zer0-san3’s blog

zer0-san3.hatenablog.comの漢字かな混じり墨字文バージョン。

うつが来た。

 

こんにちは。ゼロサンです。

Word開いてたら適当な日記が書けたので、日記といえばブログだろうみたいな。短いけど、以下どうでもいい文章です。

 

うつが来た。

鬱が来るとたいていのことはどうでもよくなるし、 どうでもいいことばかりがよく進む。

そのくせ重要だと思ってることは何一つ終わらない。 余計に自己嫌悪に悩まされる。

自分のことは好きでいたい。長い間、 自分のことは嫌いでいたけれど、何にもならなかったから。いや、 何にもならなかったのは嘘なんだけど。 好きでいることと大差ないくらいには、 この病気との向き合い方がうまくなってきたから。

 

さっきまで思い浮かんでいたことも忘れるし、 テストなんかでもミスが増えて死にたくなる。 言葉もよく間違える。胸の内が乾ききった気がしてくる。

無駄にぼんやりする。好きなことも手につかない。 嫌いなことは余計に手につかない。 やらない理由がたくさん思いつくあたり、 まだ心が死んでなくてほっとしている。 これはそういう病気なので。

 

インフルで無茶をしたのがきっかけかもしれない。 ちょっと前には推しのグッズを大量買いしていたし、 その時に躁状態だと気づくべきだった。慢心である。 悪化している。

 

鬱の時には文章がよく進む。 ものを書くのが好きな自分にとってはありがたいことだが、 実際にありがたく思うのはむつかしい。

自分の書く文章は好きだ。ありふれていて無駄だらけで、 素直なところが気に入っている。自分自身もそうでありたいし、 実際そうだと思う。だから自分のことが好きだ。

 

以前、人の特徴を捉えることが得意な人に、「 君は人が好きなんだと思う」と言われた。そうかもしれない。し、 そうありたい。そうありたいんだけど、どうにもむつかしい。 人は好きだ。でも、それ以上に自分のことを気にかけてしまう。 それも必要以上に。

自分に執着するのは苦しい。 期待するほどの人間でないことは自分でもよくわかっているのに、 期待してしまう。 だから自分のことが好きだと思うのに抵抗感を覚える時期もあった 。嫌いでいなきゃ、みたいな。のちにしんどい目に遭うのは、 他人であり自分なのだ。

 

でも最近は、素朴に自分のことを好きになったほうが、 現状に満足出来るのではないかと思い始めた。満足出来れば、 期待しなくて済む。そうでありたい。 もう苦しいのはまっぴらごめんだ。

 

躁鬱は苦しみから逃げ続けることが平癒への一番の近道だと思って いる。いやなことから、目を背けるのはちょっと後ろめたいから、 いっそ両の目で完全に認識して全力で逃げる。 逃げ切ったあかつきには、「よくやった!」と自分をほめそやす。

それくらい緩い向き合い方が一番楽だ。 そうやって生きていきたい。

 

それでは。