zer0-san3’s blog

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"No music, alive." な陰キャが『#ぼっち・ざ・ろっく!』にハマった理由。

 こんにちは。ゼロサンです。

 最近、『ぼっち・ざ・ろっく!』というアニメをフォロワーさんから勧められたので、観始めましたところ、見事にドハマりしてしまいました。

 そこで、「どうしてハマったのか」「どこが良かったのか」を言語化すべく、筆を執ることにしました。

※ アニメのストーリーに関する重大なネタバレを含みます。ご注意ください。原作(単行本)のネタバレも結構あります。

 

 

記事に関連する私のプロフィール

 中学生から引きこもり気質を拗らせている、いわゆる陰キャ音楽が苦手フラグ・ネタバレ恐怖症でアニメは基本観ない。趣味は散歩(1人)とドライブ(1人)と飲酒(1人)と、動画投稿サイトを観ること。母校大学の「誰からも見られず1人で弁当を食べられるスペース」に異常に詳しい。

 

作品関連のコンテンツ摂取率

原作:5巻まで読んだ。早く続きがほしい。

アニメ:11話まで2周し、12話まで観た。

楽曲:アニメを観終えたあと、全曲購入

アニプレックス公式様の動画・配信:音楽関連は視聴した。声優の方々のコンテンツは、キャラクターの解像度が上がることが怖くて観ていない(観たい)

原作者様の配信:キャラクターや物語の解像度が上がることが怖くて観ていない(観たい)

その他のメディア展開:基本的に追えていない。悲しみ。

 

 さて、では早速、ハマった理由へ迫っていきます。

 

 

① ストーリー

 アニメを観た感想なので、主にアニメのストーリーについて綴っていきます。

 

あらすじ

 後藤ひとり、高校1年生。中学生の頃にギターに目覚め、上手くなってからは〈ギターヒーロー〉名義で動画投稿サイトにて活動している。登録者数は8万人。しかし、現実では友達がおらず、ぼっちな生活を送っていた。そんな中、初対面の伊地知虹夏に声をかけられて、結成したばかりの〈結束バンド〉のギターとして活動を始める。

 

印象に残ったシーン

 通しで観てみて、印象に残ったシーンをまずはピックアップしていきます。

1話

 現実世界で評価されず、ネットの世界だけが居場所になっていたぼっちを、現実へと連れ出す虹夏ちゃん。公園のシーンと、ギターヒーローを褒めるシーンでそれが感じられましたね。

2話

 やっぱ、虹夏ちゃんの「あたしね、……このライブハウスが、好きなの。」のシーン。まだ涙までは出なくとも、グッと来ました。この場所を守りたい、と思っている虹夏ちゃんと、それに応えようとするぼっち。先の展開にも繋がっていくと思うと、熱くなります。卑屈でも前向きなぼっち、尊敬する。

 最後に山田が「ぼっち、頑張ってたね」と言える優しさと、その後に「また明日、って言ってくれたね」と虹夏ちゃんが言うシーンは、最初の泣きポイントでした。ぼっちが「また明日、って言ってくれた!」と喜ぶほうが、想像しやすかったから。歳上組、優しいですね。一度ギタボに逃げられているから、余計に「また明日」を信じたくなったのかな。

3話

 喜多ちゃんが、バンドに入る資格がないと語るシーン、彼女の責任感の強さが感じられて、とても真っ直ぐな子なのだなと。

 喜多ちゃんのギターの先生になることになって、嫌がりながらも微笑んでいたぼっち。ここ、アニメオリジナルの表現でしたね。原作でも微笑んでいるものの、ぼっちだけにフォーカスしているわけではなく、全員で微笑んでいます。文脈的にも、アニメのその表現は好きだなと思いました。

 (原作の、4コマ漫画ならではの、テンポ感重視でザクザク進む感じもたまらなく好きです。)

4話

 「個性捨てたら、死んでるのと一緒だよ。」エンディングの『カラカラ』とセットで、吸い込まれるように、山田の想いの丈に見入ってしまいました。

 虹夏ちゃんが、ぼっちを現実世界に引き出してくれた人だとしたら、山田は引き出された個性を認めてくれた人、ですね。どちらも、自分の夢のためではありつつ、ぼっちを見守る温かい眼差しを感じます。話が進むにつれて、全員がお互いをだんだんと認め合って、居場所を作り上げていっているんだなと思うと、こうした節目のようなシーンは、観返せば観返すほど味わい深くなってゆきますね。

 それと、それぞれに〈結束バンド〉を結成する "始まり" があったのだな、とも思いました。山田は、虹夏ちゃんに誘われたから。喜多ちゃんは、〈結束バンド〉に山田がいたから/ぼっちに引き止められて。ぼっちは、喜多ちゃんが消えて困っていた虹夏ちゃんに連れ出されて。どの要素が欠けても、今の〈結束バンド〉にはならない。そういえば、虹夏ちゃんは前のバンドとか、どうしてたんでしょうかね? ま、まさか、山田を救うために脱退……!?

5話

 オーディションシーンの演奏と演出、バキバキにカッコよかった。『ギターと孤独と蒼い惑星』、「チヤホヤされたい」が動機で音楽活動始めたにしては、ギターに対する感情クソデカすぎませんか?

 それと言わずもがな、自販機前のシーン。原作にも該当シーンはありますが、虹夏ちゃんがぼっちを追いかけて飲み物を奢る流れは、アニメオリジナル。この2人、秘密によって関係性をより強く繋いでいて、不思議な関係ですよね。

6話

 きくりさん、初登場。全体を通して、きくりさんの只者じゃなさが印象的でした。声の演技、やば……。ゾクゾクします。

 大切な場面で、ただ言葉にするだけでなく、実際にやってみせるきくりさんは、子どもに接する大人として良いお手本ですね。いや、お手本にしちゃいけないくらいヤバい人ですけど!

7話

 全体的に陰キャのコンプレックスを刺激されまくって、あまり観れませんでした。ですが、〈結束バンド〉のことを本当に大切に思っているぼっちの気持ちが感じられ、何だかんだ気持ちのよい回だったなぁと思います。

8話

 ライブシーンは胸が熱かったですね。『あのバンド』……。

 それと、言わずもがな。ギターヒーローバレするシーン。虹夏ちゃんは、自分の秘密とぼっちの秘密をトレードすることで、ぼっちを尊重したかったのかなぁとか、そんなことを考えました。

 あと、ぼっちの言い出せない理由は自信の無さからかなと予想して、「どんなときでも、君はヒーローだから、大丈夫だよ」ということを伝えたかったのかな、とか。

 ぼっちがバンドをする理由、ここまで溜めて溜めて、この話で出てきたというのも感慨深いです。たくさん練習してきたこと、バンドのみんなのことが分かってきたこと。大切に思えるものが、積み重なってきたこと。段階を経るごとに、ぼっちの想いの出力のされ方が、変わってくる。それらを踏まえての、この話。

 個人的に、この二次創作イラストが刺さりました(自分の言葉で説明するチカラがないため二次創作イラストで補完する例)

9話

 「ぼっちちゃんは何、お願いしたの?」と、虹夏ちゃんが聞くシーン。アニメオリジナルですね。前話の流れを考えると、虹夏ちゃんは「きっと夢のことについてお願いしてくれたんだろうな」と思っているのでは? なんて。それに反して、ぼっちの不毛な願いたるや。めっちゃ笑いました。

 あと、山田の「学校でぼっちなの、不思議」辺りのシーン、そして帰路の喜多ちゃんとぼっちの会話も、10話の喜多ちゃんの言動に繋がってくるのかもしれないと思ったり。

10話

 喜多ちゃんの "後藤さん" に対する想いが垣間見えて、激しく心が動きました。まだ言語化出来ないことが多すぎる、この関係性。ぼ虹派だったんですが、首が捻じ切れんばかりの勢いでぼ喜多に振り向かされました。

 前も共有しましたが、この二次創作が私にはガン刺さりしています(自分の言葉で以下略)

11話

 メイド服可愛かったですね!!!!!

 「喜多さん、何か……」と「後藤さんは、すごく……」の、お互い言い淀む感じお互いが、自分にないものと、似ているものを相手に感じているのだな、と。12話を観た後だと、より、そう思います。

12話

 もう言うまでもなく、ボトルネック奏法シーンでしょ。奏法がカッコいいとかだけじゃなくて、後藤ひとりに全幅の信頼を寄せる喜多郁代、あまりにも感情がBIG。嘘だろ? カッコいい。『星座になれたら』初披露シーンでもあるので、お互いが音楽で相手を想う場面だ……! と、めちゃくちゃグッと来ました。

 喜多ちゃんが、初めて "後藤ひとり" の存在を意識した、1話の曲がり角を想起させるシーンも良いですよね。保健室から出た後の。ぼっちからしたら、すべては公園から始まった! ……んですけど、喜多ちゃんがぼっちの存在を知ったのは、あの曲がり角から。たぶんそれで「うちの学校って、ギター持ってる子いたかしら?」と友達に聞いて、3話の「2組の後藤さんよね?」に繋がるんだと思うし。10話で、文化祭の紙を提出した話をするときにも、あの曲がり角から話しかけてるんですよね。あの日のことを、思い出したりしていたのかな。

 保健室のシーンも、もちろん良かった。喜多ちゃんが10話のときに、同じ場所でそう思っていたであろうことを、12話で、ハッキリと言葉にした。文化祭ライブが終わって、ようやく言葉にして伝えられることだったのかもしれない。

 そしてアニメオリジナルの、エンディングのシーン。『君に朝が降る』というサブタイトル、まさしくその通りの演出。「戦争をなくすような大逸れたことじゃない/だけどちょっとそれもあるよな」、何となく、音楽やってる理由で「世界平和」と誤魔化したぼっちを思い浮かべたり。曲の話はあとでするので、ここまでにしておきますが。

 

全体が終わった感想

 出し切ったーーーー!!!

 いやね、何度バカほど泣いたか分からないくらい、何度でもボロボロに泣いた。突然何言ってんだ、って感じですが、もう本当にすごい。

 何がすごいって、伏線が張られていたり、同じ場面を同じ構図で何度もリフレインさせる構成になっていたり、「そういえばここでこう言ってた」みたいなことが後から活きてきたり、そういう "物語としての妙" がたくさんあるんですよね。

 原作を読んでみて分かったのは、ストーリーの大筋は変わらない、ということ。ただ、どこをピックアップして、どこを削るか、そしてどこで終わるのか…… という取捨選択が洗練されていて、「これが脚本のチカラか!」と感動しました。それがただの技巧の見せつけではなく、当然ながら、表現したいものが詰まっているからこそ出て来る発想で。浮き彫りにした場面場面を、余すところなく使う。凄まじかったです。

 アニメが終わってしまったことによるロスが激しいけれど、終わるべきところで終わった、という心地よさも同じくらいあります。まるで学生時代のような儚さ。青い春なんてもんは僕には似合わない、それでも、青春でなにが悪い。ダメだ、また泣く。

 終わっちゃった。原作はまだまだ続くけれど。存在しない青春の記憶が、幻肢痛のように心を蝕んで、褪せない。

 

 ……あと、ごめん。このブログ書いてから原作読もうと思ったのに、手元にあるの全部読んじゃった。めちゃくちゃおもろいな。テンポが良いのに、感情が揺さぶられる。コメディで、面白くて、笑えて、でも全部キラキラしてて。アニメとは全然違う、4コマとしての良さが有り余ってる。すぐ読めてしまうのに、時間が進んでいくのが寂しい。助けてくれ。

 

② キャラクター

後藤ひとり

概要:

 本作の主人公。秀華高校1年生(アニメ時点)。〈結束バンド〉のギター担当。また、オリジナル楽曲の作詞も手掛けている。〈ギターヒーロー〉の名で動画投稿サイトにカバー動画を投稿している。1話時点では友達がいない、ぼっちな女の子。ひょんなことから〈結束バンド〉というバンドへ加入する。

 

 「主人公だから」「『ぼっち・ざ・ろっく!』だから」というだけでなく、彼女の魅力なくして、この作品を語ることは出来ません。喜多ちゃんの主人公っぽさと比べて、正直最初は「この子が主人公なんだ! 意外!」と思ったものですが、もう後藤ひとりが主人公以外の世界線が思い付かない。

 先に言っておくと、私は陰キャですが、自分のことを「ギターの弾けない後藤ひとりだ」とは思っていません。多少、共感や「あるある」と思うことはあれど、それが後藤ひとりの全てではない。彼女の演奏やキャラクターから発される一種のカリスマ性のようなものは、彼女が主人公であることへの圧倒的説得力を感じさせます。だから、救われるんです。「主人公だから、この作品には後藤ひとりが必要」なのではない。順番が逆。「この作品には後藤ひとりが必要だから、『ぼっち・ざ・ろっく!』なのだ」と。ものすごく、当たり前のことですが。

 ぼっちって、運あんまり良くないですよね。「きっと大丈夫……!」と思った翌日に台風が来たり、当日に弦が切れたり(こういうのをフラグと呼ぶ)。そういった運のなさを、実力で切り抜けていくカッコ良さたるや。その度に、「後藤ひとりって、カッコイイんだ!!!!!」と思い知らされます。そのカッコ良さが、最初は自分のためのものだったのに、徐々にバンドのためのものになっていって、まさにぼっちの掲げる夢である「ギタリストとして、みんなの大切な結束バンドを、最高のバンドにしたいです!」を真っ直ぐ突き進んでいく姿に、心を惹かれます。救われるんです。

 あと、めちゃくちゃ可愛いですよね……。見た目が完全に好み。着せ替え人形にしたい。

 

喜多郁代

概要:

 SNSを使いこなす、キラキラ系イマドキ女子。秀華高校1年生、後藤ひとりとは別クラス(アニメ時点)。〈結束バンド〉のギターボーカル担当。山田リョウに憧れて〈結束バンド〉に加入したものの、ギターが全く弾けず、バンドから逃げ出す。後藤ひとりと共にギターを練習している。

 

 喜多ちゃん、最も言語化出来ない女です。虹夏ちゃんが、具体的な言葉で大切なことを伝えてくれる存在だとすると、喜多ちゃんは言外の大切なことが多くて……。(山田もそう)

 喜多ちゃんって、たぶん普通に考えたら主人公なんですよね。普通の女の子だった初心者ギタボが成り上がっていく話、自然じゃないですか? ノリと勢いで生きていくしかない修羅の陽キャ道を進んでいるような、破天荒キラキラ女でありながら、意外と真面目で責任感が強く、頭の回転も手際も良い。それでも、喜多ちゃんが主人公ではないのは、後藤ひとりの強さもあるだろうし、喜多ちゃんが見つけた夢が「後藤ひとりを支えられるようになる」だからなのだろうなとも。喜多ちゃんを見ていると、コンプレックス拗らせそう(私が)。

 特別さのない自分を嘆くような彼女も、こうして見るとすごく個性的で。彼女なりに悩みながらバンドをしていることがすごく、要所要所で発揮されていて、「喜多ちゃん、良い子……!」と胸を打たれます。特に最後3話。

 (原作読んでると、よくあんな後藤ひとりに辛抱強く話しかけ続けられるな……! と、ハラハラと感動が)

 はたから見てると確実にヤバいヤツですが、作品中ではかなり情緒が安定している子にも思えますね。あくまで作品中では。山田もかなりテンションがおかしいシーンがあるので、情緒の安定で言えば山田を上回る可能性がある。あと身長体重公開されて思ったのは、キラキラした食べ物は食べてそうだけど他の食事は質素そう。味に疎そう。

 あともうひとつ言っていいですか。喜多ちゃん、歌声イケメンすぎない?

 

山田リョウ

概要:

 マイペースで無口な変人キャラ。下北高校2年生(アニメ時点)。〈結束バンド〉のベース兼コーラス担当。また、オリジナル楽曲の作曲も手掛ける。〈結束バンド〉の初期メンバー。以前は別のバンドにいたが、方向性が合わなくなり、脱退。音楽オタク。1人好き。

 

 ユニセックスな見た目の女、良いですね〜〜〜〜。顔が良い。

 〈結束バンド〉の中では、反骨精神強めな意地っ張りでもありますよね。見た目に反して…… とも思いますが、だからこその、この見た目。熱量も高く、センスも良く、自分を貫く姿勢。時々、寂しがりや強がりが出て、虹夏ちゃんに慰めてもらっているところも好き。

 人一倍、「個性」というものに重点を置いているところ、原作で山田家の様子を見ていると「分かる」というか。ぼっちもそうですが、家族間の距離が近い家庭環境だと、アイデンティティを築いていくのに工夫が必要ですよね。そういうところが、山田は自覚的であり、ぼっちは無自覚な部分も大きいながら、通じ合うのかな。そしてそこに、喜多ちゃんも惹かれるのかな。自覚的なぶん、反骨精神から目指した(原作参照)バンドやロックというものには、コテコテなイメージを求めることがあるのも頷ける。今後、以前辞めたバンドとの接点も出てくるのかな? と思うと、ドキドキです。

 金を借りたりすぐメンバーを商売道具にしようとしたり、とまぁクズさも目立つわけですが、強かさがあるとも捉えられますよね。生きるためになんでもする。その「生きる」ってのは、ただ生活をやりくりするということではなく、「前借りしてるこの命を使い切る」こと。自分自身の在り方を、自分で追求すること。アイデンティティの追求。

 山田は声が良いのも魅力ですよね。歌声好きすぎて、しんどい。思わず、声優さんのYouTubeチャンネル、登録しちゃいましたもん。

 

伊地知虹夏

概要:

 明るく社交的な性格。下北高校2年生(アニメ時点)。〈結束バンド〉のドラム担当、兼リーダー。山田リョウを〈結束バンド〉へ誘う。また、第1話で初対面の後藤ひとりをサポートギターとして連れ出す。姉がライブハウス〈STARRY〉を経営している。母親を幼い頃に亡くしている。

 

 伊地知虹夏のことを、好きになってしまった。

 その一言に尽きます。マルチタスクで何でもそつなく出来て、身長もメンバー内では一番低くて(※ 私は身長・体型フェチです)、賢くて優しい。虹夏ちゃんに関しては、好みという点でトップレベルすぎて、私情挟みまくってしまう

 楽器の中ではドラムが一番好きだし……。最近、好きなドラマーさんの動画を観て、「虹夏ちゃん、カッコいい……!」という幻覚を見るのがマイブームです。

 みんなのまとめ役で、〈結束バンド〉を結束させるのが虹夏ちゃんの役割の大きなところ。その点、山田とは真逆ながら、喧嘩し合わない理由にもなっているなぁと。「バンドらしさ」「結束感」というものを引き合いに出すのも、彼女の原点が「姉の愛したバンド活動や音楽、ライブハウスの熱気」にあるからで、そこを理解している山田だから、真逆でも否定はしないんだろうな。いつの間に山田の話になってた? トリックアート?

 姉との絆も、胸がギュッと詰まる要素のひとつ。本稿はあくまでアニメの感想なので、あまり多くは語りませんが。大切にしていたバンドを辞めて、虹夏ちゃんのために尽くす星歌さんに、虹夏ちゃんも報いようとする。お互い、素直じゃない部分もあれど、仲良くいようとする姿が眩しいです。

 虹夏ちゃんって、一番、周りをよく見ようとする子でもあると思うんですよね。見るだけでなく、上手く回そうとする、というか。相手にとって、どんな振る舞いが正しいのか、を考えてもいると思う。ある種の気づかい屋で、ダメなことにはダメと言いながらも、優しく出来る。人を許すことが出来る。最大限、尊重しようとする。下北沢の大天使。そういう性格であるからこそ、上手くいかないこともあるんですけど。たまに損な役回りをもらってきたり、プレッシャーに負けそうになったりしつつ、〈結束バンド〉の仲間に支えられて立てている。

 面白要素は他のメンバーが持っているからツッコミ役として全体を締めているところはありながら、案外情緒不安定な場面があったり、イタズラ好きだったり、姉譲りなのか口が悪かったりするところが面白くて好き。

 

〈結束バンド〉以外のメンバー

 星歌さんの不器用な優しさと可愛さとか、PAさんのミステリアスな雰囲気とか、きくりさんの底知れなさとか、感情〜〜〜〜ってなれるキャラクターばかりで心が追い付けませんね。後藤家もめちゃくちゃキャラ濃いし。SICK HACKのバランス感と、新宿FOLTの人たちの…… 待って!? FOLTの怖い人、SIDEROSの大槻ヨヨコじゃない!?!!?(原作の登場人物) こりゃ、二期あるわ。やったぜ。

 

③ アニメーション

 原作の漫画と比較して思ったことは、原作ではザクザク進んでいくシーンを、アニメでは「そこそんなにかける!?」というくらい技術がぶっ込まれてておったまげたところですね。

 あんまり他のメディア(インタビューとか)追ってないから分からないけれど、恐らく3DCGですよね? あの可愛らしい絵柄を表現することも、バキバキの演奏と空気を合わせることも、とにかくめちゃくちゃヤバい。ライブ演出のカッコ良さが異常。空気を変える演出、ゾクゾクする。

 オープニングやエンディングの細かい小ネタも、観ていくほどにたくさん見つかって、絶対飛ばせないですよね。アニメーションがどうとかも含めて、MVとして良すぎる。エンディング、可愛い。

 コメディシーンの大胆なドンガラガッシャン感(伝われ)、好き。絶対そこ、そんな技術の使いどころじゃないだろくらい大袈裟で笑う。

 あと、どんな場面でも動きが細やかですよね。虹夏ちゃんが1話でぼっちのことを誘うシーンの手の動きとか、緊張と申し訳なさみたいな感情が伝わってくる。「でも、ぼっちちゃんにはまだ秘密だよ!」のシーン、委員長が真似したくなるのも分かる可愛さ。

 アニメを普段観ない私でも(だからか? 最新技術に追い付けてない?)驚くくらいの多彩な表現で、何度観返しても飽きないところが本当に面白い。

 

④ 楽曲

 最後は、楽曲について。一曲ずつ、短めではありますが書いていきます。

※ オープニング、エンディング、劇中歌に絞って、販売されている物のみ書いていきます。

青春コンプレックス

 アニメ1〜11話までのオープニング。(12話はオープニングなし)

 冒頭から全員の息を合わせないと弾けない「ダッ、ダッ、ダッ」で、アツい。めちゃくちゃ後藤ひとりな歌詞してますね。

 喜多郁代〜〜! 俺だ〜〜!! 結婚してくれ〜〜!!! イケボすぎます。あの可愛らしい喜多ちゃんから、歌上手すぎ低音ボイスがバチコーンと出てくるの、ギャップが強い。

 リョウ喜多の歌唱力で、頭がパンクする。喜多ちゃんが山田に惚れてる一方的な構図なのに、こと歌において山田のコーラスの寄り添い方、これウチらが聴いてていいやつ? ってなります。ベースって楽器のこともよく知らなかったんですが、山田、あんなにマイペースなクセして実は周りに合わせるの超上手いですね?

 ドラムがパワフルな上に、速え! 虹夏ちゃん、これを叩きこなすってマジ!? 惚れ直した(n回目)。Cメロの「猫背のまま虎になりたいから」の速打ち? にマジでビビった。

 

Distortion!!

 アニメ1〜3話のエンディング。ボーカルは喜多郁代。

 歌詞読んでて思ったこと。この歌詞って、喜多ちゃんが書いてなくないですか? いや、各種メディアの記事を読んでないので、もしかしたら喜多ちゃんが書いているのかもしれませんが。

 でも、少しだけ孤独を感じるところとか、夜を歌うところとか、何となく後藤ひとりっぽさを感じませんか? いや、後藤ひとりにしては明るいか。後藤ひとりと喜多郁代のコライト(コラボライティング=共同で曲や詞を書くこと)だったりする? 覚えたての音楽用語をふんだんに取り入れてる、みたいな解釈もできる気がしなくもない。

 ドラムが、ズダダン、とか、ダンダンダン、とか、シャーン、とか、キメが結構入っててめちゃくちゃ好きですね(専門用語分からない)。ギターもギュインギュインしてて、なんだか自由な感じがする。バンドサウンドだ! とも思いますし、めちゃくちゃ明るいアニソンじゃん! とも思います。とにかく、楽しくて好きです。

 

カラカラ

 アニメ4〜7話のエンディング。ボーカルは山田リョウ。

 変拍子とか分からない専門用語使って違ったら恥ずかしいので言わないんですが、変わったリズムですよね。カラオケで歌ったら、リズムの面で過去最強に難しかった。イントロと間奏のドラム、変態的じゃないですか?

 更に、歌詞の日本語的イントネーションを無視してるメロディの部分も、カラオケで歌ってみると意味分からんカッコ良さで全然歌いこなせない。これ歌ってる山田(水野朔さん)、すごすぎる……。

 息継ぎがしっかり音として残っているところが、「前借りしてるこの命を使い切らなくちゃ」「いつか消えてしまう前に」の歌詞を切実なものにしていますね。透き通った声が少し反響感ある音になっていて、雨の中っぽい籠った表現に感じます。

 「個性捨てたら死んでるのと一緒だよ」の4話で初出のエンディングなの、歌詞と合わせて胸が締め付けられました。山田リョウという存在は、確かなものなどない、個性というものを大切にしている。「重大な問題抱えて眠る/愛された方が確かに夢想的だけれど」この辺の歌詞、山田が前バンドに「辞める」って伝える前夜っぽくないです? 人気が出始めて、個性を捨てて、より愛されるために売れ線の曲を書き始めた前バンドに、「辞める」という重大な問題を伝えようと決心して眠る、みたいな。妄想ですごめんなさいこの辺にしておきます

 

ギターと孤独と蒼い惑星(ほし)

 アニメ5話の劇中歌(オーディションのシーン)。ボーカルは喜多郁代。

 5話では鋭い空気に変えたこの曲が、8話では「みんないつも通りじゃない」を表現する使われ方してて、こんなに違うんだ!? と驚きました。素人にも分かる、もたついた演奏を表現出来る裏のバンドさん、すげぇ。

 ぼっちの初めて作詞した曲。聴く前は「孤独に堕ちた感情を叩き付ける曲」と思っていましたが、聴いてみたらギターへの愛情デッッッッカすぎてビックリしました。喜多ちゃんの歌声、カッコ良さと切実さが感じられて、ぼっちの心のうちを代わりに吐き出すような歌唱ですよね……。

 ドラムの、ズドドド、ズダダダンみたいな激しく速い打ち方や、ドムドムドムドムみたいな低音の響く感じ、めちゃくちゃカッコいい。これ、ライブで聴きたいんですけど? 虹夏ちゃんがこのドラムやってるってマジ?

 

あのバンド

 アニメ8話の劇中歌(ライブのシーン)。ボーカルは喜多郁代。

 原作では、アニメでいう5話に該当するオーディションシーンでタイトルが出てますが、アニメでは8話が初出です。ここで "ヒーロー" の背中を見る虹夏ちゃんの構図、最高のカメラワークでした。アニメ版の入りの前のぼっちのギターで、空気が変わってスッと惹き込まれる演出に心を奪われます。最初は戸惑っていて「?」となっていた喜多ちゃんが、覚醒ぼっちを見て少し表情が変わるところとか…… うっ、好きだ。全然目が合わないのに、ドラムのキメにバッチリ合わせて来るぼっちもカッコいい……。

 イントロやアウトロの凶悪なギターの音色、めちゃくちゃカッコいいですね。「私が放つ音以外」の伸ばし方がセクシーでドキドキしちゃった。

 「世界の音が聞こえない」「自分の音だけ」的な表現が、この曲でも、『ギターと孤独と蒼い惑星』でも描かれていますが、12話の文化祭ライブを観てから振り返ると、ひとつのキーになっているようにも思いますね。

 

なにが悪い

 アニメ8〜11話のオープニング。ボーカルは伊地知虹夏。

 全楽曲の中で一番、たくさん聴きました。伊地知虹夏のことが好きすぎるので。8話のエンディングの入り、これもう最終回ですか? ってレベルでブワッと感情が高まって、ボロボロに泣きました。ひとつの区切りですよね。漫画では1巻の最後だし。

 伊地知虹夏、明確な夢があってそこに向けて本気でバンドをやっているのに、どこか刹那的な考え方や自信のなさが窺えて、惹かれてしまうんですよ。そういう部分を、『なにが悪い』という曲で叩き付けられた気がして。めちゃくちゃバンドマンっぽくない? と同時に、彼女のバックボーンを考えると、そうなるのも頷けます。

 『なにが悪い』、『青春コンプレックス』とか、この後に書く『忘れてやらない』とかと、対比っぽい描かれ方をしてる歌詞に思えてならなくてですね。『青春コンプレックス』に対して『なにが悪い』、『なにが悪い』に対して『忘れてやらない』みたいな、アンサーっぽい感じがどことなくあるように思います(『なにが悪い』と『忘れてやらない』は、ジャケット的にもA面B面かな?)。妄想ですが。

 強烈にピュアでシンプルな友情的青春を目の前に提示されて、喉が焼け付くような感情になるのが、たまらんのです。これ、卒業ソングとして選ばれてもよくない?「心は透明だ!」=プリズム、つまり虹ってこと!? という意味とか、ぼざろ要素を色々感じられてニコニコしちゃいます。

 

忘れてやらない

 アニメ12話の劇中歌(文化祭ライブのシーン)。ボーカルは喜多郁代。

 イントロのド初っ端、あまりにも印象的すぎる。何度も聴いているのに、聴くたびに冒頭で「なんだこの曲!?」と思う。

 後藤ひとりが、文化祭を盛り上げるために、自分の中の「青い春」を、「一度しかない瞬間」を歌っている。きっと、これまでを振り返って、楽しかったことも思い出して捻り出したのではなかろうか。自分の青春コンプレックスを刺激しないような(言い換えればそれは「後藤ひとりの言葉」だと断言出来るような)、卑屈さも多めに含みながら。彼女なりの「青春の歌」だと、そんなことを考えています。

 

星座になれたら

 アニメ12話の劇中歌(文化祭ライブのシーン)。ボーカルは喜多郁代。

 ずっと待ち侘びてたんですよ、この曲を。

 Twitterで曲名のネタバレを受けて、「星に例えるのではなく、星座になりたいと歌うのか!? 後藤ひとりが!?」と、ひどく感銘を受けていた曲。12話で出るなんて……。

 さて、この曲というと、私は以下の二次創作小説が浮かびます(自分の以下略)

 曰く、"先人たちが、星を繋いで描いた星座。それは今、かつてその模様が描かれた領域という、夜空の「場所」を示すものとなっています。" とのこと。個々の星と星を繋ぎ合わせて描いたものが、〈結束バンド〉という揺るぎない場所になっていく。「ぼ喜多な曲!」と盛り上がっていましたが、それ以上に〈結束バンド〉の曲、なのだなぁと。〈STARRY〉、プリズム、色とりどりの光。

 どんなに眩しくても、つないだ線解かないで……。この部分、アニメのこの後の保健室のシーンで「私は後藤さんみたいに人を惹きつけるような演奏はできない」と喜多ちゃんが独白するシーンや、原作のこの後の「ギターヒーローだとバレてスカウトされる」展開と重ねると、喜多ちゃんにも〈結束バンド〉にも言っていることが汲み取れます。ぼっちにとって、ギターヒーローよりも、喜多ちゃんの隣、〈結束バンド〉が居場所になっているのだなぁ。あと噂で聞いたけど、作曲的観点から見てもぼ喜多ってこと……?

参考にさせていただいた記事

 

転がる岩、君に朝が降る(cover)

 アニメ12話のエンディング。ボーカルは後藤ひとり。

 アジカン、こと〈ASIAN KUNG-FU GENERATION〉さんの楽曲。調べてみると、ぼざろでは、アジカンのネタがふんだんに使われているとのこと。〈結束バンド〉のメンバーの名前も、全員アジカンのメンバーからもじってます。この曲は、音楽の "ROCK" と、岩の "rock" を掛けているタイトルとなっている、という解釈だそうです。

参考にさせていただいた記事↓

 そこでまず、曲名的な話をすると、アニメ1話のサブタイトルが〈転がるぼっち〉で、12話のサブタイトルが〈君に朝が降る〉なんですよね。印象的な曲名を1話と12話に分けるな。ドキドキしちゃうだろ、オタクが。1話で布石を置いた全てを12話で回収する、それと同時に、取りこぼしたタイトルも拾っていく。ちょっと綺麗すぎない?

 ここまで、「エンディングは声優さんが歌っている解釈なのか? キャラクターが歌っている解釈なのか?」と少し疑問に思っていたけれど、12話のエンディングは「間違いなく "後藤ひとり" だ」と思えた。ぼっちの声優である青山吉能さんの普段の歌声とは、少し違う。後藤ひとりが、夜を、朝を、優しく歌っている。それ以上のことはもう、そこにはない。それが全てだ。

 

 以上、私にとっての『ぼっち・ざ・ろっく!』の好きなところでした。それでは。

 

自分語りとタイトル回収(あとがき)(読まなくていいやつ)

 何故、"楽曲" の項を最後にしたのか。『ぼっち・ざ・ろっく!』のアニメの感想を述べるのであれば、あの素晴らしき楽曲たちを、もっと前の項で説明すべきではなかったのか。

 ……この項をご覧の皆様はお気づきかと存じますが、音についての感想は、全然よく分かってない素人の感覚によるものとなっています。何故ならば、私は、音楽についてほとんど知らないからです。

 情報を食べてる、ならぬ、情報を聴いてる。必死にかき集めてきた、ファンそれぞれの解釈を読みながら、自分でも「こういう意味かな」と考えてみる。私に出来るのは、それが精一杯。

 

 幼い頃。全ての表現は私の敵だ、と思い込むことに、そう時間は掛からなかったと思います。

 音楽は特に、分からなかった。ピアノを16年弾いていても、クラシックを聴き込んでも、それが何を表現しているものなのか、理解出来なかった。分からないものは敵だった。

 歌は好きです。歌詞は、他の表現よりは理解出来るから。世界の全ては言葉に見えていて、言葉にならないものは私の中に存在出来ない。だから、歌詞のある歌を歌うことで、音楽と自分とを繋ぎ止めていました。

 そして、言葉にならないものが私の中に存在出来ないように、それらの中に私が入り込もうとすると、拒絶される感覚がありました。劇場に行っても、美術館に行っても、「そこに私はいない」ような。

参考↓

 具体物と言葉以外の世界は、私にとっては居場所にならない。私の心の中には存在しないし、そこに私はいない。「言葉の壁を越える」と大仰な役割を任された音楽は、世界と、こんなちっぽけな私との隔たりすら、越えることが出来ない。"NO MUSIC, NO LIFE.(音楽なしでは生きていけない)" ならぬ、"NO MUSIC, ALIVE.(音楽がなくても生きていける)" 。退屈で、恐怖で、疎外感を覚えさせる、それが私にとっての "音楽" でした。

 

 全ての表現は敵ではない、と気が付くことには、多大な時間を要しました。

 音楽にも、絵にも、伝えたいことがあって、それを伝えるために存在している。20歳を超え、色々な表現の文脈を理解しようと手垢をつけ、少しだけ心をこじ開けて、ようやくそれを理解しました。「音楽で食っていくならば、外に向けたものを作らなければならない。お金をもらって演奏している意味を考えなければならない。(大意)」と、ミートたけしさんが仰っていたのを聞いて、より、それがハッキリ言語化出来たように思います。

参考↓

ちなみにミートたけしさんは、ぼざろの解説もしている音楽家の方です。

 自分にとっての "音楽" の輪郭が、ようやく薄らと見えてきたところで、『ぼっち・ざ・ろっく!』に出会いました。

 最初は、怖かったです。アニメも怖いし、音楽も怖い。全てが怖いけど、勧められたしとか日常系っぽいしとか色々と言い訳をつけて、観てみました。ガッツリハマりました。

 その瞬間に起こった変化について、めちゃくちゃ端的に言えば、「音楽は自分の居場所にならないので興味などなく、理解もできなかったが、後藤ひとりの在り方によって "それは1つの道かもしれない" と思えた」のです。

 先に言った通り、私は自分のことを「ギターの弾けない後藤ひとり」だと思っているわけではありません。彼女は、ifの世界の私ではない。私は、何者にもならなかった。なれなかった。何者かを、目指そうともしなかった。後藤ひとりにギターがなかったとしても、私は後藤ひとりにはなれなかった。変わろうとする一歩を踏み出すことを恐れて、音楽や絵といった外の世界を拒んでいたのは、世界のほうではなく、私自身でした。

 後藤ひとりが、ギターを始めたのは、ギターヒーローになったのは、接客でカウンターから顔を出すようになったのは、度重なるライブで空気を変えたのは、その一歩を(時には、彼女にとって千歩くらい)踏み出せていたから。その一歩を見て、「音楽という "道"」を、初めて "言語化" 出来ました。私の世界に、「音楽という道」が、よりしっかりと見えるようになったのです。

 言葉による表現と同じように、イラストだったり、漫画だったり、アニメだったり、映画だったり、ドラマだったり、演劇だったり、彫刻だったり、……そして音楽もある。それは誰かを楽しませ、心に響かせ、変えてしまうくらいのチカラがある。そう、今更そんなことに気付き始めたタイミングに、たまたま『ぼっち・ざ・ろっく!』というアニメがピッタリハマってしまった。そんなことはもっと早い時期に分かるものだろうに、情けない話ではありますが。

 

 以上が、『ぼっち・ざ・ろっく!』にハマった長ったらしい理由となります。重ッ。勧めてくれたフォロワーも意味不明なくらいハマってしまった。申し訳ない。

 それでは、このへんで。