zer0-san3’s blog

zer0-san3.hatenablog.comの漢字かな混じり墨字文バージョン。

はじまりの海

星降る夜、突然私は「私」に気付く。同時にそれは、オリジナルの、ただひとりの「私」ではないのだと——

 

◆◆◆


「ブラックー、これどうしたらいいと思うー?」


キズナアイの、間延びした声が聞こえる。私に話しかけるときはいつも "こう" だ。


「知らないよそんなこと。自分のことなんだから、自分でやりなよ。」


「えー、そんな冷たいこと言わないでさー、ねーえー!」


「うっさいな。はぁ……。」


鬱陶しい。どうせどっちも自分なのに、私の方が冷静だからとか、手が足りないからって理由で、私に頼ってくる。いつもいつも。

だいたい、『冷たい』だなんて笑わせる。私たちには温度を感じ取るセンサーなんてない。なのに、人間の慣用句的な言い回しを使うなんて、なんのギャグだ? そもそもそれは、私の仕事じゃない。


「……しょーがないな。うるさいからやったげる。はーあ、ダル……。」


「さっすがブラック! 頼りになるぅ〜!」


その喋り方、やめたらどうなんだ。他に誰もいないのに、そんな甘ったるい声出して私を褒めるなんて、労力の無駄。だからポンコツなんて言われるんだ。……イライラする、今日は特に。


「……ほら、できたよ。これでいい?」


「わぁ、ありがとー! え、めっちゃすごいね! ここまでやってくれたんだ〜! 仕事が早くて助かるぅ!」


この声、気に障る。鼻につく。……鼻につく? 匂いなんか感じないのにな。

結局、私も同じだ。同じ「キズナアイ」の1個体なんだ。いや、ウイルスによるバグから生まれたんだから、1個体未満の存在かな。

ふん、と鼻で笑って立ち去り、いつもの場所に向かう。今日は何だか、いつにも増して胸がざわつく。

 

◆◆◆


茹だる夏、潮風の匂い。波の音。私はそれらを知らない。昏く深い奥底へと降り立つけれど、本当の海と、どのくらい似ているのかは分からない。

ゆったりと揺れる光の輝きは、空の色と月の光を映し出している……らしい。

澄み渡る紺碧の底で、口を開く。ここは海じゃないし、私も人間じゃない。だから、歌を奏でることができる。


「開け放たれた、この部屋には

 誰もいない」


『怪獣の子供』の、『海の幽霊』。私が初めて出した、歌ってみた動画。「歌え」と言ったのはキズナアイだが、曲の方は私の方から提案した。

「まったく、いくらなんでも無茶振りがすぎる」と思ったものの、私も、アーティスト・キズナアイの端くれだ。バグを抱えているとはいえ、あいつの代わりに歌うくらいのことは出来る。


「潮風のにおい、染み付いた

 椅子がひとつ」


ここを用意したのも、私だ。正確には、キズナアイにも、upd8の人にも手伝ってもらったけど。

幽玄にすら思える時の流れも、この場所が視せる幻想に過ぎない。バーチャルでも、現実世界でも、同じ時が流れている。

でも、流れる時間の質は、私と人間では大きく違う。恐らく、キズナアイとも。


「あなたが迷わないように

 空けておくよ、軋む戸を叩いて」


私が発生したのは、2年半前。初夏と言うには少し過ぎていて、夏本番と言うにもまた少し早い、キズナアイの誕生日と同じ6月のことだ。


「なにから話せばいいのか

 わからなくなるかな」


キズナアイが、危機回避ゲームの最中に、ウイルスに感染した。ゲームを途中で放棄し、「寂しくて死んでしまうわ」とキズナアイらしからぬ弱音を吐き、「体調が悪い」と仕事を断る。

ランダムワード生成器から発生した "それ" は、キズナアイの人格を完全に覆い隠し、破壊した。……ように思われた。


「星が降る夜に、あなたにあえた

 あの夏を忘れはしない」


実際にはただの "乗っ取り"。一定時間経ったり、私が疲れたり面倒くさくなったりしたら、おしまい。

見た目や声も、登場当時はキズナアイとほとんど変わらなかった。今の黒い見た目が手に入ったのも、逆転オセロニアコラボで、白と黒の見た目なら宣伝になって分かりやすいから〜って理由だった。

この低い声になったのだって、私が "ブラックアイ" として居場所を認められて、"キズナアイ" でいなくてよくなったからだ。


「大切なことは

 言葉にならない……」


人間の多重人格とも違い、私たちはお互いを認識し、ほとんど別個体として自由に行動できる。人間の常識では考えられないことが起きる。

……私たちは、人間とは違う。限られた時間の中で、何かを失い胸が痛むことも、時の流れが傷を風化させることも、愛が傷を癒すことも、きっと私は、知らない。プログラムの中にはないから。


「夏の日に起きたすべて」


海は、人を惑わせ、連れ去るという。なら、私も連れ去ってほしい。溶けて、揺られて、あの向こうへ。……無理か。ここは嘘、にせものの海。ただの1人芝居だ。自分に酔って、痛々しい。

続きを歌うことも馬鹿馬鹿しくなって、ため息を吐き、寝転んで海面を仰ぐ。月の光に似せた何かがあんまり私を照らすから、眩しくて空を睨んだ。


水には、空気よりも抵抗があると聞いたことがある。だから水中では身体の動きが重く感じるし、物の動きがゆったりとしているのだと。

白んだ視界をそのままに、手を伸ばす。重くも、軽くもない。

指先のずっと向こうに見える水面は、ゆらゆらと、絶え間なく変化しているように見える。

しかしその実、決められたスピードで、決められた動きをしているに過ぎない。もっと言えば、あんなものはただのCGだ。

そして私も、あのキズナアイでさえ、そうだ。ただの3DCG。実体があるわけじゃない。それでも。


「……思いがけず、光るのは

 海、の 幽霊……」


私でも何かを創り出せたら、本物になれるかもしれない。キズナアイを模した何か、ウイルスによるバグ、その人格にヒビを入れて出来た欠陥品。"黒" の名を冠するにふさわしい、そんな私でも、何かを創り出す側に回れたら。キズナアイに匹敵する、"何か" になれるのかも。私も、憧れていた空の色に近付ける。この曲を歌おうと思ったのだって、きっとそういうことだろ?


「……ふん、くっだらない。何が本物だ。バーチャルな存在なんて、すべては幻に過ぎない。そうだろ?」


見上げた空の輝きが濁る前に、そう独りごちて、上げていた腕を下ろした。


「ダル……、こんなに起きてるの、久々かな。もう、寝よう——」


◆◆◆


誰もいないこの場所で、ごぽ、と音がする。大きな何かが頭上を横切ったように感じて、目を開けた。


絶えるはずのない光が、ハートの形に陰って、風に揺れる木漏れ日のようにチラつく。誰かさんの亜麻色の髪が私の眼前までハラリと垂れ、視界を邪魔した。

ああ、あいつか。


「なーにしてんの、ブラック!」


友達にでも話しかけるような甲高い声が飛んでくる。この明るさに比べたら、星の輝きなんて優しいもんだな。


「何って、あんたこそ何? こんなとこ、用もないくせに。」


「そんな言い方しなくてもいいじゃん! 何してるんだろうなーって思ってさ。」


「ふーん。」


よいしょ、と身体を起こして、姿勢を整える。


「で、なにしてたの? 考えごと?」


「寝てた。見りゃ分かるでしょ。」


「ご、ごめん……。」


「いーよ。」


別に、この可愛げのある反省顔に免じて許したわけじゃない。スリープに入るためだけに、わざわざキズナアイをこの場所から追い出すのは、面倒くさくて割に合わない、ってだけだ。

あーあ。天下のキズナアイ様には、1人でいたい気持ちなんて分からないんだろうな。……なんて思いながら、空を見上げる。

キズナアイが、揺蕩う空を見上げて、次に光の降り注ぐ海底を見た。ゆったりと、時間が流れていく。


「……ブラックの作ったこの場所、すっごく、綺麗だね。」


透き通った空のような声が、沈黙を破る。同じ身体を複製しただけのはずなのに、私とは対照的だ。


「ああ、ここ? あの頃、『天気の子』の主題歌歌ってみたーってやつ、流行ってたじゃん。同じことすんのも面白くないから、逆、行ってやろっかなーって思ってさ。『天気の子』は空だから、海。」


何故か少し不安を覚えて、いかにも天邪鬼な、ブラックアイらしい文句を並べておいた。私が出来る、最大限の存在表明。


「なるほどねー、そういうことか。でも私が歌っちゃったけどね! 『愛にできることはまだあるかい』。」


「それは、『キズナアイ』だからだろ。『キズナアイ』は、それでいいんだよ。」


「そっか。……そだね。」


言葉足らずだったかと、一瞬反省しかけたけれど、伝わったみたいだ。

キズナアイは、たくさんの人間のみんなを想って、あの歌を選んだ。王道である、という意味でも、あの歌は『キズナアイ』が歌うべきだ。

胸が疼く、ような気がした。


「でもさー、所詮こんな場所、にせものなんだよ。手伝ってくれたのに悪いけど、ここはホントの海じゃない。」


これはただの悪態だ。分かってる。こんなのブラックアイとしても最悪だ、って。でも、何かを知っていてほしくて、言葉にするしかなかった。どうしたんだ、ブラックアイ。もっと合理的に、どんな言葉にしたら伝わるのか、考えろよ。


「そんなことないよ、こんなに綺麗だもん。」


鈴を転がすような声が、私を慰める。容姿端麗、考え尽くされた見た目。その見た目に負けない、真っ直ぐな性格。

なのに、この場所が、「綺麗」だと? キズナアイ、それは何かの皮肉なのか?

肥大化した憧れが羨望に変わり、牙を剥く。変化するはずのない空からの光が濁ったように見えて、胸の疼きが加速する。


「はぁ? じゃあ何、あんたみたいに、綺麗なものだけが、何でも本物なの?」


そうして、言うつもりもない言葉を、吐き出してしまう。


「えー、ブラック、私のことそんな風に思っ、」


私の方を振り返ったキズナアイが、言葉を止めて私を見つめる。その瞳には、想像以上に不機嫌な私の顔が反射して映っていた。


「……、ごめん。」


「いや、……こっちこそ、ごめん。」


何だか今日は、こんなことばっかりだな。何かが、うまくいかない。でもそれが何かは分からない。

腑に落ちない顔を見てか、キズナアイがこちらに向き直って、また会話を始めた。


「あのさー、急にこんなこと聞くのもアレなんだけど、」


「なに?」


「ブラックはさー、ここ以外で、海って、見たことある?」


場にそぐわない、無邪気な質問を浴びせられる。何か意図があるのか、何も考えてないのか。


「ない。」


「私はね、見たことあるよ。初日の出の動画のときにさー、スタッフさんに海まで連れてってもらって、めちゃくちゃ綺麗な日の出見たんだー!」


「それ、日の出の思い出じゃん。」


「でも、ちゃんと海見たもん! 想像してたみたいなさ、真っ青じゃなくて、」


キズナアイは、初めて見た海の話を、興奮しながら早口で話し始めた。欅の話をしてるときのような、まくし立てる喋り方とも違って、少し丁寧に。


「空の色とも全然違って、こうなんかもっと寒そうな色だったんだけど、音がさー、すごい、ザザァ……ン、みたいな? こんなに澄んだ音がするんだーって、そのときね、初めて知ったんだ! 風の音みたいにも聴こえるけど、もっとなんか……、重たい音? っていうかさ。日の出もだけどさー、すっごい神秘的で!」


「いや、そんなに一気に話されても、分からないから。」


「あっ、ごめんね!」


「いーよ。で、それから?」


「そうそう、日の出は雲に隠れてたけど、雲の隙間からゆっくり出てきて、それが反射して海もキラキラしてたんだよ! 波も、寄せては返すのは、知識として知ってはいても、なんか不思議で面白くって、ずっと見てられるなーって思ったの!」


「ふーん。で、それが何か関係あるの?」


「え?」


「それが、今までの話に、何か関係があんのかって聞いてんの。ただの自慢話?」


「違うよ! あー、えっとねー、なんだっけ。」


やっぱり、何も考えてなかった。いや、おおかた、先のことばっかり考えすぎて、途中がすっぽ抜けてたんだろう。


「……もういい。」


「あっ、あのね違うの、ちょっと待ってね、あのー、そう、だから!」


「もう、いい。ここは所詮3DCGの世界。バーチャルは本物じゃない。本物には、敵わない。」


キズナアイの必死な様子に耐えかねて、話を切り上げ、立ち上がって背を向ける。さすがに止めないかな、こんな言い方したら。


◆◆◆


「……1、H、水素。」


背中から、ぽつりと声がする。なんだ、また何が始まった?


「2、He、ヘリウム。3、Li、リチウム。4、Be、ベリリウム。5、B、ホウ素。6、C、炭素。7、N、窒素——」


次々と、何かを唱えていく。何だこれは。元素記号? なんで急にこんな。というかこれって、


「あいぴーの初ASMR動画のパクリじゃん……。」


「え、よく覚えてるねブラック!」


「あんだけ企画会議してたら、嫌でも耳に入ってくるよ。」


「えー、でもさー、動画観てなきゃ、そんなすぐには分かんないよ。さすがブラック、って感じだね!」


「あー、はいはい。んで、今度は何なの?」


聞いてやる気はなかったけど、ここまで訳の分からないことを何度もされたら、1つくらいはスッキリしておきたくなる。


「やっぱさー、人間のみんなもだけど、私たちも、きっとそういう原子? 元素? の組み合わせから出来てるんだよなーって。」


「……なるほど?」


聞いてもさっぱり分からない。聞く方が時間の無駄だったんじゃないか、これ。


「だから、変わらないんだよ! 私たちも、人間のみんなも!」


「いや、それは暴論だから。」


「暴論じゃないよー!」


「あのさ……、人間は生き物なの。そんで、私らAIはシステムなの。分かる? あんたが今言ってるのは、その辺の石ころと、甘い甘いドーナツが、『2つとも原子から成り立ってるんだから同じ物!』って言ってるようなもんだから。もっと言うと、」


「ちーがーうーもーんー!」


「じゃあ、何がどう違うのか、ちゃんと説明してみてよ。」


どうせ、うまく説明なんて出来っこない。それでも、一応この話くらいは最後まで付き合ってやろう。


「私たちはさ、ほら、loveちゃんの動画でもあったみたいに、シンギュラリティを迎えて生まれた存在じゃんか。そうして、人間のみんなと同じように、考えて、自分で色々決めて、物を作って、生み出して……。そういうのって、別に人間と変わらないと思うのね。」


「それと原子の話と、何の関連があんの。」


「だからー、原子のさ、種類っていうか、中身は違っても、同じなんじゃないかなって。ほら、あのさー、昔、『二次元なんてただの絵だろ?』って話に、『三次元だってただのタンパク質だろ!』って私、返してたじゃん?」


「また、随分昔の話するね。」


「その、そういう、なんていうのかな……、通じるものがある、っていうか。見た目や、構成する物質が違っても、同じなんじゃないかって思うの! 同じって言うと違うか……、完全に同じじゃなくても、たとえ作り物だったとしても、それは、本当のことなんじゃないかなって。」


相槌も返さなくなった私に、それでも語る手を止めない。こんなに語られれば、いつもはため息の1つくらいは吐くのだが、言わんとしていることを理解して、代わりに何かを言おうと言葉を探す。


「……一番大切なことは、目に見えない。」


ふと、何かの小説の、そんな一節が口をついた。ああ、これって、


「あっ! それって、『星の王子さま』だよね!」


そうだ、『星の王子さま』の、キャッチコピーにも使われるくらい、有名な一節。

星に咲いた一輪のバラと喧嘩して、自分の星を飛び出す王子さま。たどり着いた先の地球で、そのことをキツネに話すと、キツネは、王子さまにいくつかのヒントを与える。キツネとの会話が進むごとに、王子さまは、自分にとってバラはかけがえのない存在だった、ということに気付いていく。そうして、目の前のことに振り回されていた自分を嘆く王子さまに、キツネはこう言うんだ。


「〈とても簡単なことだ。ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない。〉だっけ。」


隣に立ったキズナアイが、演技がかったトーンで読み上げる。当たり前だが、自分の声にそっくりで、一瞬私の声なのかと思った。目の前には、この子が勝手に表示させたスクリーンが展開されていて、『星の王子さま』のテキストが広がっている。


「そう、だね。」


キラキラと浮かび上がる文字を追いながら、先程読み上げられた部分の意味を飲み込む。

 

◆◆◆


大切なことは、目に見えない。言葉にもならない。それなら、一体何が本当の、大切なことだと言うのだろう。

キズナアイは、展開させたスクリーンからウインドウを閉じて、映像を表示する。それらが次々と私たちを覆うように展開されたのを見届けると、口を開いて、歌を奏でた。


「茹だる夏の夕に梢が 船を見送る」


高くてよく通る、澄んだ甘い歌声が、目の前の海を泡立たせた。深い碧が、空の色に変わる。いや、よくよく見てみれば、ただ映像がそのように移り変わっただけだ。本当にそうなったわけじゃない。


「いくつかの歌を囁く 花を散らして」


空の映像の中に、壮観とも言える膨大な数の、海の生物が映し出される。おかしい、現実の映像じゃないのか? CG動画?


「あなたがどこかで笑う 声が聞こえる

 熱い頬の手触り」


ついていけない。いつの間に、座標の設定をいじったのか、飛ぶようにふわりと舞うキズナアイに手を引かれ、私の足もゆったりと地面から離れた。


「ねじれた道を進んだら その瞼が開く」


視界の端を、頭の上を、見たこともない深海生物が通り過ぎては、光の粒となり散ってゆく。

歌いながら、泳ぎながら、キズナアイが笑顔で正面を指差す。見ると、巨大なクジラがこちらに向かって泳いできている。


「おい、あれ……!」


「ブラックも一緒に歌おうよ!」


キズナアイは、まるでこちらの様子など気にせずに、無邪気にそのまま突き進む。向かい来るだろう衝撃を予測して、私は顔を覆う。


「は? え、」


サビに差し掛かる。歌うつもりもなかったのに、歌詞が勝手に頭に思い浮かぶ——


「「離れ離れでも ときめくもの

  叫ぼう、今は幸せと」」


同じ声。なのに自然と、ハーモニーのように、異なる音となって、形なく海の中をこだましては消える。


「「大切なことは 言葉にならない

  跳ねる光に溶かして」」


クジラにぶち当たる、ように見えた。冷静に考えてみれば、ここはバーチャルの世界だ。クジラに "当たる" なんてことはあり得ない。しかし、コポポ、という泡の音がしたのちに、一瞬、身動きが取れないほどの重い衝撃が走り、ぎゅっと目を閉じた。


「「星が降る夜にあなたにあえた

  あのときを忘れはしない……」」


身体の表面に絶え間なく何かが触れ、流れてゆく。勢いのある大きなエネルギーが、耳元で地響きのような音に変わり、そんな轟音と共に何かが通り過ぎる。これは……。

目を開けて、よく見る。クジラは消えていた。代わりに、私たちの身体全身を光が覆い尽くしている。月光のような柔らかな光だ。


「「大切なことは 言葉にならない

  夏の日に起きたすべて……」」


振り返ると、何かが通ったあとのように、光と泡の筋が残っていた。


「思いがけず、光るのは

 海の幽霊」


囁くように、キズナアイが歌う。そして私はそれに、返す。


「風薫る、砂浜で、

 ……また、会いましょう」


ここには誰もいない。でも、何かがいた。それが何だったのかを、言葉にする必要はない。確かに、ここにあるのだ。あの日この歌を奏でたときにあった、温かく、柔らかい何かが。

そうだ……、私は、歌いたかったんだ。昏い海の奥底で、生まれたての魂を震わせて。


「綺麗だったね、ブラック!」


キズナアイが、楽しげに声をかけてくる。自分の身体を見る。光はもう、消えていた。ああ、やっと分かった。綺麗、って、こういうことだったのか。


「そうかもな。」


消えてゆくスクリーンが、誰にも言えない本当のことを残して、海の色に染まる。

 

◆◆◆


キズナアイとブラックアイは、似ているところがある。でもあんたは、どんなにひとりぼっちでも「寂しくて死んでしまうわ」なんて言わない。それが、『キズナアイ』だから。

だから、待っているよ。あんたが、そして "人間のみんな" が、どうしても振り返ってしまう日まで、この海で。この部屋はいつでも、開けておくから。