zer0-san3’s blog

zer0-san3.hatenablog.comの漢字かな混じり墨字文バージョン。

愛って何だろう?

 

へいほー、へいほー。
ゼロサンです。

 

真面目か厨二かロマンチストか分からん題名ですが、今回はこれでいきたいと思います。
(こんなことを書いている場合ではない、色々な締切が迫っている。)

 


愛って何だ?

ためらわないことさ!

 

失礼いたしました、ギャバンが出てしまいました。

でも実際、愛って何でしょうね?

 

多くの人にとって、愛の意味は自明でしょう。
そして、そうではない人のことは、多くの場合、無視されます。
所謂、Aロマンティック(恋愛感情が無い、分からない、などなど)あたりに属する方々や、世間でよく聞く形の愛を受け取ることが出来なかった方々など。

 

愛なんて、本当に自明だと思いますか。
愛って、皆が知ってるものですか?
愛って、皆が持ってるものですか?
愛って、皆が持っていなければならないものですか?
それは決まった形のものですか?
愛は素晴らしいものですか?

 

俺は未だに愛のことがよく分かりません。
[思い遣り 気遣い 優しさ]
それらはこの歳になって、ようやく分かるようになった。
でも、暴力的な愛を本当の愛だと思って信じていたことに気付いた俺にしてみれば、愛ほど信用出来ない物もあるまい。

 

俺だって愛されてると信じたかったし、
俺だって人を愛しているのだと思いたかった。
好きって、愛って、そういう物だって、知ってるつもりになってた。
でも、それは、俺のことを「思い通りに動く子ども」と思っていただけで、1人の人間として扱っていたわけではなかった。
そして、俺も好きな人のことをそのように扱った。

 

愛の為に全て許されると思いますか?
たとえそれがどんなことであっても。
「それは貴方を愛しているからだよ。」と言われて、
「愛を感じられない、愛を分かってないのは、まだ子どもなだけだ。」と思われていることを何となく察して、
どんな時でも素直に受け入れられますか?

 

愛の為なら多くのことが
「仕方のないこと」
と思われたり、
逆に、
「愛されているのだから、それは羨ましいことだ。温かみの溢れる話だ。」
と捉えられたりしていることで、
尊厳を傷付けられたり、何かを諦めたりしている人達のことを、知っていますか?

 

俺も ごく小さなことの積み重ねで、とても多くの傷を負いました。
と言っても、1つ1つは大したことのないこと、
もしくは、話を聞いたほとんどの人が、
「愛されているんだね。」
と、にこやかに返すようなことです。

 

虐待とは異なります。
一部の人には、これ↓で通じるでしょうか。
所謂、《母が重い》的なやつです。

 

家庭が病気です。
俺のことを心配している風でいて、愛している風でいて、管理したいだけなんです。
俺の家庭は、俺を自由にしたくないだけなんです。
それでいながら、俺が何かに傷付いた時、助けを求めても、助けてくれないような、そんな感じです。

 

気付いて良かったと思いつつ、
気付かず原因不明の苦しみで死ねばよかったと思うこともあった。

 

一般的には、恵まれている家庭でしょう。
もしかしたら、俺の境遇は、ある種の人には羨ましく捉えられ、嫌味っぽく聞こえ、ある種の人には喉から手が出るほどほしい環境かも知れません。

どうぞ貰ってやってください。多分、アラサーとかになったら「この年齢でそれ?うわキッツ・・・」と言われる人生だと思います。
(今ですらそのような扱いです。)

 

だから自立がしたい。
自立して、「家にいるより楽だ!」って言ってやりたい。
愛なんかなくていい。〈俺〉が失われる方が問題だ。

 

愛するって、愛する相手とゼロ距離になるものだと思ってました。
むしろ、相手を自分の思い通りにしてもいいという感覚でいたかもしれません。
そして、愛する相手の思い通りになる。
それこそが、相思相愛だと考えていました。

だって、俺の知る愛は、皆が、
「素晴らしく、温かみに溢れ、恵まれており、羨ましく思う」
ものだったのです。

皆がそのように言うので、俺の中では間違っているわけがなく、疑う余地がありませんでした。

 

愛って何ですか?
素晴らしい物ですか?

 

人を愛することは素晴らしいことだから、同性愛者の人権は守られるべきで、Aロマンティックの人権は忘れられがちなのですか?

 

人を愛することは素晴らしいことだから、多少のことは我慢すべきですか?

 

愛を強制される筋合いなんてないって、俺は思います。
愛って、何て暴力的なのだろう。

 

今日は、少し長く書いてしまいました。
それではまた。

 

(Aロマンティックのこと、ちょこっとしか書けなくてごめんね。)

 

追記:Aロマンティック・スペクトラムの方の多くは、家族、友人、動物などに対して、ほとんどの方と同じ形で愛情を抱きます。この方達は、恋愛感情を通常と違う形で表現するか、恋愛感情を持たない方達です。

性別を誤解される件。

 

こんにちは(便宜上)。
ゼロサンです。

 

本日は標記の件について書きながら、
軽くジェンダーについて触れていこうと思います。

 

俺は、
戸籍性:女
実生活:女
認識している自分の性別:不明
見た目:男性に近い
ジェンダー違和:ありまくる
身体治療:なし
な、者です。

 

生きるのがつらい。

 

トイレで性別を誤解される。


まず、
「間違えてますよ」
「こっちは女性用ですよ」
と、言われる。
漏れそうなときも言われる。

 

俺が出る頃に入ってくる誰かは、大抵
「あっ、(トイレを)間違えた!」
と言って一度は出て行く。

 

「通報しますよ」
コレが一番心に来た。
俺にどうしろってんだ。


トイレが近い体質なのに、通報すると言われて、しばらく怖すぎて高校の学生証(性別表記と写真付)が手離せなかった。

 

まあしかし、トイレの件に勝る怖さはない。本当に。
だけども、俺だって一介の女として(少なくとも、社会生活上は)生きているので、なんでこんなに女性達が警戒しなきゃならんのかっつーのが多少なりとも分かる。

 

痴漢に遭う女性は多い。
また、露出魔に遭う女性も多い。
俺なんかは、見た目が男なんで、そんな目に遭ったことはないが、地域差はあれど結構聞くものだ。
抵抗出来ない環境下で、尊厳を傷付けられ、尚も恐怖で動けず、誰にも言えず苦しむ経験など、山ほど事例はある。
性犯罪は、その1つだ。

 

俺だって、男性に怖い思いをさせられたことはある。
現実での男性とのノリと変わらないつもりで、ネットの男性と話して、途端に距離を詰められたことがある。
現実では、男みたいだと思われているが、ネット上では見た目など分からないのだから、ただの女になってしまう。
某顔本で住所を特定され、「そっちへ行く」と言われたこともあり、それは本当に怖かった。
遠いから来なかったけど。

 

何だろうな。
性別、面倒臭えな。
まあ、女性でも性犯罪をすることはあり、被害者が男性となることもあるが。
俺の知人は、女性にストーキングされ、どうにも出来ない心の傷を負った。
そういうこともある。だから、あまり問題を男性に絞るのは矮小化とも言えるのだけれど。

 

あれか。性愛か。性愛面倒臭えな。
本当、性犯罪なくなれ。
性愛が害を為すから、俺が女性用のトイレ入ったときに、女性も俺も怖い思いをさせられるんだよ。

 

あと All Gender トイレ増やして欲しい。
マジで自分の尊厳大事にすると、女性用トイレ入れないし、男性用も入っていいのか分からなくてダメだから。

 

ジェンダーについて碌なこと触れられなかった。

 

皆が怖くない社会に。

 

では。

同性婚って。

おはこんばんちは。ごめんなさい、日本語しか話せません。
ゼロサンです。
 
オーストラリアで、婚姻の平等が認められたそうです。
同性も異性も、どちらも婚姻関係になれるとか。
とりあえず、性別による婚姻差別は、制度的には無くなりそうです。
 
同性婚が可能な国と地域は増えてきています。

 

f:id:ZER0_SAN3:20171202020433j:image

Wikipediaのやつです。地域性があるのが分かります。
台湾でも2019年に施行されることになりました。
 
日本ではパートナーシップ条例がありますが、婚姻制度とは似ても似つきません。
日本では、同性婚は可能になっておりません。

理由は様々で,政治的な理由も大いにあります。
また、同性婚が可能となると、民法を改正しなければならなくなります。
めちゃくちゃ細かい修正が、めちゃくちゃ大量に入るわけで、ソレに対応できる弁護士が揃わないんじゃないのか…と不安になります。

結婚ができると、各種税金控除の対象となることができます。
カップルでの不動産手続きや病院面会が容易になり,相続に関しても幾ばくかは楽になるでしょう。
現在、これらの問題を解決したい同性カップルは、養子縁組制度を代替手段として用いていますが、このような代替手段を用いることしか選択肢が無いことは、差別的であると言えるでしょう。
同性婚が可能になれば、GID性同一性障害)で戸籍性の変更をしていない異性愛者の方でも、戸籍変更しないままで婚姻関係を結ぶことが可能となります。

また、戸籍同性同士のカップルで、子どもが欲しいときに、どのようにすればよいのでしょうか?
現在でも、同性カップル間で子育てをしている人達はいます。夫だった人との間にできた子、他所から精子をいただいてできた子、代理母出産によって生まれた子、養子としていただいてきた子、ときにはレイプでできた子など…。
子どもを育てるために、婚姻関係があることは重要となります。相続などを考えると、日本では現在でも婚外子差別があるからです。

なんかもう、いっそのこと、婚姻制度やめて、パートナーシップにしません???
 
パートナーシップ制度を、婚姻制度って名前にしません????
 
いや、もう突然なんですけど、書いてるのが深夜なんで、深夜テンションってことで。
結婚できる奴だけがこんな恵まれてるのって何か酷くないっすか。えっ酷くないっすか。僻みじゃないんですけど。
婚姻関係の権限減らしましょうよ、ね?
 
つか、性別の婚姻差別がなくなったとして、複数婚とか近親婚とかどうするんすか?
いや近親婚は、性愛と結婚の距離が近い限りは無理なんでしょうけどね。近親交配すると病気に弱くなっちゃうので…。
でもポリアモリー(複数性愛)的なライフスタイルを考慮すれば、複数婚もできるべきでしょ。

って感じで、同性婚どころか婚姻制度にちょっと疑問が大きいんですよね…。
 
何かまとまんねーな…こんな感じで今回は終わりにします。ハンパ…

生きる価値 #とは

こんばんは、こんにちは、おはようございます。ハイサイ。イランカラプテ。

你好.안녕하세요.Xin chào.Magandang tanghali.नमस्ते.السلام عليكم

Здравствуйте.Buon giorno.Bonjour.Guten tag.

Jambo.Goeie dag.Kia ora.Hello.

挨拶だけでブログが終わっちゃいそうだ。

 

どうも、ゼロサンです。

 

「生きる価値がないから、死にたい。」

俺が友人たちからよく聞く言葉。 

まあ類友、ってヤツです。

 

生きる価値って、なんでしょうか。

文脈的には、存在価値とか、「外部から見た自分の価値や意味」みたいな感じがします。

 

文脈から、言葉の意味をそれで捉えるとして、「生きる価値」とはなんだろう。

 

物事を評価するには、評価者と、根拠が必要です。

誰が決めるのか。何を根拠に決めるのか。

 

「生まれてきたから」?
なら、生まれてこなかった人たちには,生きる意味がなかったというのか。

 

「〜だから生きる価値がある」と根拠を示すと、「〜ではないから生きる価値がない」となる。

 

もし、「生きる価値」があると仮定するなら、神様みたいな存在が必要そうです。

神様は、絶対的な評価者になれる。人間がそれを行なったら、差別ですが。

神様が与える「生きる価値」の根拠は、「神様から愛されているから」とかになりそうですね。

「神からの愛は揺るがない」としていれば、価値がなくなることは永遠にない。

 

神様がいないならば、「生きる価値」はあるだろうか?

評価者も基準や根拠もないのに。

 

俺は、基本的には、生きる価値などだれにもないのだと考える。

0か1か、で いうところの0、ということでなく、そもそもそんな基準が存在しないのだから、全くの無なのだ。

 

大体、例えば「役に立つから」とか、「私が あなたを愛しているから」とか、「使命が あるから」とか、「生まれてきたから」とか、

 

重い。

 

重すぎる。

役に立たなきゃ生きる価値はないのか?愛されてなきゃ生きる価値はないのか。使命を果たす義務があるって?生まれてこられなきゃ生きる価値はないのか。

 

最後のは、俺の姉にあたる人が生まれてこなかったから、思うんだけれども。

 

そんなものに依存しなければ得られない「価値」など、俺ならいらない。

使命や理由や役割や責任やなんやかんや、必要最低限こなすだけで生きていきたい。

そういったものが必要なひとには、ムカつく結論だと思うので、この辺は流してほしいところです。

 

問うなら、自分の人生を問え。

この世界を問え。

誰かにとって人類にとって自分は生きる価値があるのか、じゃなくて、

自分の人生は自分にとって、生きる価値があるのか。

この世界は自分にとって、生きる価値はあるのか。

人生に生きる価値がないなら、とりあえず、楽をすることとか、寝ることとか。楽しむことを生きがいにしよう。ちなみに俺の人生の価値は、美味しいものをたべることです.

この世界には美味しいものが溢れているので、生きる価値は充分にあります。

 

そんなもんです、人生なんて。

生きる価値なんて、そんなもんです。

まずは自己紹介。

こんにちはの人は、こんにちは。

そうでない人は、ごめんなさい。

当方、名前を「ゼロサン」という者です。

 

こちらは、ジェンダーや教育について学ぶ学生が、ちょっと長文を書きたいなと思い、作ったブログです。

初めてブログを書くので、不安が一杯です。

 

原文で、平仮名を多く使って書いている理由は、キャラ付け的なアレと、なんとなく気に入っているからです。

また、最近「漢字仮名交じり墨字文(かんじ かな まじり すみじ ぶん)」の問題も、気になっております。

 

とりあえずブログなので、コンスタントに更新していきたいと思います。

お手柔らかにお願いしますね.

このブログについて。

はじめましての人は、はじめまして。

俺は〈ゼロサン〉というものです。

 

このブログは、

「平仮名ばかりでは検索に引っかからないのでは?」

と思ったゼロサンが、

「漢字と句読点を使うことでヒットしやすくしよう!」

と思い立って、向こうと同じ内容を書き直して投稿しようとしているものです。

あなたが よめない ときは わたしに いってね。

 

このブログで話すこと

✅感じたこと

✅差別

セクシュアリティ

ジェンダー

✅教育

精神疾患

✅生きることについて

などなど…でもあんま堅苦しくないはずなので、気になったら読んでください。

 

それではスタートです!