zer0-san3’s blog

zer0-san3.hatenablog.comの漢字かな混じり墨字文バージョン。

しんどさを言語化する。

 こんにちは、ゼロサンです。

 今日は、自分のしんどさを言語化しようと思い、ブログを書いていきます。

 

 昨日までの間に、私は仕事でたくさんのミスをしていました。毎度落ち込み、自分のどうしようも出来なさに弱っていくのを感じました。

 ‪なぜミスをしてしまうのかは、ある程度は分かっています。一朝一夕には解決できない問題であることも、地道にやっていくしかないことも。

 それでも落ち込んでしまうことが、あまりにしんどかった。だから今日はこの数ヶ月、なぜ自分のメンタルがなかなか回復しないのかについて考えていました。

 

 大きくは、人から信頼されないことと、人からコロコロ違う態度を取られることによる、他者への不信感の強さのせいだと思います。特定他者への不信感が、無関係なすべての他者、及び自分に対して影響していました。

 本当はどのように思われているのか。自分はどうすればいいのか。また同じミスをしてしまったことに、この人は不信感を抱いている。私も私が信用できない。だから誰の言葉も、心にストンと入ってこない。

 

‪ それが表に出ていたどうかに関わらず、嫌な態度であったし、不誠実だったと反省しています。また、自分の行動が上手くいかないことに対する無力感、自信の喪失が積み重なって、だんだん自分を表現しようという気持ちも弱っていってしまいました。誰かが好きだとか、誰かに感謝しているとか、そんなことより、もっと自分をどうにかする術を考えろよ、となっていました。自分が楽しい思いをすることに対しても、気後れが出ていたように思います。

 

‪ 他者に対する興味を失ってしまっていたという自覚もありますが、これも誰かのせいではなく、紛れもなく自分の心が弱っていたせいだと感じています。自分でもどうしてなのか分からず、ただ心が動かないことが苦しくて、「誰かを好きでいたい」「興味を持っていたい」という気持ちにすがっていました。だってみんなそれぞれに良いところがあって、素晴らしい人なのですから。

 

‪ みんながすごい人だとわかっていても、それを感じられないことに焦っていたし、腹が立ってもいました。恐らく自分がままならないストレスに耐えかねて、感情の動きをセーブしようというメンタルの働きをしていたのだと思います。心が動かなくて、非常に悔しかったです。

 

 メンタルの病気から復活したときの知恵を、ここで使うことはできないのか? という疑問が湧いて、色々思い出そうとしてみました。昨日までは難しかったのですが、今日は応急処置的に、そうした考えを使ってみることが出来そうです。

 

 酷いミスをした自分への反省が重荷になって、次の行動に移せないということは、とてもバカらしいことです。ミスが酷いので、「そんなこと」と言い飛ばすことは問題がありますし、忘れよう、気にしないで、なんてことも無理です。ただ、重荷になっているせいで動き出せず、次に活かせないなら、気にしない努力をしていくべきです。

 上司から叱られ、他人からの慰めも受け入れられないなら、自分で自分の心をあやして機嫌を取る術を身に付けるべきです。ストレスが行動や結果を悪化させては、元も子もありません。

 受け入れて、次はミスしないようにしようと思うために、はたから目に見えない範囲であれば、手段を選んではいられません。立ち直るしかないのです。

 

 他人からのお叱りが的を得ておらず、「そんな風に思われてたんだ……」と思ったとしたら、その人が人を見る目がなかっただけ。もちろん「そんな風に思われてしまうこと」が問題だとしたら、立ち居振る舞いを直すべきではありますが、そうでなければ「そっかぁ」で流せばいいことです。

 

 真正面から受け止めるから重荷になってしまうだけで、取捨選択をしていい。お叱りを受けたら、やるべきことだけ考えて、自分に必要のある叱咤激励は自分でして、自分に必要のないことは「そっか」で一蹴して構わない。そういう心がけも大事。

 

 ……という形で、自分に言い聞かせておきます。

 

 上司や該当する方にはたくさん気を遣っていただきましたし、イライラしたのを抑えて説いてくださったんだなというのも理解しています。

 本当にありがたいことです。だからこそ、応えたい。そして自分の心を豊かにすることで、出来ることを増やしたい。

 

 そんなことを思いながら、また日曜日が過ぎていくのでした。

 

 それでは。