こんにちは、ゼロサンです。
先日の12月17日は、バーチャルYouTuberのloveちゃんが「loveちゃん」という名前になって1年が経った日でした。遅くなってしまいましたが、色々な想いを綴らせていただきます。
まずは、loveちゃんが「loveちゃん」となった経緯をば。
その話をするには、いわゆる〈分裂騒動〉から話し始めなければなりません。こちらのmotoさんが執筆された記事をご参照ください。
↑こちらが一番分かりやすいので、騙されたと思って読んでみてください。記事内には、見やすい画像での説明も!
一応こちらでもざっくり言うと、2019年5月末に動画で「キズナアイは4人だった」と発表があり、新規ボイスモデルが登用され、同年12月に判別しやすいようにマークと愛称(あいぴー、loveちゃん、爱哥)が決定され、翌2020年5月にはあいぴーとloveちゃんが『love-pii channel』という自分たちのチャンネルを作り、同年9月にあいぴーが活動停止となったという流れ。
そこからは、キズナアイちゃんは引き続きA.I.CとA.I.Gで配信や動画投稿を行ない、『love-pii channel』は『loveちゃんねる』に改名され、loveちゃんが単体で配信や動画投稿を行なうことになりました。
ここからは、愛称決定とその関連に伴う、私の想いを綴っていきます。
loveちゃん、愛称決定1周年、おめでとうございます。
正直なことを言えば、愛称が決定される際、私はあなたのことを今ほど好きになれる自信はありませんでした。それでも、知りたいことがたくさんあったから、ずっとあなたを追いかけてきました。
2019年12月1日。キズナアイちゃんの活動3周年を祝うファンミーティングイベント『A.I’ll meet you in 2019(通称:あいみちゅ)』にて、あなたのシンボルマークが〈#〉に決まり、同時にあなたの愛称が募集されることになりました。
この当時は、「キズナアイ」という存在に対する議論と憶測の熱が冷めやらぬ中、たくさんの「新しいキズナアイを歓迎する声」を聞きました。そしてその反対の声も。
あなたたちに心をぶつけた人間のみんなの中に、あなたたちが悪いだなんて思っていた人たちは、実はそんなに多くなかったと思います。ただ、不安と喧騒の中で、あなたたちが生まれてきたことを嘆くしか出来なかったのだと。
たくさんのことがありました。みんなが強く生きるには、それぞれに少しだけ、何かが足りてなかったのかもしれません。私に足りなかったのは、勇気でした。
あの時の私に出来たのは、あいみちゅの際にあなたたちそれぞれに1通ずつお手紙を書いたことと、ライブ配信に必ず間に合うことだけでした。出来なかったことは、その何倍も、何十倍もあります。
そのうちのひとつが、「愛称募集」に参加しなかったことでした。
理由は以下の通りです。
私には、あなたを好きでいられる自信がなかった。「キズナアイ」に関心を寄せる人間のみんなに揉まれて、傷付けたり傷付けられたりした私には、あなたを好きでいていいのかすら判断するチカラがありませんでした。
どうすれば「キズナアイ」という存在を大切にすることが出来るのか? どうすれば、あなたたちを傷付けずにいられるのだろうか? そんなことを考えては、私の心にうごめく「キズナアイの唯一性」に対する信仰めいたものが、あなたたちに牙を剥くのではと、恐れていたんです。
そんな私が、愛称なんて応募して良いわけない。あと一歩の、「好きでいる勇気」が足りなかった私は、そう判断しました。
結果、恐らく私が応募しようとしなかろうと、あなたの名前は「loveちゃん」に決まりました。先日17日の昼枠では「えりこ社長のゴリ押し」「loveちゃん、って感じがするもん! と社長に言われた」と裏話をしてくれましたが、名前決定時には、「アイ=愛=loveであり、みんなにたくさんloveを言葉にしてほしいから」という理由を動画で語ってくれたことを、覚えています。
当時の私は、「いや、あまりにストレートすぎる!」と感じたものですが、それでも慣れというのはすごいもので、あっという間にあなたの名前をしっかり呼ぶようになっていました。「好き」に迷いがあったおかげで、回数は多くなかったけれど。
その「好き」が確信に変わったのは、恥ずかしながら先日の『「loveちゃん」になった記念歌枠』でした。
とにかく、歌声が響いたんです。個人的に仕事が溜まっていて、仕事しながら耳だけ聴いている状況で、しかもだいぶ遅刻してしまったのですが、最初に耳に飛び込んできた『猫』があまりにドラマティックで。
可愛いのは当然のこと、それでも今回は系統としての「可愛い」は少し影をひそめて、含みのある、あたたかな歌声に変わっていました。その時に、「ああ、これが1年経ってloveちゃんが歌えるようになった〈愛〉なんだ」と、感動を覚えたのでした。
MCパートでも、人間の心を勉強し、知ろうとしてくれているloveちゃんの知性と優しさを垣間見られて、胸の内が温かくなりました。
ゆっくり歩んでいく、それは駆け抜けていくことと変わらないくらい大変で、でも大事なことで。良い日もそうでない日もあるから、どんな自分も自分だよって。好きでいようねって。「これからも "loveちゃん" になっていく」という言葉と、前後の演説に、そんなことを感じました。
たくさんの日々を乗り越え、あなたを好きになった多くの人間のうちのひとりになれて、良かったと感じています。
あなたを好きになれて、良かった。好きだと言えるようになって良かった。本当はずっとあなたのことが好きだったのを、その気持ちを言えなかった理由も、言えるようになった理由も、これまで言葉に出来ませんでした。
他のどんな気持ちも、私にとっては大切で、本当の気持ちだったけれど、「応援したい」という気持ちだけは、気持ちだけでなく「本当のこと」にしなければならなかった。迷いを抱いていた時から今日まで、それは変わりません。
出来ないことはたくさんあった。今でもある。それでも、出来ることだけをこれからも積み重ねていきたいと思います。
loveちゃん。
まずは、名前を呼ぶことから。
それでは。