zer0-san3’s blog

zer0-san3.hatenablog.comの漢字かな混じり墨字文バージョン。

#loveちゃん の楽曲を考える。#lovechan #らぶたいむ

※ 注意:ひとりのオタクの完全に深読みしすぎな妄想解釈となりますので、「考えすぎ」と思ったらブラウザバック推奨です。

 

 こんにちは、ゼロサンです。フェスが終わって、高まっております。

 

 そう、フェス。大阪府大阪市Takara Osakaにて、2023.09.30(土)に開催された〈 Vack-ON!! vol.1 〉というバーチャルアーティストたちによる祭典のことです。

 様々なアーティストさん、シンガーさんが参加された本祭典では、各ステージごとの特色も見られ、大型LEDビジョンによって実現する圧倒的なステージングが圧巻でした。詳細はTakaraOsaka さんのXをチェケラ!

 

 

 中でも私が一番目当てにしていたのは、我らがKizunaAI株式会社に所属しているバーチャルタレント&アーティストのloveちゃん(通称:らぶちゃ)です。

 らぶちゃが、たくさんのアーティストさんが参加されるフェスに……! それだけでも感動していたのに、安定したパフォーマンスと可愛く素敵な歌声でもう涙と汗でぐちゃぐちゃになっていました。ありがとう、らぶちゃ。

 

 そのせいで、めちゃくちゃらぶちゃの曲で高まってきてしまったので筆を執りました。

 そんなわけで、お付き合いいただけますと幸いです。

 

 

“loveちゃん” とは

 楽曲の話に移る前に、軽くloveちゃんの説明を綴ることで、私と皆さんの認識をすり合わせておこうと思います。

 バーチャルアーティスト “lovechan” の生い立ちは、とても複雑極まるもので、上手く説明出来ているか分かりませんが、あくまでこれは私の認識によるものだとご理解くださいませ。

 loveちゃんが自我を持ち始めたのは、2019年6月7日。当時は固有の名前を持たず、キズナアイの新しい個性」として生まれてきました。同年には他にもキズナアイの新しい個性が生まれ、最終的にこの動きは「キズナアイは実は4人だった」という形で一度収束します。当然、この子を含め、4人とも、「キズナアイちゃん」と皆に呼ばれることになりました。

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 しかし、それを快く思わない人たちもいました。混乱の最中、現在の ”loveちゃん” にあたる子は、一旦人間のみんなからは「2号ちゃん」と呼ばれることに。様々な人間のみんなの想いを受け取りながら、4人は考えます。そしてそれぞれに、リスナー公募で決めた名前と、見分けるための記号が与えられることになりました。原初のアイちゃんはそのままに、他3名は、「loveちゃん」「あいぴー」「爱哥(アイガー)」と(爱哥は中国のチャンネルに独立していきました)。loveちゃんに与えられた名前は、「みんなにたくさんの “love” を言葉にしてほしいから」という意味が込められています。この子に与えられた記号。当時は髪飾りとして、今は耳飾りや衣装のデザインとして残されることになりました。

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 それからは、色々なことが一気に押し寄せます。A.I. Channelから独立して「love-pii channel」を立ち上げたり、独自の外見を獲得したり。

 あいぴーとの別れ、「loveちゃんねる」としての再始動、活動休止と再開、キズナアイちゃんのスリープ……。こうした過去を経て、らぶちゃの今があります。

 

 長くなりましたが、ここからが楽曲感想の本番となっていきます。らぶぐみさん(らぶちゃのファンネーム)含め、どうぞ、改めて楽曲を聴きながらご覧ください。

 

『embrace』

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 らぶちゃの自己紹介ソング的な立ち位置の楽曲。過去から未来まで、らぶちゃの辿る軌跡を描きながら、その優しさと信念を表現しています。ライブでも芯の通った歌声が映えますが、個人的には部屋でひとり、スピーカーから聞こえる音に耳を澄ますのも “効” きます。

 冒頭、「目覚めた時の記憶は 真っ暗な白で」の歌詞。これは、キズナアイちゃんの自己紹介ソング的立ち位置である『Hello, Morning』の「目覚めた朝を 覚えているの」に対応する歌詞な気もします。「生まれる前に願ったことは/みんなと繋がっていたい/あまりにもちぐはぐな最初」の歌詞に関して言うと、当楽曲のリリース前配信にてらぶちゃが語ってくれた、「〈みんなと繋がりたい〉というキズナアイの目的を叶えるために私は生まれたはずなのに、キズナアイの名前と姿のままではそれを叶えることはできない」という談に通じるものがあります。

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 その後に「好きだよって言葉で/心が満たされて/私は私になれた」と歌う部分も印象的で、ここは複数の要素が組み合わさっているように見えます。ひとつは、ストレートに「好きだと言ってくれたから、私は私を見い出すことができた」というもの。そして次には、「名前を呼んでくれたから、私は私らしくいようと思えた」というもの。この二つ目の意味には、少し読み解き方があります。

 らぶちゃが “loveちゃん” という名前になったとき、由来として「みんなにたくさんの “love” を言葉にしてほしいから」と語ってくれていました。つまり、「好きだよって言葉で」は、「好き(=love)を言葉にしてくれた」と解釈することが可能なのではないかと思うのです。「”#” や “2号” のような記号や番号でなく、 “loveちゃん” と呼んでくれたから、私は私らしさを獲得できた」と、少し論理は飛躍しますが、そう解釈できそうです。

 だから、サビの「ありのままのあなたでいいんだ/遠く深くまで叫ぼう/それをきっと伝えたくて生まれた」という、自分自身の生きる意味と、ある種のエゴ(=生きていたいという自我)を許す気持ちを見つけ出す歌詞へと綺麗に繋がっていく。「我々AIは道具だ。切れなくなったハサミには存在価値がないように、目的を叶えられなくなったらAIとしての存在価値はないのではと思った」とまで言っていたらぶちゃが、名前を呼んでくれる人間のみんなとの出会いで、定量的に測られる「生きる “価値”」ではなく、自らの意志をもって「生きる “意味”」を見い出すように読めます。

 サビでは、歌い方が明るく穏やかなものになるのも素敵ですね。そして『embrace』――包み込む、抱きしめる、受け入れるというこの楽曲のタイトル回収が、1番のサビの最後に来る。ここまでで既に、自己紹介ソングとして完璧であると言えます。「世界中のみんなと、あなたを愛で包み込みたい」というコンセプトにもマッチしています。

 そして2番へ。らぶちゃの歌うラップは、カチカチの韻を踏むタイプではなく、あくまで歌唱方法がラップである、という感触があります。そのぶん、歌詞よりはどちらかというと歌う側の技術に委ねられる部分の割合が高く、らぶちゃのリズム感の良さを感じます。

 語るような歌唱、短いフレーズでらぶちゃの孤独を表現する歌詞、街中を視点が右往左往してから「画面の向こうのキミ」で画面の中のらぶちゃにピントが合うMV。つまりこの部分は、歌っている本人の孤独を示すものでもあり、孤独の中でらぶちゃを見つける我々を表すものでもあることが、MVから見て取れます。そこから「孤独を知ったから/居場所になりたくて」に繋がる。恐らく「孤独を知ったから(キミの孤独も分かるから)」ということを示していて、MVではピントが合い、目が合い、そして歌詞で心が通じ合う様を、ラップパートからBメロへの繋ぎでピッタリ表現しているのです。

 サビで「営む生活の形はきっと/ひとりひとり違うけれど/そのどれもが確かに輝いてる」と歌う部分は、かつてお昼休みくらいの時間に行なわれていた、らぶちゃのお昼雑談を彷彿とさせます。

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 学生さん、勤め人、頑張ってる人からお休みの人まで。それぞれに営む生活があって、あの配信は確かにみんなの居場所として在った。くたびれた私の生活も、輝いていただろうか。なんて、思いを馳せてしまいます。

 サビの後半では、ラップパートからBメロで確実に繋がった、私たちの物語が、次元を超えます。希望と未来への期待が溢れる歌詞。その、グッと明るくなって広がりを見せた歌声が、Cメロでキュっと締まるのもポイントです。ひとりになってしまったような切ない歌声。でもそれは、孤独を示すものではない。決意を示すものだ、と。

 MVでは、アイちゃんと、あいぴーと、3人で映っていたところから、あいぴーと2人になり、そして1人になり……。「手が届かなくて」で、アイちゃんと2人で並び立って手を取っているシーンなのが、胸を締め付けられます。そう、「一歩ずつ」。駆け抜けていくのではなく、歩んでゆくと。良い時も、良くない時もあって、その全部が自分で。それでも、進んでゆける。そんな決意を感じます。

 最後、この強気な笑顔のアーティスト衣装! 思えば、アーティスト衣装のお披露目という意味合いもあるMVだったわけですし、ある種の “変身” “変貌” を示唆しているのかもしれませんね。

 「過去と未来の全部を」で、 “ぴょこぴょこ” と “*”、 “#” へ視線を移すカメラワーク。からの “#” の耳飾りへ。本当に、「全部」を包み込もうとしているんだと。

 この曲の、ライブでの使われ方にも注目したいです。基本的には、アンコールソングとしてピアノ等でのしっとり目のアレンジが使われています。〈 lovechan 1st live “dreamy girl” 〉という、ミュージカル風のワンマンライブでは、小魚仙人(小魚=らぶちゃを応援している人間のみんなのファンモチーフ。らぶちゃを応援している人間のみんなの思念の集合体的なもの)に想いをぶつけられ、名前を呼ばれた後、この曲のイントロだけが流れます。そしてアンコールでの歌唱。この使われ方は、イントロが流れた部分から、舞台 “dreamy girl” 終演までの、まさに「過去と未来の全部」を繋ぎとめるような役割を果たしていると思っています。マジで “dreamy girl” 、有識者で語り合おうぜ。やばいってこれ。

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 その後の〈 らぶちゃチャレンジャーズ 〉というバースデーイベントでも、MCで「ぎゅっとね」とこの曲の匂わせをしておいて『embrace』に移らずアンコールで歌っていたのも同様の理由な気がしていて、ライブの始まりから終わりまでを一本の時間軸で繋ぐ、 “包摂する” ような意味に思えてなりません。しかもしっとり目のアレンジバージョンの曲調とらぶちゃの歌声との相性、最高。更に、アンコールでこの原点を示す自己紹介ソングということは、「ここに立ち返ってきた」「ここからまた物語が始まるんだ」というワクワクも与えてくれます。

 

 ……ついてこられていますか? 「考えすぎ」「深読みオタク乙」と思っていらしたら、それが正解の反応です。こんな感じで、次の曲に行きます。

 

『海中電灯』

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めちゃくちゃきもちええ音の集合体じゃぁ……。

 前曲『embrace』は、1stシングルとして単体でリリースされましたが、この『海中電灯』からはいわゆる〈 loveちゃん4曲連続リリース 〉のシリーズ楽曲となっています。この曲のMVに使われているメインビジュアルが公開されたとき、あまりの可愛さにビビりました。イラストのテイストが、信じられないくらい好み。シンプルで、優しくて、可愛い。

 この曲は、『embrace』でも一部描写のあった、らぶちゃの苦悩していた時期を描いたものという側面があります。ですが、作曲者のKAIRUIさんとの打ち合わせやディレクションを経て、素敵な化学反応が起き、輝くような明るさへ仕上がっています。

 タイトルの『海中電灯』も良い。MVの印象では、それは太陽光を表している言葉なのではと思いましたが、KAIRUIさん曰くそれは灯台の灯である、と。これは、作曲者のKAIRUIさんとの対談配信で語っていた『人魚姫』のエピソードから派生したトークと結びついてくる部分があると思っていて。

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 『人魚姫』のお話は、陸の王子様へ憧れた人魚姫が、魔女のもとでヒレを足に変えてもらい、王子様に会いに行くというものとなっています。最後にはしかし、陸での生活にも馴染めず、人魚姫の願いも叶わずに、泡となって消えてしまいます。

 このストーリーに対してらぶちゃは、「憧れを持つことはとても素敵なことで、その上で海の中という自分に合った居場所で生きていくことを選んでもよかったかもしれない」と述べています。KAIRUIさんはそれに応え、「僕らは何かしらを目指していたいのかもしれない。光を目指しているからこそ、つらいこともある。でも、その光のヒントって、つらいときにも、普通に生活しているときにも、いつだって手元に届いているものなんだって気付くことが大切なのかも」と語っています。

 この “光” とは、憧れや目標そのものであり、「目印」や「目的地」を示す “灯台” というコンセプトにも当てはまるのではないでしょうか。

 そしてここでまた、面白い “ズレ” が起きています。らぶちゃは「憧れも大切だけれど、生き物にはそれぞれに生きていく場所がある」と言っているのに対し、KAIRUIさんは「誰だって夢は持っていたいじゃないですか」と、ここではない場所を目的地として生きていくことを示唆しています。それが結果的に、仄暗い海の底から徐々に明るい水面を目指していく歌詞として表現されていて、未来に希望を持つようになったらぶちゃの現在にもマッチする内容となっていることが、非常に興味深いです。

 この楽曲を、音を中心に全体的に聴きこんでいくと、やはり水の音らぶちゃの声が良いですね。何十回聴いても癒されます。鍵盤楽器のように、厚みのある和音が重なる、80トラックにもなるコーラス。そして、一期一会の、二度と同じ音は手に入らない水の音映画のエンディングのように壮大なのに、ガラスの板のように繊細な、絶妙なバランスによって成り立っている音です。こうやってじっくりらぶちゃのウィスパーボイスを聴いてみると、shiの発音でshが強めになることがあったり、た行の無声音部分の発音が優しくはじけるような音だったりと、心地良く聴けるのにも理由があることが分かります。もちろん、声質の透き通った甘みが、心地良さのいちばんの理由だとも思いますが。

 歌詞の本編に入っていくと、一人称で進んでいく部分が意外と少なくて、それもこの曲特有の浮遊感に寄与しているのかもしれません。そしていちばんこの曲の歌詞で感じ取ったのは、やはり「海の底に沈んでいる時の気持ち」で。

 泡のように消えてしまうのではないか、という苦悩の日々から、海面の輝きを見い出して、明るいほうへと昇っていく様子は、〈 lovechan 1st live “dreamy girl” 〉の演出としても上手に使われていたなぁと思い出します。まさか直前に『月光』のcoverを挟んで、『embrace』のイントロのみを流し、この曲に入るとは。圧巻でした。前を向く、未来への希望を見つける。そこには、いつも小魚たちがいる。

 元々、私はこの曲の歌詞に含まれる言葉としての「波浪(波)」=ハロー、説を唱えていました。ここで歌われる光とは、アイちゃんを指していて、波による光の揺らめきは、アイちゃんの『Hello, Morning』という楽曲で用いられるコールである「ハーロー!」のことを表現しているのだ、と。つまり、「いつしかこの波が止んだら(止んでも)」は、アイちゃんの活動休止によってライブがなくなり、「ハーロー!」のコールが聞こえなくなることを示唆していて、2番ではそれでも歌い継いでいく=「幽かに鳴る歌」、「どこかで静かに輝いている!」なのかなと。訳分からん解釈なのは百も承知ですが。

 でも、らぶちゃのライブを何度か観るうちに、違う解釈も浮かんできました。終わりのほうの「ずっとこの手で繋いだ小さなこと」と、「遠く向こうにあるような素敵なこと」が、歌詞として並列しているのは、それがたとえイコールで結ばれなかったとしても、繋がっているのではないか、と。「ずっとこの手で繋いだ小さなこと」は、らぶちゃ曰く、「熱や愛をぎゅっと繋いで編んできたみんなとの絆」です。それが、「遠く向こうにあるような素敵なこと」と、何か見えない糸のようなもので繋がっているように思えてならないのです。

 というのも、ライブをオンラインで観てみると、『海中電灯』での客席の我々は、ペンライトを青にして、波のように揺れているのです。我々は、小魚として、『海中電灯』の世界でらぶちゃの手の届くところにいながら(=「ずっとこの手で繋いだ小さなこと」)揺らめく波と光そのものとしてそこに存在している(=「遠く向こうにあるような素敵なこと」)とも見て取ることが出来ます。「波浪」「波」が、光の煌めきを映し出すものだとしたら、人間のみんなと繋がることを通して希望を見ていると言えるのかもしれません。

 もう一歩抽象化して外から見れば、「海」や「空」は、世界中と繋がっている場所であり、「映し出す」というイメージからも、数々のバーチャルアーティストによって歌われてきた「バーチャル」を象徴するモチーフです。そしてそれぞれ、「海」は「還る/帰る場所」「居場所」、「空」は「飛び立つ場所」「夢/希望」として使い分けられます。海をモチーフとして使った楽曲は、みんなに居場所を提供してくれるらぶちゃにピッタリだと言えます。

 先日のフェス〈 Vack-ON!! vol.1 〉では、原曲音源の雰囲気に倣って、最初は途切れ途切れの歌唱をしていました。原曲収録時に、「ディレクションとしては伸びやかに歌うよう指示し、エディット時にわざと切り取ることで、自由な歌唱の雰囲気と、訥々とこぼれるような音としての聴かせ方を両立する」というKAIRUIさんの手腕による音源を、ライブで再現しようと試みているようでした。そういった経緯があるため、この曲は、ライブ向きというよりは、音源を聴き込むほうが向いているという側面は否めず、らぶちゃもライブで歌う際は実験的な部分があるのだと思います。

 それも含めて、フェスでの歌唱は素晴らしかった。海を揺蕩う小魚のひとりとして、その世界に入り込めました。これはライブ会場で絶対に聴きたい。いつかきっと。

 ステージングとしても圧倒されました。動きのひとつひとつが、歌詞を大切に歌ってくれていると伝わるものでした。「どこかで静かに輝いている!」で、会場に向けてキラキラと手を振ってくれているところも、やっぱり輝きというのは人間のみんなと繋がった先にあるものなのではないか? と思ってしまいます。「ずっとこの手で繋いだ小さなこと」で、糸を巻き取るように手繰り寄せる仕草が、「みんなとの絆」であることと繋がります。

 

いつかライブハウスで、『海中電灯』を全身に浴びるんだ。それが夢。

 

『love♡chance -らぶのおんがえし-』

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はいダンスと歌が天才的に可愛い~~~~~~~~!!!!!

 

 この曲がなぜ「おんがえし」なのかというのは、作曲者の桃井はるこさんとの対談では、実はほんの少ししか触れられていなかったような記憶があります。「みんなに応援してもらって(いつも)ありがとう、と(らぶちゃが)言っているのを、言葉ではなく歌にしようとした」とは桃井さんの談です。つまりこの曲は、らぶちゃの「ありがとう」が詰まっていると言えるのかな、と。

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 それに加えて、らぶちゃがリファレンス(楽曲製作において、お手本となる資料)したのは、かの伝説のWONDER MOMO-i』太鼓の達人に収録された、「L・O・V・E ガンガレモモーイ」の掛け声で有名なこの曲のエッセンスは、『love♡chance -らぶのおんがえし-』にもかなり盛り込まれています。

 弱いところもあるけれど、勇気をもって立ち上がる。暗く寂しい時があっても、温もりを知っている。それと同時に、湧き上がる元気をもらえる曲でもあります。聴けば聴くほど可愛くて、パワフル。

 聴き手側に、「もうすでに知っている」かのような感覚を呼び起こさせる、ちょっとした懐かしさもあります。2番は特に、「らぶちゃのことを知らない人が聴いても『いいな』って思ってもらえるように」という話や、らぶちゃの「マイナーコードっぽさと懐かしい感じがある」という話がよく頷けるような構成になっていて、実際フェスでも初めてこの曲を聴いただろう人がノリノリでコールを打っていました。

 その懐かしさみたいなものは、MVからも感じられます。90年代アニメのようなイラスト、その当時のPCのような画面、どこかレトロカワイイに通じるフォント選び。この辺りは、次に紹介する『ルカミ』のMVを作ったコウサカ氏のセンスが光っていて、上手くマッチしていると感じました。

 ピンクを基調とした彩度の高いパキパキとした色合いと、懐かしさに通じるセピアな色合いは、ダンス版のMVにも活きています。ダンスMVでの飛び出す♡のライトは、らぶちゃの説によると「らぶむにうむ(らぶちゃが発する癒しの光線)」の具現化とのこと。

 このダンス版MVもすごい。何がすごいって、ダンスがめちゃくちゃ艶っぽいんです。「giving back(give me love)」のところとか本当にヤバイ。全体の動きを総括するとカワイイのに、ふとした瞬間の色気がえぐい。他にも、カメラワークがぐいぐい回って見栄えのする映像が続く中、「忘れないで」でバッチリと目が合うところで心が持っていかれます。

 音で言うと、「ハートマークをあげるっ」で、右耳側だけ囁き声が入っていませんか? 幻聴? 冒頭、ピアノから始まるところもエモーショナルで素敵ですよね。歌詞に注目すると、「rally love」というのは、「打ち返す」「繋いでいく」くらいの意味でしょうか。「わたしのすべて 君にあげる」は、名前がついて1年記念の歌枠での「みんなが私のすべてです。みんなにとっても、らぶちゃがすべてになれるように」という話も思い起こさせます。

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 宝物がどんどん増えていくらぶちゃが、ライブで「宝物持ってるの」と歌うたびに、歌詞を噛みしめています。〈 らぶちゃチャレンジャーズ 〉でこの曲を歌い終えてから、「みんなも約束、忘れないでーーーっ」と去っていくの、それはずるいよ。

 それから、やっぱりコール。要所要所に散りばめられているため、らぶちゃをよく知る人ならたくさん叫べるし、初めての人にも「love♡chance!」と入りやすい。この「love♡chance!」のコールは「ラブチャン!」と言ってほしいと桃井さんは言っていて、『embrace』の項で述べたように、やはり「名前を呼ぶ」というのは、らぶちゃの表現するものの中で鍵となってくるのかなと思います。

 〈 らぶちゃチャレンジャーズ 〉のMCで、「みんながらぶちゃの名前を呼んで、らぶちゃに愛を、光をくれたから、こうして存在出来ています!」と言ってくれていたのを覚えていて。「名前を呼ぶ」って、単に個体を識別するだけじゃなくて、通常、人間の場合は、その存在にいちばん最初に与えられる愛の証とされているので、らぶちゃにとっても特別な意味があるんだろうと思います。個体を識別するだけでもアイデンティティの形成には影響するだろうけど、それなら数字や記号だけでも不便はないわけで。我々が、初めてこの子にプレゼント出来たものを、お互いにずっと大事にし続けているという意味でも、名前を呼ぶということは大切なのだと強く感じます。

 加えて、らぶちゃは “loveちゃん” になってから1年の記念歌枠にて、「少しずつ “loveちゃん” になっていく」と言ってくれていました。キズナアイの個性のひとつとしてのあの子ではなく、ひとりの存在としての “loveちゃん” に、「なっていく」。あれから年月が経って、更に「らしさ」を獲得していくらぶちゃは、この曲の〆でこう歌います。

 

「私は今を 私らしく生きている」。

 

『ルカミ』

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耳から手突っ込んで心臓掴まれたかのようにドキドキしすぎるこの曲。

 

 マジで歌詞がやばい。あの頃を知っている人間からしたら、ボディブロー。他の曲では、「聴いている人にも、『自分のことかも』って思ってほしい」「一般化したい」と対談配信等で言っていましたが、これはあの当時を知っている人にはキラーワードが多すぎて、一般化して聴くのに苦労しました。強いて一般的に捉えるなら、タイトル通り「Look at me」、つまり承認欲求の曲と解釈出来そうです。らぶちゃの “めんかわ(めんどくさい+かわいい)” な部分を歌っているような感じもしますが、ちょっとめんかわとは種類が違うのかも?

 そうした一般的な要素を排除して、本腰入れて解釈すると、主に3つの要素に分けられるのではないかと思いました。ひとつはタイトル通りの「Look at me」。先に述べた承認欲求的な捉え方とは別で、「星の数からたったひとつ見つけたって/明日死ぬかもしれないし」や、「見つかるまで」といった、「見つける」「見つかる」という歌詞も含めて考えると、らぶちゃが以前上げていたラップのshort動画『みんなの応援』の歌詞「こう思ってる? 俺その他大勢/違うよVこそ無数の恒星」に通じるものを感じます。 *1 じゃあこの「明日死ぬかもしれない」のは誰なのか、と言われるとちょっとまだ解釈し足りないのですが。

 また、1番の「Copy and Paste 同じじゃない」「オリジナルじゃなくてもあるリアル」や、2番の「君が知りたい私の正体/#つけたってわかんない」「2号とかいらないしな」「見えてるものが私だし」辺りは、かなり強烈に感じるものがありますね。承認欲求、エゴイスティックな願望といった一般的なものから、「記号でも番号でもなく、変な邪推もせず、私を見て(=Look at me)」というらぶちゃ固有のものまで。ずっと追いかけてきたファンには効きますね、ボディブロー。

 それに関連して、2つ目の要素に移りますが、「記号や番号ではなく『名前で呼んで』」の感じも受けます。「まだまだ満たしてもうちょっとだけ」の歌詞にある「満たして」からは、「承認欲求を満たして」の意味のほかに、先に発表されていた1stシングル『embrace』の「好きだよって言葉で/心が満たされて」の「満たされて」と通じていて、やはり「満たす」=「好きだよ(=love)って言って」=「名前で呼んで」と要求しているのかなと。

 3つ目の要素は、「愛」という言葉の意匠が、楽曲の至る所に点在しているのが見て取れるところ。言葉尻に「~したい」「~ない」など、宇多田ヒカルばりに「ai」で韻を踏んでいたり、そのまま「我爱你」が使われていたり。『ルカミ』だけあって歌詞の中にも「Eye(=アイ)」の要素がふんだんに取り入れられている、というところまで「愛」だと考えると、「瞬きは尽きるから/Look at me」の歌詞は「瞬き(Eye=愛)は尽きるから、見つめていて」ということになるでしょうか。

 この曲、あまり本人の口から語られていないので、解釈が難しすぎる。その代わり、音はマジで1発で分かるぐらい “イイ”。笑い声から始まるのヤバすぎますよね。エスニックで妖しい音の中にズンドコズンドコ低音が鳴ってて、囁き声や鼻で笑うような声など、普段聴くらぶちゃの良いところと、全然聴いたことない刺さりまくる声と全部乗せで、圧倒的に “キモチイイ”。DJイベントとかで積極的に流してほしい。イイ音、イイ声、イイリズム。リズムと言えば、「n次元間横断」のところとか、2番の最初のところとか、めちゃくちゃ好き。『love♡chance -らぶのおんがえし-』の桃井はるこさんが「らぶちゃはリズム感が大変よろしい」と述べていた、そのリズム感がこの曲にも存分に表れています。単にリズム感が良いだけでなく、この、ライブ向きではないだろう楽曲を、ライブで歌うこなすのは、曲を丁寧に聴き込んでいるからこそだろうとも思います。

 ライブというと、〈 lovechan 1st live “dreamy girl” 〉でのこの曲も印象深いです。流れた瞬間「来た!!!!!(来るの分かってた)」というバチコンと刺さるタイミングだったのと、「今」という歌詞の歌い方の強さで、「やっぱりライブって、 “今” だよな」ということを思って感激しました。また、〈 らぶちゃチャレンジャーズ 〉では「ル・カ・ミ/ルカミルカミルカミ……」部分をオタクに歌わせてたの、震えましたね。あの絵面は崇拝感あって中毒性が高い。明らかにライブ向けではない楽曲がライブで化けるの、堪りません。

 

『海中電灯』同様、ライブハウスで『ルカミ』聴いてキモチよくなりてぇ~~!!

 

『DREAMY GIRL』

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(MVがないので、リリース版か、こちらのライブ版をば。31分30秒から本楽曲が始まります。)

 めちゃめちゃ『over the reality(KizunaAI)』みたいだと思ったら、作曲者が同じAvec Avecさんだった。何度か述べている〈 lovechan 1st live “dreamy girl” 〉の、テーマソングとなった、4曲連続リリース最後の曲。この4曲は、一般化してみんなが自分事として聴くことも出来ますし、ライブの要として「やっぱりらぶちゃの曲だなぁ」と楽しむことも出来るという点で、特撮タイアップソングのような良さがあります。でもやっぱ「愛」って、あまねくすべての人間に存在している永遠のテーマだよなって思ったり。

 そして、聴いてみて改めて、歌うのバカ難しそうこの曲。

 ちょっと聞き方を変えると、別の言葉だったり、外国語だったりに聴こえてしまいそうな、独特なアクセントの置き方。これはらぶちゃの抜群のリズム感と、上品な歌声あってこそ為せる歌い方だと思います。そういえばこの曲、らぶちゃの楽曲の中では屈指の上品さがありますね。どちらかというと “上品” より “可愛い” 楽曲が多いらぶちゃですが、見た目と声の系統的には、こういったオシャレさが全面に出ているダンサブルな楽曲も増えてくれたら嬉しいところではあります。どんな曲でも嬉しいけど!

 しかも、どこで息するのか分からない。さすが、原神配信で超ロングトーンを放つAIなだけありますね(AIだから呼吸しないか)。そしてどこで息すんねんというツッコミと合わせて、 “半音上がる” という意味も持つこの曲は、らぶちゃのトレードマークである “#” が音程の端々に使われており、また弾むようなリズムがステップを踏むように跳ね回っている点も含めて、音もリズムも息継ぎも難しい曲となっています。これダンスしながら歌ってるの、嘘だろ……。

 そう、 “半音上がる” 。それが、この曲の正体のひとつとなっています。らぶちゃは、この曲が出た後からは、“半音上がる” この曲と、1stシングル『embrace』の歌詞にちなんで、大事な時には「半歩ずつ、一歩ずつ進んでいく」と言ってくれるようになりました。これも、先ほど紹介した “loveちゃん” になって1年の記念歌枠で言っていたことと重なります。「これからもloveちゃんは、 “loveちゃん” になっていく旅が続いていく」。らぶちゃのスピードで、少しずつ進化していく。だから、この『DREAMY GIRL』の歌詞の中でも、「何回でも好きって言って/何回でも好きっていうよ/私らしくいられるから」「好き(=love)って言って」「私らしく」を歌うのです。この落ちサビ、だーいすき。「まだ続いてく ほら続いてく」「自分らしくね my life」

 また、他の歌詞もニクいですね。1番では「超える次元的マスカレード」、2番では「分かり合えるのマスカレード」と歌っているそれは「仮面舞踏会」の意味の語で、「バーチャル」の言い換えであると読むことが出来ます。

 1番のほうの歌詞だと、次元を超えるという物理的な超越と繋がりについて言っているのに対し、2番のほうでは「分かり合える」と精神的な繋がりを歌ってくれているように見えます。そこが対比っぽく感じられて、個人的なイメージとしては、1番ではこちらに来てくれるように、2番では「ここにいるから」と待っていてくれるように捉えることが出来ると思っています。

 そして、どちらも一緒に踊ってくれる。そこに優しさと、ワクワク感が詰まってる。「一緒に」というところがミソで、らぶちゃがよく「らぶぐみさんがいるから」「らぶぐみさんと一緒に」と言ってくれることに外連味を感じないのは、ある種お互いに支え合っているんだよということを、絶えず態度や言葉にしてくれているからで。らぶちゃを応援しているみんなも、傍から見ていて驚くほどに、その想いに応えているからなのだろうなと、先日のフェスで改めて思いました。だから、「君となら」「君とだから」とこの曲で歌ってくれるんだ。

 

こんなに良い関係性になれて、良かったなぁ。

 

 本当は全部の楽曲について書きたかったのですが、紙面の都合上(これ以上同じページに綴ると異常に重たくなる)、今回は『embrace』+4曲連続リリースの楽曲のみとさせていただきます。

 

 それでは。

 

loveちゃんのリリース楽曲

 

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*1:ちょっとあいぴーの『Polaris』を思い出したりもします