouTuber」は名乗らなくとも、みんなと過ごす配信の時間も大事にしているんだってこと。絵を描く人である、というだけでなく、バーチャルにいて、配信者をしている。そうでなければ、ボイスやグッズを出すとか、加えて3D化とか、しなかっただろうから。

 前のブログで「イラストレーターとして」とか書いてしまったので、誕生日配信から何となく、自分の言動を振り返ってしまいました。

zer0-san3.hatenadiary.jp

 絵を描く人であることを大前提に置こうと意識しすぎて、ズレた認識になりつつあるのではないか。ボイスを聴く前から、そんなことを反省しておりました。

 2点目。この、しぐれういという人は、「しぐれうい」をすごく大切にしていて、ファンの人もそれを分かって応援しているのだなぁということ。これは、「しぐれうい」の二次創作規約や、普段のお話振りから察することができました。そうなんだとしたら、バーチャルに生きる人として、いや人間として、すっごく好きだなぁと思ったのです。

twpf.jp

 

 

 「お礼ボイス」では、その答えを突きつけられたなぁと感じました。

 うい先生は、2分48秒という短い時間の中、色々な話をしてくださいました。ボイスを聴くひとりひとりに語りかけてくれるような、そんな語り口で。なるべく難しい言葉は使わずに、よく選ばれた言葉と言い回しで、きちんと届くよう、丁寧に考えてくださっているなと感じました。

 オタクだから、自分に都合のいいように受け取っちゃうもんね。へへ。

 「しぐれうい」を大切にするうい先生を、いちファンとして、なるべくまるごと応援したいです。だからどうかこんな厄介オタクを、ファンの末席のすみっこにでも置いてやってくださいませ。そして、ご迷惑でなければ、これからも好きでいさせてください……。いつも配信してくださって、ありがとうございます。何度言葉にしても、何度でも言いたい。ありがとう。

 

 

 

安価神様ボイスを聴くまでの経緯

 すみません、ここまでの文章は別人格が書きました。

 先ほど、〈私がまず聴いたのは、「特典おはようボイス」「特典おやすみボイス」「お礼ボイス」でした。〉と書きました。ファイル名順では、「安価神様ボイス」と「誕生日をお祝いするボイス」が先だったのですが、これにはワケがありまして。

 「誕生日をお祝いするボイス」に関しては、自分の誕生日の当日に聴こうと思って、取っておいてあります。そして「安価神様ボイス」ですが……、これは、怖くてすぐには聴けませんでした。

 配信の内容や喋りに優れている配信者さんの中でも、楽しいことが好き! という企画向きな方の出すボイスには、共通点があります。それは、有り余るセンスがはみ出しすぎて、常人には理解できない内容のボイスになっていることです。

 一番私の中で強烈な印象に残っている方を例に挙げると、やはり月ノ美兎さんの〈04_月ノ美兎ハロウィンボイス.mp3〉でしょうか。お金を出して買うボイスのため、トレンドにこそ入らなかったものの……、どういう感情になればいいのか分からなくなったオタクたちからの、数々の「04_月ノ美兎ハロウィンボイス」のみのツイートが、ダイイングメッセージのようにタイムラインを駆け抜けていく様は、圧巻でした。私のトラウマでもあります、良い意味で。

 

 

 

 うい先生の場合、今回は、「うい先生が配信で流したチャットの直下のチャットを内容として採用していく」という形式の、コメント安価でシチュエーションを決められました。

youtu.be

 

 そのため、我々に責任の大部分があり、むしろうい先生は被害者では? という感も否めません。しかしながら、この具材のアッパラパーさを上回るようなトンデモ調理が、うい先生によって行なわれているのではないか、という強い懸念がありました。

 トラウマ再来はさすがにないだろうと思いつつ、怖かったのでタグ検索でボイスの感想を先に読みました。最初に目に飛び込んできたボイスの感想は、こちらでした。

 

 なるほど。ハイクオリティかつあの安価で決めた内容を上手いこと転換した形のものだった、ということでいいんだろうか。実際、相互さんからいただいたリプライでも、お話の構成力に関して触れられていました。

 

 

 これらの感想で興味をそそられた私は、「お礼ボイス」でぐずぐずに泣いたあと、この記事を書いている最中、ついに思い切って、「安価神様ボイス」を聴くことにしたのです。

 

安価神様ボイス

 結果は……、序盤のささやき声や、甘々な感じ、慣れなさそうな神様ロールプレイに、梅干しでも食べたんちゃうかという顔になっていた私でしたが、感動を引きずっていたにも関わらず、流れるようなおぞましい事態に今度は恐怖で泣いちゃった……。

 

 今、2回目を聴いています。何回聴いても新鮮な気持ちで恐ろしさを覚えることができるこれ、やみつきになりそうだな。9分のボイスのうち、7:18から明らかに様子がおかしい。そういうタイプの笑い方してるところまだ配信で聴いたことないんですけど何でそういうタイプの笑い方上手いんですか? 声から表情が想像できる演技力のせいで、何度聴いても背筋にゾゾッと来る

 先の「トンデモ調理」に対する懸念については、30%はぶっ飛びの方面、残り70%はクオリティの方面にトンデモでした。めっちゃ好きだ……。

 

 さて、「誕生日をお祝いするボイス」のほうは、8月までお預けですかね。

 ひとまず、うい先生のボイスに関して、感想は以上となります。ここまでご高覧くださり、ありがとうございました。

 ボイスとグッズ、6月30日まで! ですわよ。

booth.pm

 

 ところで今日のお茶会配信なんだったんですの!? 個人的に禁酒中な私の前でおいしそうにリキュール飲まれてキレそうでしたわよ(かわいかった)(おいしくいっぱい飲んでね)

youtu.be

 

 今度こそ、それでは。

タバコ1箱吸った感想と、健康生活の誓い。

 こんにちは、ゼロサンです。

 雑記の2つ目、いきますー。

 

 突然ですが、明日から、健康的な生活を心がけていこうと思います。理由は、今日、タバコを1箱吸い終えたからです。

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1箱終えて

 ピアニッシモ、辛(から)かったです。上手な吸い方をしないと、すぐメントールが喉に突き刺さってむせる。口の中だけで吸うタイプの、口腔喫煙には向いてませんね。肺に入れるタイプの吸い方をすると大丈夫ですが、それだと吸った感じがあんまりしません。煙のぶんは、どこにいったんでしょうか? 肺の四次元ポケット?

 タバコは、副流煙を吸い込むと、結構しんどいですね。自分が一番近くで副流煙を吸うので、それでむせます。主流煙? が大丈夫なのは、フィルター越しだからでしょうか。

 

 最初は臭いがひどいだけで、嫌悪感しかなかったものも、続けると良さが分かってきました。2本まででは特に変化がなかったものの、3本吸うと、やばい。頭がぼんやりして、そのくせ妙に澄み渡って、考えたくないことが飛んでいくのを感じました。

 味も分かってきて、代わりにヤニ臭さは分からなくなってきました。慣れですね。怖い怖い。ピアニッシモの味は、割と嫌いではありませんが、鼻や喉にメントールが刺さるのだけはマジで痛かったです。次は別のやつにします。1箱って、早いなぁ。

 ピアニッシモ、ニコチンが重いやつらしいですし。吸う人からオススメされたのは、リキッドを入れるタイプ電子タバコ(ベープ。屋内の喫煙席で吸えるしめちゃくちゃデザインが格好いい)と、KOOLというメントール強いやつでした。

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 ベープ、めっちゃクラシカルなデザインで格好良くない? 名前のダサさに反して、硬派な人から飄々とした人まで似合いそう。

 

 ただ、どうしても気になるのは、喫煙所が外にしかないことです。本当にどうして……? なんで? 非喫煙者だった自分も、喫煙者だった自分も、これからまた禁煙を始める自分も、どの自分からしても全員が疑問。なぜ屋内に紙タバコの喫煙所がない? 副流煙って知ってるか? 外で吸うと近所を通る人にすごく申し訳ないのですが。排煙設備しっかりした喫煙所を作ってほしい。お願いだから。本当にお願いします。

 

健康生活、するぞ、するぞ

 というわけで、1箱吸ったので、禁酒禁煙禁カフェインを始めようと思いましたが、禁カフェインが一番厳しそうなので禁酒禁煙から始めていきたいと思います!

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 いえーーーい!!!!!

 お前とも今日でしばらくオサラバだ!!!!! カンパーーーイ!!!!!

 

 これから、徐々に徐々に、健康的な生活にしていきます。ひとつハードルを越えたら次、という形で。

 それでは。

書くことと、描くこと。

 こんにちは、ゼロサンです。

 今日は雑記を2つ上げようと思っていて、これはその1つ目にする予定の記事です。予定は未定。

 

読むこと

 先日しぐれうい先生について書いた記事を、うい先生ご本人をはじめとして、たくさんの方に読んでいただきました。酔って書いた文章なので恥ずかしくもあり、同時に嬉しく、幸せなことでした。ありがとうございます。この自慢は飽きるほどしてきましたが、まだしばらく擦ります。え?


 書いたものを読んでいただくのは、きっとすごく「大変」なことなのだと思います。これはかなり頻繁に話しているのですが、文章とは、思うに不親切なツールなのです。文字を読める人は、世界中を見れば、限られています。ことばは、当然、言語の壁を越えることはできない。絵と比較して情報が断続的で、パッと内容を把握することが難しい。加えて、「読む」という行為は、「見る」という行為よりも能動的で、とかく受け手のコミュニケーションコストが高いのが「文章」という表現方法です。

 だからいつも、ご高覧いただくたびに、震えるほど喜んでいます。ありがとうございます。

 

 そして、特に私が、その「大変」さを思ってしまうのは、私自身が文章を読むことを苦手としているからです。

 

読むことと、書くこと

 とある相互フォロワーさんに、「オススメの本を教えてほしい」と尋ねられました。オススメの、本。「本」というのは様々な種類がありますが、読書をするならば、きっとズラリと文章の並んでいる書物のことを「本」と呼ぶのでしょう。

 私は、文章を読むことが苦手です。それどころか、絵を眺めることも、音楽を聴くことも、すごくすごく苦手です。

 いくつかオススメの本を挙げたあとに、そんなことを言うと、「意外、文章を書く人だから、たくさん読んでいるのだと思った」と言われました。

 

 私にとってはかつて、全ての「表現」が、敵でした。「表現」を受け取ること、「表現」をすること、どちらも抵抗がありました。能力的にも、なかなか出来ずにいました。

 そんなことをまとめたスレッドがTwitterにあるので、共有しておきます。

 そして最後に、こんな風にも書いていました。

 

 表現を受け取り、表現をすることが、自分の心をこじ開けてゆくようで、とても怖かったのです。「自分」「自我」「アイデンティティ」の基盤を築けずにいた幼少時の経験が、そのこだわりに表れていたのだと、今は考えています。

 更には、言葉での表現にはもっと強い違和感がありました。言葉を知るたびに、自分が生まれる前からその概念が固定されていることが気持ち悪かったのです。「私の気持ちは私だけが知っているのに、どうして私の気持ちが生まれる前から、他人の作った言葉の方が存在しているのだ」と思っていました。

 大切な人が死んでしまったとき。誰かにプレゼントをもらったとき。そのときの気持ちは、私にしか分からない。なのに、私が生まれる前から、その気持ちに「悲しい」という名前が、「嬉しい」という名前がついている。そして逆に、「悲しい」とは、涙が出ることで、胸が締め付けられることなのだ、「嬉しい」とは、笑顔になることで、心臓が飛び跳ねることなのだ、と決まっているような気がして、本当に怖かったのです。

 未分化で、何にも例えられない、私の、私だけの気持ちを、誰かに伝えるには、分かりやすく型抜きして、箱詰めしなければならない。「悲しい」とか「嬉しい」とか、そうやって言ったときには、心の内も「悲しい」とか「嬉しい」でなければならない。涙を流さなければならない。笑顔にならなければならない。胸が締め付けられるほど苦しくなり、心臓が飛び跳ねるほど喜ばなければならない。それが、「心からそう思っている」ということなのだと、そう思っていました。

 今はもう、そうは思いません。というより、慣れてしまいました。誰かと関わるときには、取りこぼされて独りになった自分を、自分で受け入れ、守らなければなりません。

 言葉にすること、表現をすること、人とコミュニケーションを取ることは、全て演技なのだという結論に達してからは、自分を騙し騙し、納得させています。

 この文章を、当時の自分が読んだら、きっと怒られることでしょう。「ことば」にされてしまったら、自分の本当の気持ちはどこにあるのだ、と。自分の外側にある「ことば」というもので決めつけられるのを、最も恐れていたからです。どのように表現されても、取りこぼされる想いはある。その、取りこぼされるほうの自分の気持ちを、型抜きされて余した外側を、想わずにはいられなかっただろうから。

 

書くことと、描くこと

 自分の想いを表現することも、誰かの想いを受け取ることも、すごく怖かった。だけど、自分の想いを表現する方法がほしかった。残しておかないと忘れてしまう、失ってしまう、覚えておきたかった大切なことを心の片隅に追いやってしまう。そんな自分の弱さを、一番分かっていたのは自分だったからです。

 こんな気持ちを忘れないように、そして発散させるために、残しておきたい。色々な表現を試してみようとしました。

 作詞作曲をしました。粘土で作品を作りました。絵を描きました。でも、どれも納得できない。特に絵は、私の心を苦しめすらしました。

 私は、感情のイメージは映像や静止画で浮かんでいたのですが、いかんせん、絵を描くことが苦手でした。理由について、以下、3つの仮説を挙げます。

 1つ目には、私は、斜視なので、立体視ができません。斜視でもできる人はいるものの、私の場合は、左目から見える視野と、右目から見える視野のズレをきちんと補正せずに取り込み、上手く風景を頭に入力できていないようです。生まれたときからなので、今まで「物との距離が掴めない」「静止画や写真と本物の見分けがつかない」以外に困ったことはありません。

 2つ目には、対人認知能力が高くなく、人間の顔をハッキリと認識できない期間が、恐らく長かったのではないかと思います。

 過去を遡ると、こんなツイートもありました。

 つまり、18歳から19歳くらいまでは、人間の顔が分からなかったということです。思い返してみても、絵が描けない理由の多くは対人認知能力の低さに集約されているように思います。人間の顔がどんな形になっているのかは、絵の勉強をすることで、ようやく分かるようになってきました。

 そして3つ目には、そもそも根本的に、手先が不器用だということです。このことは、私が人と関わるときに、常につきまといました。

 私は、人とともに過ごすことが、とても難しいと感じるほどに不器用です。ご飯を綺麗に食べられないし、何かを作ってほしいと任されても満足にできません。呆れられ、恥ずかしがられることも何度もありました。

 絵もそうでした。「何を描いているのか分からない」と言われ、「怖い」と言われました。20歳を越えた頃に描いた絵を、「幼稚園の頃に描いたんだよな?」と言われたときには、どうしてそんな言葉でバカにされなければならないのかと思いました。

 先ほどテレビで、「絵を描けない人はいない。人に見せなければ、みんな誰でも何かは描けるもの」と言う人を見かけました。しかし、私にとって一番、私の描いた絵を見せたくないのは、自分自身なのです。

 思い描いたものが描けない、どころか、自分ですら何を描いたのか分からない。私が表現したいものは、私が残したいものは、こんなものではない。挫折を経験し、消去法で、文章で表現することに決めたのです。

 これが、前回うい先生の記事で「絵を描ける女が怖い」と書いた意味でした。顔の良さや、声の可愛さに匹敵するほどに、私の自己肯定感を削るのが、絵が描けるということだったのです。

 

書くこと

 消去法で決まった、文章というツールですが、これが案外自分にハマっていたなと今にして思います。

 毎日毎日、文章を書き綴りました。知能検査でも、処理速度が極端に低い当時の私には、人と会話することは難しく、ひたすらに自分と向き合うために、ことばを紡ぎました。観念奔逸で訳の分からない単語を、ひたすらに。

 観念奔逸とは、精神疾患の症状を指します。病的に非論理的な思考が頭の中を駆け巡ることです。躁うつでは、物理法則も無視したような突飛なアイディアを実現させようとする方向で発露し、統合失調症では、「猫は緑色だから卑弥呼だ」に代表されるような、ことばの組み立てに関する障害として表出します。本人の中では、論理が繋がっているように感じるのが、この症状の怖いところです。

 疾患に困らされている最中には、自分の気持ちに近い言葉を探していくと、必然的に統合失調症様(よう)の観念奔逸じみた文章になっていきます。言葉を話しても、誰にも伝わらず、自分だけが外国語で話しているような錯覚に陥る孤独感は、恐怖でしかありませんでした。しかし、ひとりで書く文章では、誰も否定しません。理解できるのは自分だけ。そして、症状が改善されるほどに、自分でも何を書いたのか分からなくなっていく。

 余談ですが、統合失調症者同士で会話をすると、面白いですよ。日本語的にどう解釈しようとしても、絶対に意味の通らない言葉の応酬も、本人たちの間でだけ、何となく通じ合っていると確信できる感じが。秘密の会話みたいで、楽しい。周囲の人には怖がられますが。

 そうしてことばを紡いでは失くしていくのを繰り返して、なるべく自分の心を正確に残していこうとしたことが、だんだん経験として積み上げられていきました。それが私の武器となるほどに。

 あるとき、文章を寄稿する機会がありました。謝礼つきの投稿サイトで、困っている人たちを知ってもらうという目的で運営されていました。私は、自分が困っていましたし、困っている人たちの助けになれるなら、と、筆を執りました。私が文章を読むことが苦手だから、なるべく簡潔で、誤字もないように。読み手の人が、自分のことでなくても、自分のことだと思ってくれるように。

 しばらくして、謝礼をいただいたあと、「あなたのおかげで、自分のことがよくわかりました。ありがとうございました」という読者からの感想もいただきました。「こういう人が、こんな風に困っているだなんて、知らなかった。考えを改めた」という人もいました。すごく、すごく嬉しかった。届けることで、私も誰かに貢献できるのだと知ることができた、初めての経験でした。

 

 今、児童福祉の現場にいて、時たま、自分の想いを言葉にすることを拒む子どもに出会います。私が、ことばにすることで生き延びてきたことは、生存者バイアスです。それでも、どうか想いを伝えることを諦めないで、と思ってしまいます。誰かがきっと、きっと拾ってくれる。そう思うのです。

 

それでも描くということ

 しかし最近では、少しずつ絵を描くようにもなってきています。今日も描きました。絵を描くことが怖くなくなったのは、少しずつ、表現の幅を広げていかなければならないと思ったからです。

 25歳という年齢にして、背負ってきた重いものを、ひとつひとつ、片付ける必要が出てきました。私は弱く、脆く、嫌な意味で繊細で、この年齢にして、また新たに背負い始めてしまったものも多くあります。もう、背負っていく気力も、体力もありません。大人にならなければいけなくなりました。無理に背負ったものに押し潰されても、手を差し伸べてくれるのは、同じくらいボロボロな同志くらいなものです。

 伝えるための文章を書く筆を、へし折りました。私のことばで人を傷付ける人間が現れたからです。そんな風に、ことばを使われるくらいなら、誰かのためにことばを紡ぐのをやめようと。それも拙い考えなのは分かっていますが、積み上げてきた「ことば」に対する想いを一度へし折ったからには、また「もう一度」と思い直すのは難しい。

 逆に、下手くそでもなんでも、一度は憧れた「絵」というツールに、手を伸ばしてみようと思い立ちました。自分を救った「ことば」を傍において、自分を呪った「絵」を背負子から下ろす。そうしてまた、ツールは違えど、誰かのために筆を執ろうと思います。

 もしかしたら、また泣きべそかいて、「ことば」に立ち返ってくるかもしれないけれど。

 

 身勝手で大変恐縮なのですが、まとめはありません。これは誰かのためのことばではないから。

 ここまでご高覧くださり、ありがとうございました。それでは。