zer0-san3’s blog

zer0-san3.hatenablog.comの漢字かな混じり墨字文バージョン。

VTuberと二次元キャラクターについて。

 こんにちは、ゼロサンです。

 今、『RAINBOW GIRL』という、インターネットでかつて有名だった歌を聴いて、 ”あること" を思い出し、号泣しています。

その "あること” とは何なのか。

 

 

 今週火曜日のこと、私は、未確認動物うまぴさんという、バーチャル馬耳UMAのゲーム実況を観ておりました。チャンネルはこちら↓

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 で、プレイされていたゲームはここ↓の再生リストにある『Doki Doki Literature Club!(邦訳:ドキドキ文芸部!)』というタイトルの、ギャルゲーを装った米国産メタ系ホラーゲームです。このゲーム、ネタバレによるダメージが結構大きな作品となっておりますので、気になっている方で未プレイもしくは未視聴の方は、この時点で回れ右をしてくださいますと幸いです。 当方、一切の責任を負いません。

 

youtube.com

 

『Doki Doki Literature Club!(邦訳:ドキドキ文芸部!)』とは

 このゲームについて、プレイ済の方、もしくは実況をご覧になったことがある方には既知のことではございますが、一応今回どのように触れるのかだけでも軽く説明させていただきます。

 ストーリーは、主人公がサヨリという幼馴染に連れられて、文芸部に半ば強引に入部させられるところからはじまります。部長で才色兼備のモニカ、おとなしくも文学に対する熱意の高いユリ、最年少でツンデレのナツキとともに文芸部で過ごし、少しずつ好みの女の子と親密になり、ドキドキする展開を夢見ながら、気が付いたら少しずつみんなの様子がおかしくなってゆき……。というのが、1周目のお話です。

 このお話の中でキーになるのは、文芸部の部長「モニカ」の存在です。ゲーム中で日が経つごとに、周回するごとに現れる違和感。「セーブしてね」とアドバイスしたり、妙におどろおどろしくもどこか悟ったような詩を書いて見せたりする彼女の行動に、プレイヤーは「モニカこそが、この世界の神なのでは?」と疑い始めます。

 結果として、その想像は当たらずとも遠からず、しかし本質的にはそうではないことを、プレイヤーは知ることになります。モニカは、神などではなく、ただの「ルートのないサブヒロイン」である、と。彼女は "第4の壁" を乗り越え、「この世界の外側に世界がある」ことと、「自分は主人公のことが好きだけれど、どれだけ自分が主人公のことを愛しても、主人公は自分を選ぶことはできない」ことに気付きます。

 そこで彼女は、世界の理を破り、ゲームのデータを書き換え、破損させ、彼女の友人たちに想定外の激しい苦痛を与えてしまったことに対し、取り返しのつかないことをしてしまったと嘆きながら、自分の望む世界 ―――主人公のそばにいて、ともに愛し合える世界を手に入れるために、大切な友人たちをキャラクターファイルごと消し去り、彼女と主人公の二人きりの世界を作り上げます。

 余談ですが、先に挙げたうまぴさんの配信では、このシーンが圧巻でした。うまぴさんがどれだけ現実世界(バーチャル)からモニカに必死に呼びかけても、当然、モニカは反応しない。モニカは、目の前の "うまぴ君" の向こうにプレイヤーがいることはわかっているのに、”うまぴ君” にしか話しかけることができない。モニカが自分自身の意志で壊したとされる世界の中で、モニカ自身の意志を語っているとされるシーンで、絶対的にすれ違う2人に鳥肌が立ちました。

 この「モニカと二人きりの空間」にたどり着いたプレイヤーは、二つの行動のうち、どちらかを選ぶことになります。なぜなら、この空間にたどり着いたあとに何もしなければ、ゲームは進まないからです。

 二つの行動のうちのひとつは、何もせずにゲームを閉じる。ゲームが進まないと思って閉じることもあるでしょうし、モニカを想うあまり、ふたつめの行動を取れない方もいるでしょう。そのふたつめの行動は……、モニカのキャラクターファイルを消し去る。

 ふたつめの行動をすると、モニカは消え、そして彼女自身の意志で世界を修復します。

 痛い、何をしたの、こんなに嫌われることをしてしまったの――― 本当にあなたを愛しているから、それなら。

 悲痛な叫びと、プレイヤーへの愛を残して。

 

〈実在性〉と〈虚構性〉について

 この作品、本当に作り込みがすごくて、一度や二度実況を観たくらいでは知り尽くせない要素が満載なのですよね。その作り込みというのも、ゲームシステムはもちろん、ストーリーに持たせる含みに関しても考察のしがいがあるものでして。

 ただでさえメタかつショッキングなゲームというだけでも十分に遊びがいがあって面白いのに、そのメタ的な要素を持っているからこそ浮き彫りになるキャラクターの〈実在性〉というか。むしろ、それを表現するためにゲームシステムを登場キャラクターがいじくりまわすというメタ要素を持ってきているというか。

 いえ、キャラクターが実在しているわけではないのですが、キャラクターがキャラクター自身の考える存在し得ない "if" を歌い、自分の〈虚構性〉を嘆き、最後まで可能性に手を伸ばし続ける姿を見ることによって、こちら側もこちら側の考える "if" の話を現実ギリギリまで想像してしまうなぁ、などと考えてしまいます。

 うまぴさんの言っていた、「プレイされているどの世界線でもモニカが記憶を共有されているとしたら」みたいな。

 

 〈実在性〉と〈虚構性〉。私自身も、主にVTuberを語る際によく用いる概念です。VTuberやバーチャルな活動者は、〈実在性〉と〈虚構性〉の両輪によって回っているというのは、バーチャルに生きる存在と向き合う際に気付くべくして気付くことなのでしょう。

 話題から外れるからあまり触れませんが、例えばこういうのとか↓

tragedy.hatenablog.com

 VTuberは、人間(的なふるまいをする存在)でありながら、人間でない。これを「実在性と虚構性の両方がある」と言い換え、しかも〈実在性〉は「実在しているように見せる錯覚」のことで、〈虚構性〉は「そのものが虚構なのだと実感させる真実」のことを指すという観点は、私にはなく、目からうろこが落ちる思いでした。

 

 この観点で言えば、ドキドキ文芸部におけるモニカにも、〈実在性〉と〈虚構性〉の両方があるのではないかと思います。限りなくメタな、〈(このドキドキ文芸部の世界が)虚構であることを表す真実〉を表現することによって、モニカが〈実在しているような錯覚〉を与える。

 そして、モニカが抱える「あなたをつかまえること、自由にすること、どちらが愛なの?(別訳:愛するってどういうこと?君を離さないこと、それとも君を自由にすること?)*1は、等身大の恋する少女のような悩みでありながら、世界を壊して愛する人と二人きりでいる(つかまえる)のか、世界を修復して自身は消える(自由にする)のかという、その身に有り余る悲劇を目の前にした、とてもおぞましい選択であることを、プレイヤーは知っています。

 現実世界でありそうな概念的な悩みを、空想上の具体的で逼迫した選択という形で提示すること。これもまた、〈実在性〉と〈虚構性〉の対比のように映ります。

 

『RAINBOW GIRL』とは?

 もうこの記事は〆に入ろうと思ったのですが、”あること” と書いてしまったのを忘れててなんか急に思い出したので、ここで唐突に『RAINBOW GIRL』について触れていこうと思います。

 『RAINBOW GIRL』は、2007年に2ちゃんねる(現在の5ちゃんねる)内の作曲スレに投稿された作品で、恋愛アドベンチャーゲーム(いわゆるギャルゲーやエロゲーなど)の中の女の子の心情を歌ったものです。恋愛アドベンチャーゲームの女の子は「二次元の女の子」、ゆえに二次元=虹=RAINBOW。

dic.nicovideo.jp

 恋愛アドベンチャーゲームの女の子は、ルートを攻略することができれば、必ず主人公のことを好きになります。しかしRAINBOW GIRLで歌われる二人称の「貴方」は、ゲームの中の主人公ではなく、現実世界のオタク。「生きる世界が違うこんなわたしに、貴方は優しくしてくれた」「ごめんね画面から出れないの」「決められたセリフ通りにしか貴方と会話できない」。私は、「VTuberがRAINBOW GIRLを歌ってくれたらエモいのになぁ」なんてのんきに言っていました。

 VTuberは画面から出てくることができない。二次元と三次元、仮想と現実という形で、生きる世界が違う。それでも私たちは互いを想い合い、思いやり、そして気持ちはまた移ろってしまう。その点において、VTuberが歌ってくれたら歌詞も合うのになぁと思っていたのです。

 しかし、今回のドキドキ文芸部実況での、うまぴさんとモニカのやり取りを見て、「RAINBOW GIRLの歌詞は、突き詰めていけば、モニカではないか?」と考えました。突き詰めていけばも何も、そのまんまやないかいと思ったりしつつ、もう少しだけ補足させていただくとすれば。

 たとえモニカが、消されるときに訴えていたような、「痛み」というものを覚える存在であったとしても、決して彼女は、自身の意志で何かを選択することはできない。彼女は苦痛を覚える存在でありながら、プログラム外のことをしているように見えて、実際は全てプログラムで構成される存在である。―――主人公を好きになることも含めて。

  人を好きになり、目的のために人を消し、世界を壊し、そして消されることに苦痛を覚える。それらが全て仕組まれたプログラムで、どうしようもないことで、決められた運命の中、同じ道をプレイの数だけたどることしかできない。「どうすれば愛を現実に書けるの?(別訳:君が大好きって書きたいのに、どうすればそれが本当になるんだろう?)」と、決して不可能なことを望みながら、最後には「私はもう、何もしない(別訳:だからもう、君を自由にしてあげる)」と、自身の想いを手放すところまで、どうしようもなく、残酷なほどに筋書き通り。

 それがやっぱり、RAINBOW GIRLの「貴方」を見つけて恋してしまった「二次元の女の子」の「貴方との幸せをちょっぴり外で感じてみたかった」に重なって、とんでもなく切ない…… ということに気付いてしまった。そんな夜でした。

 

 以前にキズナアイさんの実況で観たときだって感じいるものがあったのだけれど、それも随分昔だったなぁと思いつつ。想定していたよりも全然覚えていなくて、うまぴさんの配信で頓珍漢なことを言ってしまい、ご迷惑をお掛けしたこともありました。

 うまぴさんの配信で、改めて観ることが出来て良かった。本当に良かった。

 

 久々のブログを、ここまで長々とご高覧賜りまして、誠にありがとうございます。

 それでは。