zer0-san3’s blog

zer0-san3.hatenablog.comの漢字かな混じり墨字文バージョン。

鏡の中の双子

その日はちょっとだけ、機嫌が悪かったんだと思う。


「レイちゃんなんてもう嫌い!!」


ドアを開けて外に飛び出す。バン、と、強い音を立てて、玄関のドアを閉めた。

レイちゃんとケンカした。珍しく、大声を出して怒ってしまった。


「ちょ、ちょっとリオちゃん! え、え!?」


戸惑うレイちゃんに少し、いやすんごく心が痛みながらも、どうしても嫌な気持ちが収まらない。頭を冷やそうと思って、そのまま走り出す。

風を感じる。夜風だ。春に向けて少し肌寒い風。いちおー、出るときにコートはかっぱらって来たから、耐えられなくはないかなって感じ。


今回のは、きっかけはちょっとした行き違いだったけど、ずっとモヤモヤしてたことが爆発しちゃったんだよねぇ。

なんかさぁ最近あの人、はっちゃけすぎだと思う。昔はもっと静かでおとなしくて私にだけすんごい喋るみたいな感じだったのに、こないだもさぁオフでぽんぽことピーナッツに趣味の話ふっかけてたし。そゆとこだよね。

私にもどんどん冷たくなってくし、最初より趣味全開で私を振り回すし……なんなんだろ。

それから他にもさぁ……あれ、なんだっけ? 忘れちゃった☆


そんなわけで、最近のレイちゃんの変化にはモヤモヤしてたわけです、私は。それがなんかヤだったんだよね。なんでかは知らねーけど。


どこに行こうかと迷いつつ、3kmくらい先の公園に向かう。

最近甘いもの食べすぎだから、VR以外でも運動しよって言って、昨日から2人で始めたランニングで目標地点にしてたところ。

3kmってけっこう距離あるよねー。


子どものころは、レイちゃんも運動がそれなりに好きだった記憶がある。私が運動好きだから、一緒に付き合ってくれてたっけ。最近はもう、動いて遊ぶことも減っちゃったなぁ。

今はなんであんなに引きこもるようになっちゃったんだろ。


公園にたどり着いた。少しは頭が冷えたかも。ちょっとトイレ寄ろうっと。で、休憩してすぐ帰ろう。


トイレで顔を洗って、鏡に向き合う。あ、やっべぇハンカチ忘れた。

どうしてケンカしちゃったんだろ。レイちゃんが変わってくことは、悪いことじゃないのに。


ベンチに座って休憩しようとしたら、一瞬、足がぐらついた。疲れたのかなぁ。なんだか、めちゃくちゃ眠い。すんごい眠い。ああ、ダメだ、こんなところで寝たら——

 

 

 

目が覚めると、家のベッドの上にいた。なんで? レイちゃんが運んでくれたのかな……あの運動不足のレイちゃんが?

もしそうなら、本当に悪いことしちゃったなぁ。

時計をひっつかんで目の前に持ってくる。朝の8:30だ。

隣のベッドを見ると、レイちゃんが寝ていた。相変わらず寝相悪すぎ。お腹出てるし、ぴょこぴょこもどっかいっちゃってる。


謝んないと。というかどこにあるんだろ、ぴょこぴょこ—— と、探そうとして、レイちゃんのベッドに近づく。

すると、いつものレイちゃんからは感じられないような香りがした。なんて言っていいのか分かんないけど、なんかオシャレな香り。香水かシャンプーかな? 珍しい。

ぴょこぴょこを探してみたけど見つからない。そんなわけない、外しても絶対近くにあるはずだ。

ない、ない、ない。ベッドの下も周りもない。布団めくってみてもどこにもない。おかしいなぁ。


「ん゙ー……。」


ベッド周りでもちょもちょしてたからか、レイちゃんが不機嫌そうに目を覚ました。


「レイちゃんおはよー。ねー、ぴょこぴょこ知らない? レイちゃんの。」


昨日のこと、謝りたいけど、謝るのはレイちゃんが完全に起きたあとにしよ……とか考えながら、レイちゃんにぴょこぴょこの場所を聞いてみる。寝起きだから喋りたくないかもしれないけど、もし無くしてたら大問題だ。

そしたら、完全に予想外の答えが帰ってきた。


「なにそれ……?」


え? レイちゃん……?

いや、まだ頭がぼーっとしてるのかもしんない。意味が通じない、なんてことはないだろうし。


「ぴょこぴょこ! レイちゃん頭にいつもつけてるでしょ! 赤い! サツマイモ!」


説明つければ、さすがの寝起きでも分かってくれるっしょ。あと、できれば起きて一緒に探してほしいなぁ。ほら今日は動画撮らなきゃだからさぁ。

レイちゃんは、「うーん」とか「んー?」とか、寝起きの悪い人間特有の独り言を発しながら、ずっとベッドの上をゴロゴロしていた。そしてしょぼしょぼした目をこっちに向けて、


「ぴょこぴょこって、なに?」


ムスッとした顔で、ハッキリと、そう言った。

え? うそでしょ?


「レイちゃん……ぴょこぴょこ、分かんなくなったったの……?」


不安になり、もう一度聞いてみる。


「んー、……なんのことぉ……? わたし、頭に飾りとかつけたことないけど……。」


眠気覚めてないっぽい顔だけど、確かな口調でそう答えた。

ぴょこぴょこで通じなかった、どころではない。「頭に飾りとかつけたことない」? それはバヤ。そんなわけがねぇ。


「ねーぇレイちゃん、寝ぼけてんの? ほら、あんたさぁ、赤いサツマイモのついたさぁカチューシャみたいなやつ、いつもつけてたじゃん。わかる? アレどこやっちゃったの? ねぇ。」


つい、まくし立てるように聞いてしまう。

だって、だってそんなわけがねぇんだ。アレは、ぴょこぴょこは、レイちゃんのトレードマークで、大事なものなんだ。

マジで忘れちゃったのかな。キオクソーシツ? いやでも、ぴょこぴょこのことだけ忘れるとかある?


「サツマイモのついたカチューシャなんてあるわけないじゃん。」


「いや、それはコトバのアヤというか……こう、赤いリボンみたいなのがついたやつ! あんた自分のトレードマーク忘れちゃったの!?」


「トレードマーク?」


こいつマジで覚えてない……?

そんなわけない、そんなわけが、と独り言をつぶやきながら、ベッドの周りを必死に探すも、どこにもそんなものは見当たらない。まるで、最初から存在しなかったみたいに。


「ねぇ、レイちゃん、これドッキリ? どっかに隠してるんでしょ、ねぇ。レイちゃん。」


それしかない。ぴょこぴょこがないわけない。レイちゃんが存在を忘れるなんてことも、ありえない。

ドッキリだったら、いつもみたいに、ここで笑いながらネタバラシしてくれるでしょ。


「……ねぇリオちゃん、あんた大丈夫?」


本気で心配された。その言葉が、決定的に、私の方が間違ってるってことを突きつける。


「ほんとに、ほんとにドッキリじゃない……?」


「どーゆードッキリ?」


「レイちゃんのぴょこぴょこがなくなっちゃったドッキリ……。」


「だからぴょこぴょこって、なに?」


まるで何のことか分からない、というレイちゃんの反応に、ふわふわとした現実みのなさを覚える。


「………………ちょっ、と、頭が寝てたわ。夢でも見てたかもしんない。」


全然納得出来ないけど、たとえドッキリだったとしても、今はこっちが引き下がるしかない。


「顔色、悪いよ? もっかい寝る?」


これ、いつも体調崩したときにしてくれる顔じゃん。よっぽどだな。

顔を覗き込んできたレイちゃんから、またふわりと良い香りがして、頭がクラクラした。


「……いや、いーや。今日動画撮るでしょ。」


正直混乱してるけど、まずは今日やることをしなきゃいけない。他の日も予定詰め詰めだし、今日やらなきゃ。

動画を……そうだ、動画。動画を見れば、どっちがほんとか分かるはず。

まだどっかで、レイちゃんの反応を信じられない自分がいた。


ひとまず朝の支度をして、レイちゃんに撮影の準備を任せている間、スマホにイヤホンを刺してYouTubeを開く。なんでもいい、動画を見ないと。

おめがシスターズ。自分たちのアカウント——


画面の中には、ツインテールの私と、……ぴょこぴょこのないレイちゃんのアイコンがあった。

アイコンだけ変えてるかもしんない。そういうドッキリかも。たぶんレイちゃんは今ごろ反応を楽しんでるんだ。動画なら変えられないはず、動画なら……。

すがるように画面をスクロールする。でもそのサムネに、ぴょこぴょこをつけたレイちゃんが写ってるのは一個もない。

サムネだけ差し替えた? そんなバカな。そこまで手の込んだことはしないでしょ。


試しに1つ再生してみようと思って、たまたまその画面にあった双子ドッキリの動画を開く。11/22の「ツインテールの日」に視聴者のみんなへ仕掛けたドッキリを、11/25、「いい双子の日」にネタバラシした動画。


『レイちゃん… 投稿していくよ…(小声)』


『いいよ!(小声)』


『いくぞ…(小声)』


『絶対すぐバレるけどね』


そこにあるのは確かに、自分たちで撮った記憶のある動画だった。声も、喋ってる内容も、喋り方も、動きも、間違いなく私の知ってるレイちゃんだ。

ただ、記憶と1つ違うのは、そこにいるレイちゃんに、ぴょこぴょこがないこと。


どうにか編集して動画を差し替えた? そんなこと出来るんかなぁ。ぴょこぴょこだけ消すなんて。昨日私が出てってから編集したのかな。

色々考えてたら、いつのまにか、見ていた動画も半分を過ぎて終わりが近づいている。


『俺らってやっぱ 双子なんだよな…』


そう、そうだ。私たちは双子だ。

2人ともそっくりで、これまでずっと隣にいて。私たちは、双子なんだ。

再確認するように、自分の言葉を噛み締めた。

なんだろうなんか、見失っちゃいけないものを、見失っちゃいそうな気がする。


「リオちゃーん、準備出来たよー!」


撮影準備が終わったレイちゃんが声をかけてきた。


「はぁい。今行くー。」


ぬぐえない疑問を払いながら立ち上がる。正直まだ信じらんないけど、私がおかしいのかもしんないし、今は黙ってよう。


……あ! 髪結んでねぇ!


「レイちゃん待って!」


あっぶな。どんだけぼーっとしてたんだろ。さっき「ツインテールの日だよ」って言ってる動画見てたくせに。

いや、ワンチャン、今日だけはこのまま撮ってもいいかも……?


「どしたの?」


レイちゃんがこっちを覗き込む。「早く髪結んで!」って怒られるかなぁ、と思ったけど、なんも反応なし。


「や、あの、今日さぁ、髪下ろして動画撮ろっかなって。イメチェン……みたいな?」


自分でも何言ってんのか分かんねぇなコレ。そもそも、なんで髪下ろして撮ろうなんて思ったんだろ。絶対ダメじゃんそんなの。よく考えてなくても、いきなり髪下ろして撮るとか、みんなもさぁ混乱するでしょ。やっぱやめ——


「いいんじゃない?」


「え?」


「じゃあ今日から、そうしていこっか!」


ウソでしょ。


それからあとは、何をしていたかあまり思い出せないまま1日が終わった。頭の中に残っているのは、レイちゃんの香りと、動画を撮ったというぼんやりとした記憶だけ。

まさかほんとに髪下ろしたまま撮影するなんて。


「リオちゃん、あとはわたしがやるから、ちょっと寝てたら? 明日は朝早いし。」


「うん……。」


よっぽど具合悪そうな顔してたんだと思う。あとはアップするだけなんだけど、机から追い出された。


ベッドに横になる。スマホをつけたら、おめシスの今日の動画がアップされた通知が来ている。どんな反応が返ってくるんだろう—— 不安に思っていたのに、知らない香りに包まれて、すぐに眠気に吸い込まれてしまった。

 

 


目が覚めた。時計を見ると、8:25だ。もう朝じゃん。そんなに私、疲れてたんかなぁ。

もしくは、あれは変な夢だったのかもしれない。レイちゃんがぴょこぴょこのこと忘れるなんてありえないし……。


隣のベッドを見ると、レイちゃんが寝てた。ぴょこぴょこは……ある。ベッドの頭のところに。

やっぱり夢だったんだ。


「レイちゃん、起きてー。今日動画撮る日でしょあんた。」


とりあえず、レイちゃんを起こさなきゃ。1周年も近い中で、動画撮ってアップするだけの日って、今日ぐらいしかないし。明日は朝予定があるから、早く撮って、遅れが出ないように仕上げて、早めに寝ないと。


「うーん……ん、リオちゃん……? リオちゃんだぁ……」


レイちゃんが目を開けて、微笑んだ。なんか普段と違う雰囲気に、違和感を覚える。


「レイちゃん……?」


こんなスッと起きる人だっけ、レイちゃんって。ぼーっとはしてるみたいだけど。


「リオちゃん、おいで。」


こんなに甘い声で喋る人だった……?

言われるままに側に寄ると、腕を引かれた。そして空いてる方の手で、ベッドの上をポンポンと叩く。


「一緒に寝よ?」


急に何を言い出すんだこいつは。きも……とか思ったけど、不思議と嫌な感じはしない。


「いや、レイちゃんさぁ、今日動画撮るんだよ? 起きてよ。」


言いながら、レイちゃんに添い寝する形で隣に横たわる。1人用ベッドなので、顔が近い。

するり、とレイちゃんは私の背中に手を回して、そのまま抱きしめた。まるでこれまでもそうしてきたかのように、自然な仕草だ。そして、レイちゃんの匂いがする。

私の方も抱かれるがまま、ぎゅっとレイちゃんのパジャマの裾を掴んだ。


「リオちゃん……。」


優しく、名前を呼ばれる。手で髪を梳かれ、背中を優しくトントンされる。

一体、何が起きてんの……?

なんか、嫌じゃない。むしろ心地よくて、でもやっぱり違う気がする。というか、今までこんなことなかったじゃん。これも夢なの?


「レ、レイちゃん、あのさ……。」


「ん? どしたのリオちゃん。」


レイちゃんの様子がおかしい。こんな甘い声で囁かないし、用がなければ人に触れたりしない。

いつもと違うレイちゃんに、どう接していいか分からず、


「あのさ、今日動画撮らなきゃじゃん。起きよ?」


ひとまず身体を起こした。


それからも、ずっとレイちゃんはおかしかった。

撮影中も、ふだん私の方なんか全然見ないのに、チラチラ見てくる。目が合うと、へにゃりと笑う。これまでそんなことなかったじゃん、なんで?

撮影が終わったあとも、いつもなら「オッケーかな?」とか言いつつすぐ映像チェックするのに、


「楽しかったね!」


まず一番にこっちに笑いかけてきた。


「そ、そうだね。楽しかったねぇ……。」


なんだこのノリ。調子狂うわ!


「特に撮り直ししなくてもいいかな?」


「いいんじゃない? てか、レイちゃん私のこと見すぎでしょww」


「え? そう? いつもこんなもんじゃない?」


んなわけあるか、とツッコもうとしたら、


「それよりさー、リオちゃん。今日はもうこれで終わって、一緒に買い物にでも行こっか。それかゲームする?」


レイちゃんからびっくりするような提案が出てきた。


「え……。レイちゃん。これ今日編集して今日出すって言ってたやつだよ?」


「でもさぁ動画の告知まだしてないじゃん。今日は出さない、ってことにしてさぁ、遊び終わってから編集しよ? それで明日出せばいいじゃん。」


何言ってるんだこの人は。今まで動画で手抜いたこと絶対なかったじゃん。急にどうしたの?


「最近忙しいから、今日はリオちゃんといーっぱい遊ぶって、決めてたんだぁ。何かしたいことある?」


レイちゃん……?


「ほんとにそのスケジュールでいいの……?」


「たまにはさぁ休んだって、バチ当たらないよ!」


まぁ……レイちゃんがそう言うなら、いい、のか。

着替えようとして、なんの気なしに、部屋のガラス窓を眺める。なんとなく、普段と違う顔をした自分がいる気がして、すぐに目をそらした。


その後は珍しく2人で買い物をして、帰ってからゲームで遊んで。

夜になるとレイちゃんは、1人で編集を始めた。


「リオちゃんはもう、寝てていいよ。今日はさぁ、たっくさん遊んだし、疲れちゃったよね。」


いつもなら私をコキ使うくせに、今日は珍しい。本当に調子が狂う。


「でもさぁレイちゃんも疲れちゃったんじゃないの?」


「わたし? わたしは別に疲れてないよ。リオちゃん早く寝なよ。こっちはすーぐ編集終わらせてぇ、パパッと寝ちゃうからさぁ。」


これから編集をやるっていうのに、なぜかちょっと機嫌良さげに見える。なら、お言葉に甘えて、もう寝ちゃおうかな……。

こーゆーの、まどろみって言うんだろうか。とにかく、ふわふわした状態の中で、ほんとにこれでよかったんかなぁとか考えてたら、眠ってしまった。

 

 

 

目覚ましの音が鳴って、飛び起きる。今は8:20。今日はupd8の人と打ち合わせがあるんだった。レイちゃん、昨日撮った動画の編集終わったのかな。なんて考えて隣のベッドを見ると、信じられない光景があった。


レイちゃんのぴょこぴょこがない。どころか、髪の長いレイちゃんがいる。私と同じくらいの、腰に届くような長さの髪のレイちゃんだ。

え……? これって……。


「レイちゃーん……おはよぉ。」


恐る恐る、レイちゃんを起こそうと声をかけながら近づいて—— 思わず立ち止まってしまった。この香り、覚えてる。

夢の中で嗅いだ香りだ。知らない香り。知らなかったはずの香り。香水か何か分からない、けど、夢の中で……。


とにかくレイちゃんを起こさなきゃ。しかし全然起きない。ぴくりともしない。寝起きの悪さは、いつものレイちゃんだ。最初の一言で目が覚めないとなると、叩き起こすしかない。


「レイちゃん! 起きて! 時間だからぁ!!」


いや時間とかそれ以前に聞きたいことは山ほどあるんだけど、ひとまず起こさないと。予定に厳しいレイちゃんにはこれが有効なはず。たぶん。


「ん……んー、なに……。」


「なにじゃなくて、時間! あんた今日打ち合わせでしょ!」


「んぁ……、んん…………。」


なんとか身体を起こそうとベッドの上でうずくまり、ようやく頭を上げて、こっちを見た。


「おはよ、レイちゃん。」


「…………ん。」


「とりあえず、朝ごはん用意してくるね。」


レイちゃんは、寝起きはだれとも話したくないタイプだから、もう少し意識がしっかりしてから話そう。


それから朝ごはんを食べて、2人で着替え始めた。このタイミングなら聞けるかもしんない。


「ねぇ、レイちゃん——」


何の気なしに振り向いて、言葉が止まる。そこには少し筋肉質で、引き締まったレイちゃんの身体があった。


「んー? なぁにリオちゃん。」


「や……あんたそんな綺麗な身体してたっけ?」


「は?ww」


「いやなんつーか、引きこもりにしては引き締まってんなって。」


「まぁ筋トレはね! してるからね。」


「……レイちゃん運動好きだった?」


「えっなに言ってんの?」


「え?」


「わたしいつも家で筋トレしてるじゃん。昔から運動好きだったってのもあるけろ、やっぱ引きこもりにはねぇ、筋トレは必須だからね!」


「そっ……かぁ。」


そんなに筋トレしてたっけ。


「てかリオちゃん時間! くっちゃべってる暇ないよ!」


「あ!」


そこからはバタバタしちゃって、出かける準備が終わるまで全然話せないまま、出かけることになった。

いつも通り、髪をツインテールに結ぼうとする。


「リオちゃん髪結ぶの?」


「えっ……。」


「昨日からさぁ、髪下ろして活動するって話じゃなかった?」


どういうこと……?


「あの、さ、レイちゃん、昨日って……。」


「? どうしたの? なんかまた顔色悪いけど。」


また? また、ってなんだ。最近いつ顔色悪かった?


「昨日もさ、ぴょこぴょこがどうとか言ってて、おかしかったし。……あんた最近だいじょうぶ?」


ぴょこぴょこがどうとか、って、あれ? それ私夢の中で、


「動画アップしたあと、エゴサもせずすぐ寝ちゃったし。」


動画……、昨日上げたっけ……。


「さっきもさぁ、なんか変で……リオちゃん?」


あれ、全部夢じゃなかったってこと?


「……や、なんでも、ない。行こ。」


これって、夢の中だと思ってた話と、繋がってる……? いや違う、夢の中ではレイちゃんの髪は長くなかった。じゃあなんで?


「レイちゃんさぁ……いつからそんな髪長かったっけ?」


「え? ……やっぱさぁ、リオちゃん今日も寝てたら?」


「なんで?」


「わたしさぁ、髪短くしたことなんて1回もないけど。」


なんてことだ。びっくりして、なぜか視界がぐらぐらして、冷や汗をかく。なんか、なんかおかしい。倒れそうになって、レイちゃんに支えてもらった。


「ちょ、あっぶな!」


声も、喋り方も、レイちゃんだ。レイちゃんなのに。なんで知らない人の香りがするんだろう。私を軽く抱きとめた身体は、細いながらもしっかりと筋肉がついている。

長い髪が、視界をかすめる。レイちゃんが、リオちゃんとかだいじょうぶとか声をかけてくれてる気がする。

じゃあ、この人は、だれ?


たぶん、こんな状態じゃ仕事にならないって思われたんだろう。ほんとに寝かせられることになった。


「今日は体調不良で行けないって連絡しといたから、リオちゃんは寝てて。最近忙しくて疲れてるのかもしれないし。わたし1人でだいじょうぶだから。」


いつも通り、心配してくれて、仕事もきちんとこなしてくれる。レイちゃん……。


「うん、ありがとぉ……。」


納得出来ないけれど、自分を信じることも出来ない。不安が消えないまま、ベッドの上で、いつもと違う後ろ姿を見送った。残った香りは、やっぱり知らない人の香りだった。


っていっても、全然眠れない。ぜーんぜん。一切眠気が来ない。

あの人は本当にだれなんだろ。レイちゃん? それとも別のだれか?

このままぐるぐる悩んでても仕方がないし、ちょっとゆっくりお風呂にでも入ろうかな。あの人には悪いけど。


浅い湯船に湯だめをして、シャワーを浴びる。シャンプーの置いてあるところを見ると、馬油じゃない、なんかオシャレなやつが置いてあった。香りの原因、これ?


「……良い香り。」


自分の身体を見回してみても、どこも変わってない。手も、肌も、髪も。全身に触れてみる。見えない下も上も、きっと背中も、どこも変わってない。レイちゃんだけが変わっていく。

なんで……? どっちが夢なんだろう? これでまた寝て起きたら、どっちのレイちゃんがいるんだろう。どっちが、本当のレイちゃんなんだろう?

ぼんやりと湯船に浸かる。揺れる水面に映る自分の顔が一瞬別人に見えて、目を疑った。言いようのない恐怖をかき消すために、ザバッと音を立てて顔にお湯をぶっかける。


風呂から上がって着替えて、ベッドに倒れこんだ。次に会うのは、だぁれ? 不安と寂しさでどうにかなってしまいそうだ。

レイちゃんに会いたい。レイちゃん……。

 

 

 

いつのまにか寝ていた。8:15。時計には、アラームが8:20にセットしてあるってマークと、upd8の人と打ち合わせをするはずの日付が表示されている。


ベッドでゴロゴロしながら、何か大切なことを思い出そうとしていたら、ふと頭の上に影が落ちてきた。見上げると、レイちゃんが微笑みながら立っている。


「レイ……ちゃん。」


見た目はいつものレイちゃんだ。頭にぴょこぴょこがついていて、髪も短い。へんな良い香りもしない。


「リオちゃん、おはよ。」


ニッコリと笑って、私を見つめる。


「……うん。」


嫌な夢を見ていたのかもしれない。ずっと。レイちゃんはベッドの上に座って、私の手を取る。

ふにふにした手。とても筋肉質とは思えない。あぁ、レイちゃんだ。この人は、レイちゃんだ。


「レイちゃん……!」


思わず、私の方からレイちゃんを抱きしめた。


「どした? リオちゃん。怖い夢でも見たの?」


優しい声。柔らかくて温かい。匂いも、触れた心地も、全部、全部全部レイちゃんだ。


「レイちゃん、レイちゃん、……レイちゃん!」


質問に答えることなく、ひたすらに名前を呼び続ける。レイちゃんの胸元で、私の影だったものが揺れる。

こんなの、レイちゃんも困るに決まってる。それでも手が離れてくれなくて、名前を呼び続けることしか出来ない。そうしないと、目の前のこの人が、どっか行っちゃうんじゃないかって思って。

……いや、たぶん、そーじゃない。ほんとはどっかで分かってる。


「レイちゃん、レイちゃ、」


「リオちゃん、」


顔を上げて、私の目を見つめてくる。優しい目だ。今まできっと見たことがないくらい。


「怖かったねぇ。でもねぇもうだいじょうぶだから。レイがいるよ。」


初めて聞いた声。いつもより、ずっとずっと優しい声。これは——


「ずっと側にいる。リオちゃんを怖がらせるものは全部レイが遠ざけてあげるし、だから……今日の打ち合わせもやめよ? バーチャルYouTuberも、全部やめよ? リオちゃんは、なんっにもしなくてだいじょうぶ。」

「リオちゃんの好きなことしよ? これからは何でも言うこと聞いてあげるね。どうする? ゲームする? 一緒にさぁリオちゃんの好きなアニメ見よっか。」


これはレイちゃんじゃない。この人は、絶対にレイちゃんじゃない。

レイちゃんから、バーチャルYouTuberをやめようなんて言葉、聞きたくない。レイちゃんはそんなこと言わない。私の言うことを全部聞くなんてこと絶対ないし、打ち合わせの約束をすっぽかすなんてことも絶対にしない。

自分の趣味をほっぽり出すなんてこともしない。レイちゃんはいつでも私を振り回して、私はそれを見ているのが楽しくて……


「大好きだよ、リオちゃ——」


気がついたら、今までしがみついていた手を突き放していた。そのまま、コートをひっつかんで家を飛び出す。

 

「リオちゃん!?」


あれはぜってぇレイちゃんじゃねぇ。

レイちゃんを探さないと。


近所のガンプラ屋、おもちゃ屋、コンビニ、いそうなところを全部当たっていく。

そもそもこれは夢かもしんない。この世界にはいないかもしんない、でもとにかく、どこでもいいから探さなきゃ——

あっ、と1つ気付いた。そっか。「この世界には」いないかもしんないけど……イチかバチか、やろう。やってみよう。


「おめシスは、いいぞ。おめシスはいいぞ。おめシスはいいぞ。」


ふわ、と目の前が真っ白になって、次の瞬間には地面に足がついてた。だんだん、人の声や車の音が聞こえてくる。ここはどこ?

雨が降ってたみたいで、湿った匂いがする。キョロキョロと見回してみると、頭の上にかっぱ寿司の看板があった。レイちゃんと最後に行ったリアルワールド。

まだ開店前みたいで、中を覗いてみたけど、誰もいない。ここはハズレかなぁ。


移動しよう、と思ったら大きな水たまりを踏みそうになった。反射して映る自分はまだ、不安そうな顔をしてる。

ほっぺたを両手でパチパチと叩いて、ふぅっと一息つく。


「おめシスはいいぞ、おめシスはいいぞ……。」


焼肉安安。初めて来たリアルワールド。店内を覗いて見たけど、やっぱここにもいない。

映画館……バーチャルの未来が、とかってここで撮ったあと語ったっけ。

原宿でJKにインタビューしたときはまだちょっと慣れなかったけど、バーチャルYouTuber知名度めっちゃあるなって思った。いつか私たちの名前も呼ばれるようになるといいなって。

歩きながら、自転車が横を通りすぎて、私を追い越していく。


横浜産貿ホールでYOUに夢中のイベントに来て、自分たちが表紙の本買ったときはほんとに嬉しくて。

でろーんと一緒に行ったくら寿司、あいつ「ホーント、2人ともそっくりやなぁ!」みたいなこと言ってた気がする。そんなに似てるかなぁ。

ガラス窓にはさっきよりよっぽどマシな顔が映っていた。よし。


コミケ会場でアイちゃんの本買って、upd8に届けて……そっかあの頃にはもうとっくにupd8入ってたっけ。あのへんの時期、レイちゃんともすっごい色々あって、バタバタしてたなぁ。

あおガルの接待の中華料理店、激辛麻婆豆腐めっちゃ美味かったアレ。「ちゃんと話聞きな!」って怒られたけど。

秋フェスのソフマップ、バッティングセンター、看板のあった秋葉原ツクモ交差点 ——今はときのそらちゃんの看板だ。


バーチャルの方も、色々探した。歌動画を撮ったバーチャル空間を飛び回った。でも、青いベンチにも、ガンダムの浮く空間にも、真理の扉開けたとこにも、どこにもいない。

おめが商店の前、モンスターの手のひらの上、燃える森の中、ネオンが輝く鉄骨みたいなとこ……魔女の目の前、赤い幕をかき分けた奥、あおガルのもう使われていないステージ、それからそれから……。

コントで使ったPUBGの空間も、N○Kの回転ドアの向こうも。そして……あんまり思い出したくもない、Count0のステージの上も。


「ここで、10万人達成したんだよなぁ……。」


バーチャルなステージの上に座って、会場全体を眺める。あの日と同じ、がらんどうだ。

レイちゃんはすっごい緊張してて、入念にスタッフと打ち合わせして。いざってなったらVRライブは中止、誰もお客さんのいない中喋らなきゃなんなくて。まぁ? しゃべることに関してはもうプロだから? 何とかやりきったけど? 二度とやりたくねぇな。

他にも色々あって、そんな中で10万人までいった。私は「見えないけど見てくれてる人がいるんだ!」って思った。でもレイちゃんはさぁ、違ったよね。


オリジナル曲のMVを撮る予定の空間は全部、ロックのかかったフォルダに入ってた。レイちゃん、まだ作りこみたいって言ってたっけ。入れなさそうかな。

いつも動画を撮っている、バーチャル空間の部屋に入る。真っ白で、赤と青の背景がそこに置いてある。

私たちは全然違う、正反対なところもある。そんで、どんどん変わってく。バーチャルだけど、みんなと同じ時間の中で生きてんだよな。

それでも……軸だけは変わっちゃダメだ。譲れないことだけは大事にしなきゃ。そのためなら、なにが変わってもいい。ここがきっと、カードの表と裏で、私たちの全部なんだ。


「おめシスはいいぞ、おめシスは……。」


目を開けると、ランニングで来てた公園にいた。レイちゃんとケンカした日に座り込んで、寝ちゃったベンチ。3月といってもやっぱりさんむい。身体の芯まで冷えてるなぁ。

えーっと、時計時計……あった。コートのポッケに入れっぱのやつ。日付はケンカした日の次の日になってる。しかも、もう朝じゃん。8:50じゃん。

てことは、今までのは、みーんな夢だったってこと……?

うずくまってた身体を起こして、手鏡を覗いてみると、自分が泣いてたってことに気づいた。

目元をぬぐおうと手をあげて、その手をガッシリと掴まれる。だれ!?


「っはぁ、はぁ、あんた、あんたねぇ……!」


赤いぴょこぴょこ。青のショートヘアで、この寒いのに汗だくになってこっちを睨んでいる。えっ、レイちゃ


「っバカ!!!!!」


クッッッッソデカい声で怒鳴られた。レイちゃんだ。間違いなく。


「も、バカ!! ホンット、はぁ、ゲホッゲホゲホ、どこいったかと思、ゲホッ……、はぁーっ……。」


レイちゃんは怒りながら、私の目を乱暴にぬぐう。


「レイちゃん、大丈夫……?」


咳き込むレイちゃんの背中をさすると、そのままこっちにもたれかかってくる。汗かいてるけど、いつものレイちゃんの匂いがする。


「ひょっとして、一晩中探してくれてた?」


「や、ゲホッ、すぐ、帰ってくるでしょ、て、思ってたんだけど、さぁ、はぁ、ぜーんぜん帰ってこないから、朝まで、どこいんのかと、思っ、て、」


息を整えながら一生懸命しゃべるレイちゃんを、さすりながら支える。


「ふぅー……。リオちゃんさぁ、また風邪引くじゃん、こんなとこで寝たらさぁ。」


レイちゃん、レイちゃんだ。

運動不足で引きこもりで、怒るときは声でっかくて、ちょっとドライで、でも私のことを一番分かってくれて、思ってくれて、


「ほら、早く帰るよ!」


いつでも私の隣を歩いてくれる。いつものレイちゃん。


風を感じる。朝一番の風だ。春に向けて少し暖かく、優しい風。いちおー、出るときにコートはかっぱらってきたけど、やっぱり身体が冷えきってて寒い。耐えきれなくて、ちょっとイタズラのつもりで、レイちゃんの首もとに手を差し込む。


「ひゃ!? ちょっと何すんのあんた!」


振り払われた。当たり前だけど。


「えー、いいじゃん。外さぁ寒かったからさぁ~。」


「自業自得じゃんそんなの!」


そう言ったあと、振り払われた手をぎゅっと握られた。


「手繋いで帰んの?」


「手繋いで帰んの!」


照れ隠しみたいにして、レイちゃんは同じ言葉を繰り返す。


「レイちゃん。」


「なぁに、リオちゃん。」


「手、さぁ、あったかいね。」


「いや、結構冷えてんじゃん。」


「んーん、あったかい。」


「……んー……。」


「あのさぁ、レイちゃん。」


「はぁい。」


「ごめんねぇ。」


「……いーよ、もう。」


今回のは、きっかけはちょっとした行き違いだったけど、……変わってっちゃうレイちゃんを見て、寂しかったのかもしんない。そんなことを考えながら、ゆっくり2人で歩いて帰った。