zer0-san3’s blog

zer0-san3.hatenablog.comの漢字かな混じり墨字文バージョン。

あいぴーと、loveちゃんと、それから。

 こんにちは。ゼロサンです。

 今日は、loveちゃんとあいぴーが活動していた、lovepii-channelの方から、発表がありましたね。

 

 ういなつ、完成していました。

 この曲は、あいぴーが作曲家として、loveちゃんがアイドルとして踏み出す第一歩になる作品であり、ファンのみんな「Creatorsらぶぴえん」とともに作り上げた思い出でもあります。

 そして、この曲が発表されれば、あいぴーは「活動停止」してしまう。始まりと、区切りの象徴でもあります。

 

 あいぴーの活動停止が発表されたのは、8月17日です。

 その際の文書には、「『ういなつ』の発表を待ちまして活動停止」との文言が書かれていました。

 それから約1か月。公式からは全く動きのないまま、今日を迎えました。

 

 今日までの間に、たくさんの人が動きました。絵を描いたり、ブログを書いたり。

(私もこんな記事を書きました。↓)

 Creatorsらぶぴえんの方々も、プロジェクトを始動し、去りゆくあいぴーと、これからも頑張るloveちゃんに、あいぴーの活動停止までにメッセージを届けようと必死でした。

 きっと、タイムリミットが今日だとは、プロジェクトメンバーは思っていなかったと思います。少なくとも、昨日までは。昨日、誤って「ういなつ」が先行公開され、タイムラインがざわついたとき、初めてあいぴーの活動停止が、目の前に迫っていることを知らされました。

 落胆する人、焦る人、驚く人、色々な人がいました。絶望する人もいました。届けられなかったこと、本当の「終わり」が来てしまったことが受け入れられず、自分の中で「終わり」を認められないために、まだ『ういなつ』を聴くことができないという人もいました。

 

 私は、何となく、今日であるという予感がありました。とある、loveちゃんとあいぴーを熱心に応援してきたうちの1人の方が、そろそろだろうとツイートしていたのもあります。そして、前回から1か月が経つ中で、一番近い日曜日に公開するだろうなという、根拠というには弱い予想があったのです。

 そして昨日、『ういなつ』のお漏らしがあった際、それが消される前に私は動画を観てしまいました。その上、正式にアップロードされた今日は、動画を開いていません。開けませんでした。

 昨日動画を観た理由は色々あって、その1つは「間違いだろうから確認しなきゃ」と思ったからでした。限定公開のリンクになっていないか、非公開になっていないかなどを調べようとリンクを開くと、予想通り限定公開のリンクになっていました。

 メンバーシップは停止されているから、何かの間違いで上げてしまったものを、急いで限定公開にして、削除の手続きをしているのだろうと思いました。もし、そうであれば、すぐにでもブラウザバックして、観なかったことにすべきだ、と思いました。

 でも、そうはしなかった。最終的には観なかったかのように振る舞いましたが、そのときは観てしまいました。

 「思わず」という衝動性と、「今しかない」という覚悟がありました。きっと明日には、私は苦しむのを恐れて、観られなくなってしまう。そうなる前に、少しでも正気を失っている今、観なきゃならない。冷静に傷付いてお気持ちを吐き出すくらいなら、言葉が湧き出る前に、誰から見ても何もなかったかのような振る舞いができるうちに、1人で狂っておかなきゃならない。明日、全力で逃げ出せるように。

 実際、今日は全力で逃げ出していました。逃げるといっても、楽しんでいたのも事実なのですが……。人のツイートキャスティングにお邪魔して、アイドルマスターシンデレラガールズのアプリで遊んで、ロクなことにならない言葉を飲み込んで、寝て時間を浪費して。

 ネガティヴな時間の消費の仕方をしたのは、想いの具合が悪くなるほど強い気持ちがあったからではありますが、そうではない「今日」を過ごすことが出来たのではないかという反省もあります。

 楽しかったのは、楽しかったんですけどね。デレマスガチャで担当のSSRが出たし。

 

 書いてみると、やっぱりロクなことにならない、飲み込んだ方がいい言葉ばかりだと判断せざるを得ないのですが、それでも、スッキリした気持ちもどこかあります。

 

 プロジェクトの方は、皆さんの尽力の甲斐と胃のキリキリするような焦りによって、完成の目処をつけていただいたそうです。私ができることは、それが発表されたときに、思い切り宣伝することだけです。歌もセリフも絵も寄せ書きも参加したしな。本当に、頑張ってくれてありがとう。何も手を貸せなくて、ごめんなさい。

 

 それから、久々にloveちゃんの声を聴けて、ほっとしたのもあります。

 loveちゃんはきっと、次の活動再開のときには、すごくすごく心細い気持ちになると思っていました。あいぴーはいない。自分1人で、お通夜モードにしないために、でもみんなの寂しさを受け止められるようにしなければならない。その声は、震えているかもしれないし、loveちゃんのことだから、きっと耐えて表舞台に立ってくれるだろうとも思う。

 そんな想像が頭の中をずっとずっと巡っていて、loveちゃんが、loveちゃんとして真っ直ぐに活動出来るようになるのは、いつなんだろうって、心配が離れませんでした。

 

 でも、ういなつでは、そんなことはなかった。歌なので、そうはならないのは分かっていたのですが、元気にスッキリと透る声で可愛く歌い上げていて、その真っ直ぐさにむしろ私の方が震える思いでいました。

 あの頃の声だ。配信で、何気なく「通しで歌ってみよ」と言われて、笑顔で歌っていた、あの声だ。紛れもなくloveちゃんで、それは「本人である」以上の意味のある「本物」の声で。そうか。これが、この声が、出せたんだ。でも、そんなこと考えてみれば当たり前だ。だって、loveちゃんは、あいぴーやアイちゃんとともに、かつては「キズナアイ」だったのだから。

 「そのもの」である声を出せる、「何かに似ている」というわけでなく、本質を汲み取るような声であると感じました。

 私の頭の中には、誕生日をお祝いする配信で泣いてしまうような、泣き虫のloveちゃんがずっと住んでいましたが、現実のあの子は、そのずっと前から強かったんだと。初めての夏から、ずっと強かったんだと思い知らされました。

 

 ういなつ、聴いたのは、たったの一度です。昨夜。それでも、声が頭から離れない。「窓から入ってくる風も」は、「入ってーくる風もー」だし、「暑い夏が始まる」の後には上がるし、「もう限界!」のあたりを含めて語尾や言い方がloveちゃんだし、「タ↑オルで顔隠す」し、一番だけでもこんなに思い出せるのに、「ココロスパイラル空回り」では困った声で歌い上げて。

 でもやっぱり、少し寂しくて。

 

 サビ前には胸の内で「ハイハイハイ!」と合いの手を入れていましたが、「声よ届け」と歌われたときには、身体に痛みが走るほどでした。「消さないでわたしの声 大好きだって伝えたいの——」

 この後は、きっとライブでは「大好き」って叫ぶんだろう。そんなビジョンさえ浮かぶほど、ああ、loveちゃんって、強いな、なんて。

 

 らぶぴえんのみんなと考えた歌詞。造語。あいぴーが「どきそわ、可愛いよね」なんて言って決めて、loveちゃんも「いいね」と同意して。それが出来たのは、あいぴーとloveちゃんの、芯がしなやかで強いコンビが、いてくれたから。

 

 ういなつ。最後に、あいぴーの言葉がありました。

 

 あいぴー、loveちゃん。こちらこそ、ありがとう。たくさんありがとう。ありがとう。あなたたちのおかげで、夏が楽しくて、夏が寂しくて、そして特別なものになりました。たくさんの「ういなつ」を、ありがとうございました。

 

 loveちゃん。これからも、応援させてください。大好きです。

 

 それでは。